生藤山&三国山 001●歩いた日  11月20日(火)

●天気    快晴

●タイムスケジュール
08:28 JR中央線上野原駅「井戸」行バス乗車(富士急山梨バス)
08:50 「井戸」バス停着
09:00 歩行開始
09:20 軍刀利神社本殿
09:30 奥ノ院
10:20 元社生藤山&三国山 003
10:55 三国山頂上
11:00 生藤山頂上
11:05 三国山頂上
      昼食
12:00 下山開始
14:00 「佐野川」バス停着
      歩行終了
14:16 上野原駅行バス乗車

●所要時間 5時間(歩行3時間30分+休憩1時間30分)



 三国山の名前の由来は、文字通り三つの国(東京・神奈川・山梨)の県境に位置するため。生藤山(しょうとうさん)は昔「キット山」と言い、その音に対して「生藤」という字をあてたのが由来と言う。「キット」とは、境界をはっきりさせるために木を伐採せずに「切り止め」することで、それが転訛したらしい。


 JR中央線上野原駅からバスで20分というアクセスの良さ、抜群の展望、歩行時間も長すぎず短すぎず、ルートもしっかりしている。と、いいとこばかりの山なのであるが、なかなか登る気にならなかった。周囲の山でガイドブックに載っているようなところはほとんど登っているのに、この山だけは後回しになっていた。
 なぜか。
 それは登り口にある軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)のイメージが靖国神社と重なって、どことなく好戦的でウヨッキーな、陰惨な感じがして近寄りがたかったからである。「自分は呼ばれていない」という印象を持っていた。

 登る山を選定する際には、意外とそういう直観は重視した方が良いと思っている。こちらも山を選ぶけれど、山もまた登り手を選ぶという気がするのである。とりわけ今もちゃんと祀られている神社のある山は、その祭神との相性を無視できない。

 軍刀利神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。
 戦いの神=軍神である。
 その由来は三国山頂上の近くにある元社の石碑に刻まれている。
 

第十二代景行天皇の御代、「東方の十二道の荒ぶる神、服従しない人達を平らげて来い」との詔による御東征を成し遂げられた日本武尊が、帰国の途中、率いる兵士を整え草薙剣を神宝として御親祭された処です。その後原始祭礼の祭場とし、又永承三年五月、社が創建され、天文七年七月北條氏康の軍卒の狼藉により社殿が破却されたため、今の奥の院の処に御還宮されるまで祭典が続けられた処です。現在此の地は軍刀利神社神奈備の中枢であり、東京神奈川山梨のまほろばであります。
生藤山&三国山 012


 「明日は休みで快晴!」となったとき、「さあ、山に行かなきゃ損々」と家に何冊かあるガイドブックをペラペラめくっていたら、ふと生藤山のページに行き当たった。
 「そう言えばこの山、まだ登っていなかったなあ~」
 案内文を読んでみると、前に感じた違和感、拒絶感が無くなっていた。すんなりと活字が頭に入ってくる。
 「あ、どうやらお許しが出たらしい」
 映画『日本誕生』を観てこのブログでヤマトタケルを持ち上げたのが効いたのかもしれない。あるいは高千穂詣が日本神話の力ある神々の気を惹いたか。
 神だって、おだてられたり感謝されたりすれば、うれしいに違いない。 


 「井戸」バス停で降りると、晩秋の里山ののどかな風景が広がっている。その背景にすくっと勇ましく聳えるは富士の山。雲一つない秋の澄んだ青空に真白く輝き渡る様は、実に神々しい。
 軍刀利神社は山裾から順に本殿、奥ノ院、元社と連なる。もっとも、上に書いたように元社には社はなく、鳥居と小さな石の祠と石碑が残っているのみである。
 
生藤山&三国山 004 バス停から車道を10分ほど歩くと、背後に木立を随えた赤銅色の鳥居が現れる。鳥居とは本来「ここから先は禁足地=異界である」と告げるものであることを改めて教えてくれるに十分な存在感である。
 高い木々と清流に沿った参道は、厳しさと清らかさとを合わせ持った男らしい「気」に満ちている。自然、背筋が伸びる。

