単独行遭難 2012年発行。

 山登りは基本独りで行く。単独行である。
 その理由は、

1. 自分のペースで歩ける。
 ゆっくり歩くも急いで歩くも自由。
 好きな時に好きなだけ休憩できる。
 興味が惹かれた場所や物があれば寄り道できる。
 弁当を開く場所も好きに選べる。
2. 気を使わなくて済む。
 疲れている時に話しかけられるのはうざったい。
 同行者に気を使う分、周囲の景色に気が行かなくなるのはもったいない。
3. 独りでじっくりと自然を味わうことができる。
 「自分」をできるだけ無くして自然との一体化を感じたい。
 気兼ねせず瞑想ができる。
4. 気軽に行ける。
 思い立ったらリュックの準備をしてサッと列車に飛び乗れる。


 単純に言えば「ストレスがない」
 日常のストレスを解消したくて行く山登りで、ストレスを感じるのはアホらしい話である。だから、単独行になる。
 もっとも、独りで登ることがストレスになる人もいるだろう。知り合いに独りで店に入って食事することができないという男がいる。
 やっぱり「孤独が好き」なのである。

 だが、単独行の魅力は遭難のリスクと裏腹である。
 この本によれば、2011年の山岳での遭難者は2204名、死者・行方不明者は275名、うち単独行での遭難者は761名(34.5%)、死者・行方不明者154名(56%)である。遭難者の3人に1人、死者・行方不明者の半分以上が単独行である。当然、単独行でない者(パーティー)の方が母数として圧倒的に多いわけだから、単独行の遭難しやすさ・遭難した場合の死亡率は相当に高いと言えるだろう。
 テレビなどでニュースになる遭難事故はパーティーのものが多いので、「パーティーでも危ないのは同じじゃん」とつい思ってしまうけれど、単独行遭難は地味なのでニュースにならないだけなのだろう。

 この本では単独行で遭難した7人の事例が紹介されている。みな最終的には救助され無事に生還したからこそ、こうして体験をドキュメントとして読めるのである。運が良かった人たちである。
 道を誤った、道に迷った、滑落して負傷し歩けなくなった、降雪で下山予定が大幅に遅れた、熱中症になった、コースタイムを勘違いした、などいろいろな遭難理由が上げられているが、恐いなと思ったのは、彼らが遭難した山が決して人があまり登らないような、険しい、難しい、けもの道を踏むような山ではなく、コースがきちんと整備され山歩きのガイドブックにも載っているような人気の高い山であることだ。尾瀬ヶ原、両神山(秩父)、白山、奥穂高、羅臼岳(北海道)・・・。山をあなどってはいけないとつくづく思う。
 滑落による負傷も熱中症も道迷いも、単独行でなくとも起こることではあるが、連れがいるなら何とかなる。介抱してもらえる。健康な者が一足早く下って救助を呼ぶこともできる。道に迷えば独りだと焦ってしまい、墓穴を掘るような行動を重ねてしまうこともあるが、冷静な連れがいればそれは避けられる。遭難しても心強い。
 折れた足をひきずりながら十四日間も山の中をさまよったケースが出てくる。それはそれで本人の強靱な生命力と家族や捜索隊の粘りには感心するけれど、きっかけは正規のルートでのほんのちょっとした足の滑りである。日数がかかったのは、本人が事前に登山届けを出していなかったため、どこの何という山か特定できなかったのである。

 家族や職場や友人を心配させて、救助隊のお世話になり、方々に迷惑をかけたというのに、遭難し生還した7名が「これからも単独行を続ける」と言っているのが、あきれかえる。・・・と続けるべきところだろうが、「共感できる」。
 やはり、山登りは一度良さを味わうとなかなか止められないし、単独行は言わば人生のスタイルなのでそうそう変えられないのである。
 ならば、単独行のリスクを自覚して、それなりの予防をしておくことが重要である。命や健康のことばかりではない。いったん救助隊が出動され、ヘリコプターによる探索が行われると、一日何百万円という経費がかかるのである。

 これまで運良く自分はそれほど危ない目に遭ってこなかった。せいぜい山道で転んで泥だらけになったり、滑落して膝を痛めたりしたくらいで、歩けなくなったことや山の中で夜を迎えなければならなくなったことはない。
 でも、もう若くはない。油断は禁物だろう。
 先日、死亡の場合1000万円、遭難救助の場合500万円、他人を負傷させた場合1億円までの山岳保険に入った。
 むろん、使わないに越したことはない。
 今までは誰にも言わずに山に出かけることが多かったが、できるだけ登山届を残すことにしよう。それと携帯電話と充電器は忘れないことだ。
 
 図書館でたまたまこの本が目についたのも何かの虫の知らせなのかもしれない。