120210_0552~01 この作品が最初に出版されたのは昭和47年(1972年)。
 なんと40年前である。
 今の高齢者が元気で働き盛りで、日本経済も財政も安定していて、バブル到来もその破綻も予期してなくて、阪神大震災も東日本大震災も知らず、消費税も導入されていない。オイルショックや公害問題などいろいろ事件はあれど、今から見れば「豊かな、牧歌的な」時代。
 そのときに、有吉佐和子は、医療や保健衛生や食生活の向上の結果として訪れた寿ぐべき長命の影に次第に姿を現わしつつあった老いの問題、介護の問題について問題提起し、来たるべき超高齢社会について警鐘を鳴らしたのであった。
 慧眼というべきだろう。

 それから10年後、昭和57年に書かれた森幹郎氏の本書の解説の中に、次のような文章がある。 


 今度、十年ぶりに本書を読み返した。まず強く感じたのは、内容的にはちっとも古くなっていないということである。痴呆の老人をめぐる問題はそのころより社会的な深刻さを増していると言ってもよい。その意味で、本書は、ますます今日性を強めていると言えよう。

 
  驚くことに、30年たった今(2012年)も上記の解説はそのまま生きている。(なんという寿命の長さ!)

 もちろん、介護の社会化を目指す介護保険の導入(2000年)という大きな転換はあった。
 日本全国に高齢者のための施設が増え、介護福祉士をはじめヘルパーも増えた。
 最新の科学的知識や蓄積された経験をもとに、介護に関する知見や技術も日進月歩で向上している。
 人権に関する意識、男女平等に関する意識も高まった。
 全般的に見れば、日本の介護事情はすこぶる良くなったと言っていいだろう。

 一方で、少子高齢化に歯止めがかかる気配もなく、年金はすでに破綻している。
 バブルの頃の羽振りの良さを伝えるエピソードがホラ話に聞こえるほど、経済は冷えきっている。国債は膨らむばかり。そのうえに、東日本大震災である。
 福祉予算をどう捻出していくか、高齢者をどう養っていくか、前途はまったく明るくない。

 本当に日本人はいったいこの40年間何をしていたのだろう?


 長年連れ添った妻の死と共にボケが始まり徘徊するようになった義父・茂造の介護に右往左往する昭子は、困じ果てて役所の老人福祉担当者と会う。
 しかし、期待していた老人ホームへの入所は、圧倒的な施設不足で、まったく見込みがない。昭子は茫然とする。 


 はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった。もともと老人は、希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が。しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。
 

  もう一度言う。
 40年前の文章である。

 この作品が古くならないのは、しかし、上記の文章の前半に指摘されているように、「人口の老齢化に見合う対策」が取られていないという政治上、財政上、制度上の無策、怠惰、いい加減、福祉の欠如の体質が、40年前の日本および日本人と、現在の私たちとが、いささかも変わっていないからだけではない。
 後半部がポイントである。

 すべからく人間は老いて弱って死ぬ。
 結婚しようが、子供を作ろうが、仕事で成功しようが、金持ちになろうが、有名になろうが、ゴールは誰でも「老、病、死」である。何もこの世から持っていくことはできない。
 いったい何のために生きているんだろう?

 入居金ウン千万円、きれいで立派な介護付き老人ホームのよく陽のあたるリビングで、車椅子に乗った昼食後の老人たちが、何もすることがない手持ち無沙汰の折に、ふとこの問いが頭をかすめる限り、この作品が古くなることはないだろう。