1990年アメリカ。

 『黒蜥蜴』と言えば、原作者の江戸川乱歩でもなく、戯曲化した三島由起夫でもなく、何十年と主役を演じ続けている美輪明宏の名前が出てくる。今となってはまるで美輪明宏のために書かれた小説、美輪明宏のために翻案化された芝居という感がある。
 実際、大胆不敵で知略に富み、「美」を何よりも愛する美貌の女賊は、メディアの中の美輪明宏のイメージそのものなので(美輪は「組合員」であっても「賊」ではないが)、乱歩も三島ももとから美輪本人をモデルにしたのではないかと思うくらい、役と演者が一体化している。
 取材の中で話していたが、美輪はこの黒蜥蜴=緑川夫人について、その完全な過去を詳細に述べられるという。どこで生まれ、どんな育ちで、初恋がいつで、処女を失ったのがいつで、そのときの相手はだれで、最初に犯罪に手を染めたのがいつで・・・・という事細かな履歴が頭の中に入っているのだそうである。
 まぎれもなく、美輪の黒蜥蜴にリアリティをもたらしているのは、この役中人物の背景に対する徹底的な理解と共感であろう。


 役者が映画あるいは舞台で一人の人物(人格)を演じることになった際に必要とする情報量は、もしその人物を血の通った生きたリアルな存在として観る者に感じさせようと意図するのならば、相当なものになるであろう。
 たいていの場合、原作となった小説や戯曲や脚本の中で書かれている情報は、ほんの一部に過ぎない。そこから演者が想像し、自らの体験やいろいろな見聞を重ね合わせ、人物像をふくらましてキャラクターを作り上げていく、すなわち「役作り」するわけである。
 こうしたことは、もちろん、演劇の始まった当初から役者達にとって、当たり前に行われていたことであろう。
 けれど、時代を追うごとに、大衆の人間理解が深まり、人格形成に関する学問上(主として精神分析学や心理学)の知見も高まり、大衆が「過去のトラウマ」なり「虐待の連鎖」なりという概念を知ってしまった現代ほど、スクリーンや舞台上の人物像のリアリティに対する目が厳しくなっている時代はないと言ってよいであろう。
 このような性格を持ち、このような場面でこのような表情でこのような振る舞いをし、このような科白をこのような調子で口にするのは、この人物がこういった過去を持ち、こういった体験を重ね、こういった感情のプールを持っているからです、と観る者に納得させなければならない。そういう説得力のある演技をしなければならない。
 おそらく、シェークスピアの生きた時代に「ハムレット」をどれほど巧みに演じ、どれほど多くの喝采を浴びた一流役者でさえも、現代の真面目で真剣なハムレット役者ほどには、ハムレットの成育歴について想像を巡らせていないであろう。
 フロイトやユングが出現し、大衆が心の問題について学んでしまってからというもの、とくに幼少時の成育環境がいかに性格形成に影響を及ぼし、大人になってからの本人の思考や行動を規定するかということを、世上を騒がす犯罪事件における容疑者の動機を推定するマスコミの文脈で馴染みのものとなってしまってからというもの、大衆は犯行の背景に隠された容疑者のトラウマを思いやるのがクセとなったのである。ハムレットの優柔不断な言動にも、なんらかの幼少時の体験なり親子関係の不具合なりを想定しないでは済まなくなったのである。

 いまや、単なる極悪人、単なる殺人鬼が存在できなくなった。純粋な悪が成り立たなくなった。
 あの『羊たちの沈黙』のレクター博士でさえ、最終的には少年期に家族を惨殺されるという忌まわしい過去を持たされずにはいなかった。あまりに早熟で鋭敏な神経を持つ少年が、凄まじい過去の体験を経たがゆえの、「ハンニバル・レクター」誕生というわけだ。


 この『ミザリー』も同様である。
 なんと言っても、オスカーに輝いたキャシー・ベイツの迫真の演技が観る者を始終圧倒する。原作は未読であるが、小説の中に出てくるアニー・ウィルクス以上の怖さ、不気味さ、リアリティを生み出しているのは間違いない。看護婦かつ殺人鬼のアニーの演技があまりに真に迫っているので、捕らわれた小説家かつ病人であるポール・シュナイダー(ジェームズ・カーン)の恐怖に怯える演技がなんだか演技に見えず、本当にキャシーそのものを怖がっているかに見えるほどだ。

 DVDの特典映像の中で、キャシー・ベイツはこんなことを語っている。
 「私と監督のロブとは、アニーのゆがんだ性格は少女の頃に父親から性的虐待を受けたためという見解をもっていた。」


 そのような悲惨な過去、思い出したくないがゆえに、思い出せないがゆえに、抑圧しているがゆえに、成人してからコントロールできない突発的な怒りに襲われて犯罪を呼びいけてしまう忌まわしい過去を持つキャシー。
 おそらく、原作ではこのようなキャシーの過去は書かれていないだろう。(性的虐待はスティーブン・キングが取り上げそうにないエピソードなので。)
 アニーを単なる精神異常者や熱狂的なストーカーや生まれついての邪悪な魂という紋切り型あるいは「怪物」から救い上げて、恐いけれどもどこか哀れな女性という印象を観る者に抱かせるのは、まさにこうしたキャラクターの掘り下げと理解、それを表情や体の動きやセリフや口調を通して観る者にわかりやすい形で変換できる演技力の賜なのである。

 「雨が嫌い」とアニーが不安げに辛そうな表情で窓の外を眺める時、彼女が聴いているのは、おそらく少女の頃に最初に父親にレイプされた晩の屋根を打つ雨の音なのだ。そんなふうに感じさせるほど、キャシー・ベイツの演技は見事である。単なるホラー映画が、虐待というトラウマを背負った女性の顛末を描いた悲劇に変わる。
 これは原作を超えた離れ業である。

 スティーブン・キングの映画化された作品の中では、『シャイニング』(キューブリック監督)のジャック・ニコルソンと並ぶ怪演であるのは間違いない。




評価: B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!