2006年オーストラリア映画。

 原題の『2:37』は、一人の高校生が校内のトイレで手首を切って自殺した時刻。
 その日の朝から午後2時37分に向かって、学校を舞台に起こる6人の悩める高校生たちのドラマをドキュメンタリータッチで描いていく。
 はたして、その中でいったい誰が命を絶ったのか? その原因は何か?
 「犯人は誰か?」ではなく「死ぬのは誰か?」が最後までわからないミステリー風の構成が観る者の興味を引き付ける。

 撮影当時19歳だったムラーリ監督の実体験がベースになっている。友人の自殺に触発されて、あるいは、そのショックから監督自身がどうにかサバイブするために撮られたものである。
 そのせいか、等身大の生々しい十代の姿が同じ目線で描かれていて、今を生きている高校生たちの心の叫びがびんびん伝わってくる。
 もっとも、どの時代どの国においても、十代を生きることのタイヘンさは変わらなかろう。家族との軋轢、周囲との摩擦、ピアプレッシャー、自己と社会との矛盾、傷つきやすさ、自惚れ、他者からの承認を得るための涙ぐましい闘い。
 大人たちが羨む若さや美しさが、当人にとっては何の救いにもならないという皮肉。
 いや、そのぎりぎりまで張りつめた心の危うさこそが、破滅すれすれの美しさを生んでいるのか。

 「自分はなんとか十代を無事過ごして良かった~」と思わざるを得ない。


 6人の悩みは非常に今日的である。
 ゲイとしての悩み、それを隠すことの苦しみ、身体上のコンプレックス、いじめ、親の期待の重圧、親に愛されないことの孤独、近親姦、妊娠、恋の悩み・・・。
 それぞれが、自ら抱える苦しみを周囲に悟られないように芝居をし続ける。弱みを見せることは「負け」であり、世間から馬鹿にされることであるという競争社会の原理が、学校社会をも家庭をも支配してしまっているのである。
 ありのままの自分でいられる場所がどこにもない。
 この日、6人の苦しみはまさに臨界点を超えようとしていた。


 大方のミステリーの定石どおり、命を絶ったのは、もっとも意外な人物であった。
 その者(Xとする)の背景や内面は、ほかの高校生たちのようには明らかにされない。なぜ自殺したのかがよくわからない。単純にミステリーとしてみた場合、アンフェアであろう。十分な材料を提供されないことには、我々には推理のしようもないのだから。
 しかし、人間ドラマとしては、Xの死はかえって痛烈に観る者の心に響いてくる。
 もっとも自殺しそうにない人物、もっとも心の優しい人物がXだったからだ。


 登場するそれぞれが、それぞれの悩み苦しみにとらわれて、自分のことで精一杯で、とても周りにいる他者の様子や心の中まで想像する余裕がない。
 それは逆に、自分で造った苦しみという殻(シェルター)の中で守られているということでもある。真の意味での他者との関わりを遮断している時には、孤独からの解放はないけれど、一方で自分が決定的に傷つくこともないからである。そのことは、ゲイであることを隠してサラとつきあっているスポーツマンのルークと、ルークの何たるかを知らずに恋に恋しているだけのサラ、互いを利用している二人の関係のうちに象徴的に示されている。
 そんな登場人物たちの中でXだけが、他者を思いやることができ、優しい言葉をかけることができる。他者の苦しみに関心をもつことができる。
 そのXが自殺してしまうという結末は、なんともやりきれない。まるで、優しいことが罪であるかのようだ。


 本当に優しい人間は、自らに降りかかってくる不当さを、一方的に他人や家族や学校や社会のせいにして自らを正当化することができない。すべての苦しみの原因を己の存在に集約させる道の先には、自己破壊しか残らないだろう。さもなくば、自らを一番の悪人とした親鸞聖人のように、何らかの宗教的意味づけを見出すか。
 そこに、ムラーリ監督がXの死に託したもう一つの意味を見ることができよう。

 Xの自殺というショッキングな事件によって、他の若者たちの耐え難い日常がひととき非日常化する。その中で感情的カタルシスを伴いながら、それぞれの苦しみが一時的に棚上げされ相対化され客観視されることで、癒しにつながったり、状況を異なった見方で見るきっかけを生むであろうことを、観る者は予期する。Xの死によって、他の者たちの苦しみの一部も一緒に死んだのであり、他の者たちが今回ばかりは「死」から免れ、大いなる慰藉にあずかったことを、我々は感得する。
 その意味で、Xの死は「自己犠牲」とか「贖罪」という言葉にふさわしいように思われるのである。
 その死に際して、アンドリュー・ロイド・ウェバーの『ピエ・イエズ』がBGMに使われているところにも、ムラーリ監督のそのような意図をうかがうことができよう。


 自らの「問題」が完全に解決することなど有り得ない。(解脱しない限りは)
 だから、それぞれが自らの問題だけにかまけていると、この世でもっとも深い傷を負っている者、最も助けを必要としている者を救える人間が誰もいなくなる。Xのように最も傷つきやすい、やさしい魂の持ち主は、心のセキュリティーネットの網をすり抜けて、命を絶ってしまう。

 現実には、人も社会もXの死の意味に思いを馳せることなどなく、日常は押し寄せて、人々はまたすさまじい競争社会の渦に飲み込まれていく。Xもまた「負け組」の一人に数えられていくのであろう。
IMG_0277[1] これは決して十代だけの話ではない。
 大人となった我々は、面の皮が厚くなって、こうしている今も、どこかで誰かがこの社会の苦しみを一身に引き受け、我々の犯した罪を贖ってくれているということに鈍感になってしまったのだ。



評価:
 A-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!