家の近くの老人ホームに勤め始めて2ヶ月が過ぎた。

 数日前にやっと‘一人立ち’(先輩職員に就かずに、一人のスタッフとしてフロアを回すこと)した。
 はあ~、長かった。
 先生役の職員のしごきや罵倒に耐え、数々の失敗にもめげず、思いのままにならない利用者の対応に時にうんざりしながら、どうにかここまで来た。自分を褒めてやりたい。
 ちょっとずつ、それぞれの介助技術は身に付いてきている気がする。業務の流れも大方覚えた。体力的には依然としてしんどいが、休日には山登りできるくらいになったのだから、慣れてきているのだろう。糞尿はとくに問題なかった。というより、多忙と緊張とで糞尿がどうこうとか考えている余裕もなかったのが実際のところである。
 これからが正念場である。一人でフロアを回すことに自信が持てるようにならなければならない。
 なんだかんだ言って、やっぱり試用期間が3ヶ月というのは正解なんだなと思う。
 今は業務をそつなく(事故なく)こなすのにいっぱいいっぱいであるが、3ヶ月を超えればちょっと余裕が出てきて、もっと利用者一人一人をじっくり見て、必要なときに必要なこと(声がけ、介助、生活上のリハビリ、傾聴など)ができるような気がする。


1.介護の仕事は喉が渇く

 毎日仕事が終わると、帰り道にあるコンビニに寄ってアイスキャンデーを買うのが日課となった。62円の「ガリガリ君」である。店にあるのはソーダ味と人気の梨味。カジカジしながら、駅へと向かうのである。いい大人が、と思わないでもないけれど、渇いた喉はクールな刺激を求め、疲れた体は甘みを欲する。
 一日中空気が乾燥している施設の中にいて、フロアを動き回り、利用者の移乗などで体力を使い、レクリエーションで声を出して盛り上げ、入浴介助で汗を流す。しかも、常に転倒などの事故が起こらないように緊張している。喉が渇かないわけがない。
 スタッフの中には1リットルの水筒を欠かさず持ってくる人もいる。
 こんなにアイスキャンデーを食べたのは、高校時代の部活動(テニス部だった)の終わったあとの買い食い以来である。
 先日はガリガリ君に当たりが出た。


2.介護の仕事は痩せる! 


 上記の様なハードワークで体重がぐんぐん落ちると共に、介護に必要な部分(上腕や太もも)に筋肉が着いて体が引き締まってきた。仕事を始める前から4キロ減った。
 ウエストも細くなり、ベルトの穴も知らぬ間に一つずつ内側の穴へと移行し、いま一番内側の穴で止めてもまだ緩い状態である。これは実に20代以来の快挙。
 鏡で見る顔もあごのラインがすっきりして、顔全体が小さくなったようだ。
 中年太りからの離脱は、間違いなく健康によい。寿命も伸びたかもしれない。
 一方、職員の中には一年で5キロ太ったという人もいる。
 慣れてくると太るのかもしれない。気をつけよう。


3.介護の仕事は「ぎったんばっこん」、でも平常心が大切

 ある日は、特段何事もなく、穏やかに、利用者も落ち着いていて、安楽に仕事を終える。「自分はこの仕事続けられそうだ」と前向きに考える。
 ある日は、失敗をしでかして、落ち込み、不穏な状態の利用者に振り回されて、疲れ果てて仕事を終える。「やっぱり、自分にはこの仕事向いてないな」と捨て鉢な気分になる。
 介護の仕事は、気持ちが上がったり下がったりの「ぎったんばっこん」である。
 面白いのは、こちらの気分を読み取るかのように、利用者の状態も変化することである。これは認知症の人でも変わりない。いや、認知症の人ほどそうかもしれない。
 こちらが落ち着いていて穏やかな明るい気分でいれば、利用者も落ち着いていることが多い。こちらがパニクって焦っていたり、イライラしたりしている時は、利用者もまた不穏な状態になり、ますます事態は混乱し、悪循環に陥ってしまう。
 利用者の状態は、こちらの心の状態を映す鏡のようなものなのだ。
 何があっても平常心を保つこと。
 これがどうやら極意のようだ。


4.介護の仕事は「さ・し・す・せ・そ」

 しょっちゅう失敗し、先生役の職員に叱られた最たるものは、利用者の部屋のセンサーのスイッチの付け忘れと車椅子のストッパー(ブレーキ)のかけ忘れだった。
 これはどちらも利用者の転倒という文字通り「致命的な」事態を招くミスである。

 例えば、部屋のベッドから起きあがった利用者は、自分の歩行能力を過信して、あるいは失念して、ベッドから下りて自力で歩こうとする。ベッド脇にある車椅子に乗ろうとする。
 そのとき、ベッドの下に敷かれたコールマットのセンサーが入っていれば、フロアにコールが鳴り響いて、職員はすぐに駆けつけて介助することができる。(間に合わない場合もあるのだが・・・) センサーがオフになっていたら、誰にも気づかれないうちに、利用者はベッドから立ち上がって転倒する危険がある。また、自分で車椅子に乗ろうとして、車椅子のストッパー(ブレーキ)がかかってなければ、車椅子が勝手に動いてしまい、支えを失った利用者はやはり転倒する危険がある。
 この二つのミスは絶対やってはいけないミスなのである。
 もし、利用者が転倒し怪我をしたり、命を落としたりした場合、この二つのミスが要因としてあったら施設は申し開きできない。賠償問題となり得る。職員も目覚めが悪いことだろう。
 先生役の職員が何度も口を酸っぱくして叱ってくれたのは、だから、自分の為を思ってくれてのことなのである。
 だが、たとえば、一人の利用者を部屋で介助をしているときに、別の利用者のコールが鳴ったら、あとの利用者の方が転倒リスクの高い人だったら、「すぐに駆けつけなくては」という気持ちが働く。その結果、まえの利用者の部屋を急ぎ足で出てしまうことが多い。そのときに、センサーと車椅子の確認を怠ってしまいがちなのである。

 これは何か忘れないためのいい方法がないものかと思案して、部屋を出る時の「指さし確認・声出し確認」を考えた。それが「さ・し・す・せ・そ」である。


さ=柵       →ベッドの柵の開閉具合は、利用者の状況に合った通りになっているか。
し=下       →ベッドの高さは一番下になっているか。
す=ストッパー ベッドと車椅子のストッパーはかけてあるか。
せ=センサー  センサーはオンになっているか。
そ=装具     →利用者の装具類(手足の補助具、包帯、弾性ストッキング、クッションなど)は適切な状態になっているか。


 窮ずれば通ず。
 いいアイデアが浮かぶものである。


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