おひとりさま介護 001 上野千鶴子のヒット本にあやかった二匹目のドジョウならぬ三匹目、四匹目のドジョウではあるが、中味はいたって真面目で、つぼを押さえており、個性的。文章も読みやすく、介護に関する様々な情報が得られる点でも有益である。さすが『サンデー毎日』の記者。
 「個性的」というのは、著者の正直さに由来する。
 突然自宅で倒れ嘔吐を始めた母親(74歳)を救急車で病院に搬送し、医師に「ここ1日がヤマ」と宣告されたあとの著者の弁。

 しかし、「ここ1日がヤマ」と言われていたのに、2日経っても3日経っても「ヤマ」はきませんでした。
 そう、私は「ヤマがくる」ことをどこかで願っていたのです。
 父が死んで母が扶養家族になってから、2人の力関係は逆転してしまいました。まだ、母の身の回りの世話まではしていませんでしたが、目に見えてやつれていく母を見ていて、これからの生活はかなり負担が増えることを、なんとなく恐れていたのです。「助かってほしい」という気持ちとは裏腹に、「これで母の面倒を看なくてすむ」という気持ちを私は抱えていました。助からないことに安堵しているもうひとりの自分がいたのです。

 
 長い眠りから覚めた母はというと、私たちが「お母さん」と呼びかけても、「どなた様ですか」。娘の顔がわからないのです。目を開けても視点が定まらず、「キョトン」とした表情で意味不明な言葉を発するのです。
 その様相を見て、私は母が死の淵から生き返ったと喜ぶと同時に、「これはエライことになる」と血の気が引いてしまいました。

 
 著者をエゴイスティックというのはたやすい。
 けれど、いつまで続くか分からない介護地獄を予感した、30代働き盛り&まだまだ遊び盛りの娘の率直な感想ではないだろうか。

 かくして、食べ歩きと海外旅行とを謳歌していた「おひとりさま」の青春の日々が一瞬にして消え去り、何もかもが未知である介護の世界に、多忙な記者の仕事をしながら、足を突っ込まざるを得なくなる。


 そこで知った厳しい現実の数々に驚き怒り落胆しあきれかえりながら、また、軽度の認知症を発病した母親のこれまで想像もしなかった奇矯なふるまいやヒステリーに振り回されて介護ウツに陥りながら、介護保険はじめ様々な制度や裏技を活用することを覚え、最終的に母親をケアハウスに入居させることに成功(?)する。

 このあたり、別記事で紹介した松本ぷりっつ『笑う介護。』(→http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/5338578.html)と似たような展開である。(あちらは父親を介護する娘の奮闘ストーリだが。)
 松本が最終的には介護を前向きにとらえようと意欲し読者にも勧めるのに対し、この著者は自ら言うように「マイナス思考な人間」なので、なかなかハッピーな気分にはなれない。

 介護の本を読むと、「介護をするとあなたの世界がひろがります」「誰かに感謝をすると良い気持ちになります」と書かれています。
 私はいまだに介護をして良かったと思ったことがありません。
「自分の人生は終わったも同然」
「なんで自分ばかりが親の面倒を看なければならないのか」
「生まれ変わったら人間だけはイヤだ」・・・・。
 介護を始めた当初は、1日24時間そんな気持ちでした。最近はそこまで思い詰めていませんが、その気持ちがすっかりなくなったわけではないのです。


 正直でよろしいなあ~。
 この文章を、同じような気持ちを抱きながらも表面上は懸命にとりつくろって現在進行形で家族の介護をしている人が読んだら、「ああ、こんな非情なことを思うのは自分だけではないんだ」と安堵して、自分自身を責めたり罰したりする手をゆるめるかもしれない。
 ポジティブ思考もいいが、「そう思わないといけない」と努力目標になってしまうと、かえってマイナスな影響を生み出す。と言ってネガティブ思考もそのままではつらい。ネガティブ思考の自分をたまには笑うくらいのゆとりがあるのが、ちょうどよいのかもしない。


 一回きりの人生が、自分が選んでつくった「子供のために」犠牲になるのならともかく、「親のために」犠牲になるというのは、なかなか受け入れられるものではない。それも、ある程度自分が人並みのこと(結婚、出産、育児、仕事上の成功、財産の形成、家を建てる、後進を育てるe.t.c)をやり終えたあと、例えば定年退職したあとにそれがやって来るのならまだしも、30代40代というのは、まさにいま自分の人生を作り上げている最中である。そこで、親の介護のために仕事を辞めざるを得なくなりキャリアがストップしてしまったら、結婚や出産する機会を逃してしまったら、今度は自分が年老いたときにニッチもサッチも行かなくなる可能性がある。悪循環である。
 仕事と介護、結婚と介護、子育てと介護の両立が可能なところまで、介護の社会化を持っていかなければ、次世代が育たない。

 しかし、著者が介護を負担だと思う気持ちが抜けないのは、決して著者の「マイナス思考」でも、恩知らずからでも、若者気分が抜けきらない未熟さのせいでも、自分の老後を心配するからでも、老親との関係の難しさのためでもない。
 この本の中で一番見事に真実を突いているな、さすがプロの記者の目だなと思った文章がこれだ。
 

    介護が負担だと思う原因は、金銭的な不安がつきまとっているからです。
 

 介護の社会化が叫ばれて介護保険が導入されたはいいが、まだまだやっぱり介護にはお金がかかる。介護される者が長く生きれば生きるほど、お金がかかる。
 軽くない負担を背負った子供が「一体いつまで続くのだろう(生き続けるのだろう)」とこっそり思ってしまったり、これ以上子供に負担をかけさせたくないと思う親が「一刻も早く死にたい」と願ったりするのも無理のない話である。その状況下で「自立支援でいい介護」なんてできるわけがない。

 もし消費税率を上げるのであれば、ぜひ介護に関する経済的不安を軽減する方向に税金を投入してほしいものである。すべからく人は老い、死ぬのだから、これは正真正銘、誰もが平等に恩恵を受ける公平な税の使い方であろう。