新ホスピス宣言 著者の山崎章郎(ふみお)は、ホスピス医としてターミナル(末期)の患者が自宅で療養できるように訪問診療している医師である。
 と同時に、特定非営利活動法人コミュニティケアリンク東京の理事長として、東京都小平市に、「広く一般市民を対象とし、がんなどの終末期にある方や高齢者の方など地域社会で様々な困難に直面している人々を支援し、医療、福祉、教育等の事業を通して安心して住み続けることの出来る地域社会づくりに寄与すること」を目的に、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、宅介護支援事業所、デイサービス、賃貸住宅、クリニック等が集合したケアタウン小平を開設、運営している。
 日本のホスピスケアのあり方を模索し、提言し、行動し続けるパイオニア的存在である。


 そもそもホスピスケア(緩和ケア)とは何か。
 日本ホスピス緩和ケア協会によると、「治療不可能な疾患の終末期にある患者および家族のQOL(Quality Of Life=生活の質)の向上のために、様々な専門家が協力して作ったチームによって行われるケア」である。あまり具体的でない。というかぶっちゃけ、まったく中味のない定義である。「死にそうな人をチームで支える」なんて、なんの目新しいこともない、当たり前の話ではないか。
 これに対し、山崎はこう定義する。
「様々な専門家やボランティアがチームを組み、自力だけでは自立(自律)することや、自分の尊厳を守ることが難しくなってしまった人々の、自立(自律)を支え、尊厳を守り、共に生きること。」
 自立(自律)、尊厳、共生―この3つのキーワードがホスピスケアにとって重要だと山崎は主張しているのである。

 では、上記のキーワードに基づいて展開されるホスピスケアとは具体的にどのようなものなのか。
 山崎はまず「痛みをコントロールすること」の重要性を声を大にして訴える。
 

 緩和ケアの領域では、がん性疼痛の除痛率は90%なのに、一般の病院や大学病院では痛みを取る割合が、まだ50%以下なんです。(山崎)
 
 がんの痛みで、方法はあるのに取れていないのなら、それは取らないほうが悪いんだということを明確にしていく。それはもう犯罪と同じことなので、たとえば患者さんたちに「痛みがとれなかったとしたら、医師を訴えてください」と言っていく。法廷の場で争っていくなら、私が原告側の証人になってもいいと思っています。(山崎)


 身体上の痛みをコントロールできて初めて、末期にいる患者はスピリチュアルな痛み(ペイン)を訴えることができる。スピリチュアルペインに対して行うスピリチュアルなケア、それこそがキリスト教圏で発達したホスピスケアの面目躍如たるところなのである。
 では、スピリチュアルペインとは何か。

 

 スピリチュアルペインは、身体的、社会的、精神心理的な痛みはみんなはぎ落とされてしまって、存在自体がスピリチュアリティそのものとしてむき出しになってしまった段階ということになります。(米沢)


 患者さんたちがスピリチュアルペインを感じるのは、死が近いことだけではなく、むしろ衰弱した結果として、自律した尊厳ある存在としての自分の日常生活が破綻したことに起因することが多いのです。・・・・
 決定的だなと思うのは、自力でトイレまで行けなくて、途中で失禁してしまったりすることです。(山崎)



 一言で言うならば、「アイデンティティの危機」ということになろうか。
 これまで何十年とかけて築き上げてきた「自分」という存在が、意味を失い始める局面である。
 そして、この局面にいたって初めて、人はスピリチュアリティに目覚めるという。
 関西学院大学神学部の窪寺俊之氏によると、「スピリチュアルペインに至るのは、スピリチュアリティという人間の持っているもう一つの機能が目覚めるから」「スピリチュアリティは、いろいろな困難に直面してしまってどう生きていいか分からないときの意味づけについて、たとえば神や自然などの自分以外の大きなものにそれを見つける機能であり、自分の内面の中にそれを求めていって、この状況で生きる意味を自分なりに見つけていく機能」だそうである。
 であるから、患者の持っているスピリチュアリティが適切に機能するようにサポートすることが、スピリチュアルケアということになる。

 では、ホスピスの現場で具体的なスピリチュアルケアとはなんなのだろう?

 

 身体衰弱の結果、自立した生活が破綻してきたときに、意味を見つけられなければ、「早く死にたい」と言うことになります。しかし、日常の具体的なケアを誠実におこなっていくことで、かつ並行しておこなわれる傾聴を中心としたケアを継続していくことで、もう死にたいとは言わなくなってくる人が多いんです。状況が悪化しているにもかかわらず、「早く死にたい、生きる意味が感じられない」という表現が消える。(山崎)
 
 「傾聴」の大切さは誰にでも分かる。カウンセリングの基本は「傾聴・共感・受容」である。それが、クライアント(患者)のスピリチュアルペインを癒す手助けとなることは理解できる。もっとも、本当に傾聴できる人は滅多にいないものだが・・・。
 一方、「日常の具体的なケア」とは、排泄・入浴・食事・移動・更衣などの一つ一つの介助のことを指す。それを誠実に行うこともまたスピリチュアルケアの重要な一部だと言っている。
 これは、介護職に就いている自分にとって目から鱗であった。
 もちろん、普段から丁寧な、かつ利用者に負担を感じさせない介護をしようと心がけてはいるが、それは利用者のQOLを高める為、あるいはADL(Activities of Daily Living=日常生活動作)の幅を広げる為という意味合いが強かった。こちらが誠実な介護をすること自体が、利用者のスピリチュアルケアにつながる可能性を持っているとは!
 実を言えば、介護の仕事を始めたはいいが、あまりの業務の忙しさで利用者の話を聴く時間さえ取れないという本末転倒ぶりに幻滅していた矢先であった。上記のことが本当であるならば、できる限り丁寧な介護をしていきたいと思うのである。

 死が近かろうが近くなかろうが、いまの現実のこの自分を受け入れられる人は、その大事な状況を受け止められるようになるんです。つまり、それまでの自分から考えると、とても耐え難いような惨めな状況になっても、いまを生きる意味を見つけられるステージに立てると思うわけです。・・・・・
 その人にとっていまを生きていることに意味を感じられれば、いつ死ぬかはあまり問題でなくなってきます。(山崎)


 スピリチュアルペインを脱した患者の多くは、死後について語り始めると言う。スピリチュアルケアはまた、患者が自由に死生観を語れる雰囲気をつくることである。
 死んだらどうなるのか。天国や地獄はあるのか。一足先に亡くなった愛する人々と再会できるのか。生まれ変わりはあるのか。・・・・・
 死ぬことを受け入れた患者が抱くいろいろな疑問や希望に付き添っていくのである。
 この部分は、日本のホスピスケア(緩和ケア)に決定的に不足している部分であろう。
 欧米のホスピスには必ずチャプレン(牧師、神父、司祭、僧侶などの聖職者)がいる。固い信仰を持ち、苦しんでいる人の話を聴く訓練を受けたチャプレンは、患者達の死への不安や恐怖を受けとめ、患者の死生観・死後観に付き添い、安らかな気持ちで最期を迎えることをサポートする。
 ここは医療が宗教にバトンタッチされる場面、あるいは医療と宗教が共生する場面なのだ。
 医療と宗教との共生がこれからの日本の緩和ケアの最も大きな課題であろう。
(→ブログ記事医療と宗教のかかわり参照)