20120909認知ケア 2008年発行。

 介護業界のカリスマ、三好春樹の本。
 業界の新参者として日々老人ホームで認知症老人の対応に苦慮する自分にとって、わらにもすがる思いで手にした本である。
 って、ちょっと大袈裟。

 就職してまだ半年にもならないが、認知症の老人たちとのつき合いを通じて得た実感は、「認知症とは、今ここにある現実の自分自身を認知したくないことからくる様々な症状」なのではないかというものである。 

 老いて病んで、他人の手を借りずには日常生活(食う、出す、着替える、風呂に入る)が送れない自分。家庭からも会社からもリタイアして、悠々自適と言えば聞こえはいいが、誰からも必要とされなくなった自分。もはや将来に何の夢も希望も計画も楽しみも持てなくなった自分。お国のお荷物として人様に迷惑かけながら老残の身をさらし、あとは死を待つばかりの自分。
 こういった自分を受け入れるのは辛すぎる。と言って自殺するわけにもいかない。

 いっそのことすべてを忘れてボケてしまえ!

 といって自制のタガをはずすのが認知症の正体なのではないか。


 もちろん、脳の萎縮といった生理学的な原因もあるだろう。年を取れば記憶力をはじめとする様々な精神機能が衰えるのも自然だろう。
 しかし、それが徘徊や暴力や見当識障害や被害妄想などの認知症特有の問題行動に即つながるとするのは早計である。なぜなら、多少ボケてもそれなりに落ち着いた暮らしをしている老人はたくさんいるからだ。

 こんなふうに感じたのも、施設に収容されて全員一緒の同じ日課を強いられている老人たちを見ていると、「つらいだろうな~」「しんどいだろうな~」と思わざるを得ないし、ある程度「自分」をまだしっかり保っている老人を一対一で介助している最中、ほとんどの人が絶望の嘆きを漏らすのに直面するからである。
 と言って、自分の勤めている施設やそこの介護の質が特段悪いわけではない。
 今の日本社会で、地域で、家庭で、老人達が置かれている環境が悪いーというか、昔とすっかり変わってしまったのが大きな原因だと思う。
 簡単に言えば、老人は敬われなくなった。


 一人前の介護職っぽいことを言ったが、この本で著者が述べていることも自分の実感とそう変わりはなかった。
 三好は、認知症の原因として挙げられているいくつかの説(脳の病気、遺伝子、個人の性格、これまでの生活環境)について検討を加えながら、次のように結論づけている。

 「認知症」は、老いていく自分を認めることができなくなったことから起きる、と考えるのが一番だろうと私は思います。老いていく自分を認められない老人が、障害による機能低下、人間関係の変化などをきっかけとして起こす「自分との関係障害」です。


 自分との関係障害。
 なんてうまい言い方をするのだろう!
 「これまでの自分(かくあった自分)」と「いまの自分(かくある自分)」との落差による葛藤、混乱、落ち込み、否認。
 としたら、落差の大きい人ほど、自我の強い人ほど認知症状もひどく顕れるという仮説が成り立つ。
 う~ん、そうかもしれない・・・・。


 重要なのは、しかし、原因追求よりも介護のコツ、目の前の認知症老人にどう対応するかである。

 介護の側が目ざしているのは、「認知症」そのものを治すことではなく、老人が落ち着き、日々の生活を安定して送れることです。徘徊や異食(食べ物ではないものを口にする行為)などの問題行動が見られたら、その原因を探り、対応を考えていくのです。逆に、「認知症」であっても、問題行動がなく、落ち着いて生活できていれば、それでいいということになります。

 ここで著者は、国際医療福祉大学の竹内孝仁氏が提唱し、介護現場で共感を持って受け入れられた認知症の3つのタイプを紹介する。

葛藤型 ・・・情緒不安定で怒ったり、おびえたりする。暴言を吐き、ときには暴力を振るう。若くて社会的地位もあったかつての自分と、老いて介護してもらっている現在の自分との間で、葛藤が起きている。
 効果的な対応は、役割づくりと理解者の存在。


回帰型 ・・・見当識障害と徘徊を主な症状とする。現在の老いた自分ではなく、かつての人から頼られていた自分に帰っている。
 「ここは自分のいるべき場所であり、現実の老いた自分が自分であり、それでもいいのだ」と思ってもらえるような“いま、ここ”をつくり出すことがケアの目標。

遊離型 ・・・問題を起こすわけではないが、自分からは何もしなくなる。現実がから遊離して無為自閉している。
 効果的なのは、みんなで楽しむ多彩な刺激とスキンシップ。「生きているんだ」「生きていてよかった」と実感してもらえるような生活や体験をしてもらうことが目標。

 もちろん、すべてのケースが3つのいずれかに簡単に分類できるものではなく、「混合型」や「移行型」もあると言う。

 この分類、現場で働いている人間の実感として確かに頷けるところが多い。
 「ああ、会社社長をしていたAさんはまさしく葛藤型だ。突然怒りだすし。」とか、「専業主婦で家事が得意だったBさんは回帰型だ。夜になると徘徊が始まるし。」とか、「一日フロアのテーブルで虚空を見つめてボーっとしているCさんは遊離型だな。」というように、うまくあてはまるケースがすぐに思い浮かぶ。 
 これを知っただけでも、この本を買った価値があった。


 他にも非常に啓発的な文章があった。

 専門家がよく言う言葉に「自己決定」があります。介護で最も大切なことは、老人の自己決定を大切にすることだというのです。しかし、老化や惚けは、その自己が解体されていく過程です。何も決定しなくなった認知症老人に対しては、どんな介護をすればいいのでしょうか。
 そのときは、介護者自身がどうあってほしいか、さらにはどうしたらいいかを老人にぶつけるべきなのです。「自己満足じゃないか」といわれるかもしれません。でも、自己嫌悪よりはマシです。それが老人の要求に沿っていたかどうかは、なにより老人の表情で判断できるはずです。


 介護とは、要介護者を主体とした、その人のための生活づくり、関係づくりです。

 介護職の適性を考えるとき、男女を問わず「母性」が大切な要素になることは以前から指摘されてきました。それは、「いまよりよくなる」ことを求める医療とは異なり、「いまあるがままを認める」介護では、「条件をつけないで受け入れる姿勢」が求められるからです。
 「無条件で受け入れる」ことは、母性の基本です。介護の専門家は、豊かな母性のうえに専門性が付加されている人でなければなりません。


 自分はどうだろう?
 世間一般の男より母性はあると思うが。
 人の「あるがまま」を受け入れるには、まず自分の「あるがまま」を受け入れられることが大切だろう。

 難しいな。