1951年大映。

 見るべきは田中絹代の気品ある姉様ぶりと、宮川一夫のカメラ。どちらも際立った瑞々しさと風格がある。この二人は日本映画の至宝として、あまたの名匠や名優を措いても「いの一番」に殿堂入りすべき二人であろう。

 それにしても、飛びぬけて美人でも華があるでもない田中絹代がなぜこうも存在感があるのだろう。
 美しさという点では、映画の中の妹・お静役の音羽信子の方が「べっぴん」だろう。だが、観る者は劇中の慎之助(堀雄二)同様、お静よりも後家である姉のお遊(田中絹代)に惹きつけられる。
 もちろん、田中の演技の巧さがある。宮川のカメラマジックも預かって力ある。

 観る者を惹きつけて止まないのは、実は田中絹代の喋りにあるのではないだろうか。
 あの余分な力がいっさい入っていない自然な(自然のように聞こえる)なだらかな口調と、声音に含まれる郷愁をそそるような深い滋味ある響きこそ、彼女の魅力の秘密にして武器ではなかろうか。同じタイプの女優を挙げるなら・・・そう、市原悦子である。
 市原が『まんが日本昔話』のナレーターとしてその真価を示したように、田中の語り口もまたどこか昔話の語り部のような響きがある。それは、観る者(聴く者)を母親の膝で物語を聞いた幼子の昔に戻す。幾重の時代も受け継がれてきた日本の庶民の哀しみと貧しさと大らかさを耳朶に甦らせる。
 その快楽に惹きつけられない者があろうか。
 幼くして母親を亡くした慎之助が惹かれるのも無理はない。

 我々は映画の中の役者を見るときに、どうしても視覚的魅力にこだわってしまうけれど、サイレント映画でない以上、聴覚的魅力というものも実は馬鹿にならない。気がつかないだけで、役者の魅力の半分は占めているのである。
 いやいや、映画の中だけではない。日常生活においても、自分で思っている以上に、声の魅力、口調の魅力、話し方の魅力に我々は影響されているはずである。
 
 史書によると、クレオパトラは確かに美女であった。けれど、周囲の男たちの心をとらえたのは、彼女のまろやかな話し声と、人の話を楽しそうに聞いてくれるその笑顔であったという。

 田中絹代や市原悦子はまさに「声美人」なのである。




評価: B+


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!