 本殿は、「こんな田舎に」と驚くほど見事な造り。神社建築には詳しくないが、ここの木組みと彫りの大胆さは、たいしたものではないだろうか。
 本殿の裏のあたりに白い光が浮かんでいた。カメラを向けても光が強すぎてどうも暈けてしまう。(あとから知ったがこの神社はパワースポットとして有名なのだそうだ。)


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 本殿の脇から続く道を奥ノ院へと向かう。
 清流のすがすがしい気持ちのよい参道である。
 奥ノ院の社殿の前に県の天然記念物である大桂の木が聳えている。今はすっかり落葉し、いかつい裸の枝が空に突き刺さっている。
 このあたりの空気は、長野県の戸隠神社に近いものを感じた。

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 さて、ここからいよいよ本格的な登りとなる。
 三国山に向かう女坂(右手)と、元社に向かう男坂(左手)との分かれ道がある。
 女坂の方が正規の登山ルートらしいが、すぐ先のところに倒木があって道がふさがれている。通り抜けられないこともないが、なんとなく通せんぼされているような気がして男坂を取る。
 これが大変であった。
 伐採地のような殺風景な急な斜面につけられたジグザグの道をただひたすら高度を稼いでいく。積もった落ち葉が道を分かりにくくさせていて、木に巻かれた赤いビニールテープの標しがなければ迷ってしまいそう。
 なかなか先が見えない。
 後ろを振り返っても、高い木々にはばまれ、景色は見えない。
 ようやっと周囲の木々が低くなって、日射しが暑く感じられてきたところで、ポンと頂上に飛び出た。目の前にベンチと元社の鳥居と石の祠が見える。
 おもむろに振り返って、思わず叫び声が出た。


 なんという絶景・・・・・。


 左(東)から右(西)まで180度の展望が何にも遮られることなく横たわっていた。正面に来るのは、出発点となった上野原町の簡素な山村風景、そして中央線沿いの山々、道志の山々を中空に挟んで、まさに王者の風格と麗しさですべてを睥睨している富士山。
 疲れが一気に吹き飛んだ。

 これだけの絶景はそうそうにない。
 おそらく、これまで登った100近い山の中でもトップ3に入るだろう。
 ここに社を建てたのも頷ける。ヤマトタケルがまさに一服しそうな場所である。

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生藤山&三国山 015 三国山の山頂はしかし、ここではない。
 元社に向かって右側の道をいったん下ってまた登る20分ほどのところである。
 山頂からの風景も確かに素晴らしいが、元社での絶景を味わったあとではいささか肩透かしの感を否定できない。
 多くの登山者は三国山・生藤山登頂をもって事足りとするだろう。
 もったいない。元社に足を向けるべきである。
 自分も男坂を取らずに女坂を取っていたら、三国山&生藤山ゴールで満足していただろう。やはり、今回は「呼ばれ」ていたのだろう。

 生藤山の山頂は、三国山から5分ほど離れたところにある。それほど広くないし、四方を木々に囲まれている。
 三国山に戻って昼食とする。


 登りはじめてから登頂まで会ったのはオバさま2人。山頂で会ったのは5人。下山途中に会ったのは2人。この日の生藤山は10人くらいが許されたようである。


 下りは別ルートを取る。
 ヤマトタケルが、鉾で岩を打ったら水が湧いてきたという伝説がある甘草水を経て、佐野川峠を越えて、熊野神社で一呼吸。

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 日本人には普通の光景だが、日本の山を登る欧米人にとってみたら、山中に突如として出現する鳥居や社殿は不思議なものだろう。彼等にとって山とは中世までは悪魔が棲んでいる恐ろしい場所であり、近代になってからはアルピニズムの、あるいは開発の対象として、克服すべき木と岩の壁でしかない。

 

 中世、とりわけ十二世紀ぐらいまで「風景を美的に楽しむ者など稀」であり、自然とはまず「原生林や熊の形をした人間の敵」にほかならない(アルノ・ボルスト『中世の巷にて』)。ダンテの『神曲』第一曲においてすら、森は人間の罪深さの象徴である。カタリ派とまったく関係のないところでも、「人間の住まない森や山は悪魔の棲家であり。近寄ってはならない不浄な土地であった」(湯浅泰雄『ユングとヨーロッパ精神』)。 
(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院より)


 一方、日本人を含むアジア人にとって、森や山は神や妖怪が棲んでいる聖地なのであった。国民総幸福(GNH)で有名となったブータンでは、開発は愚か、山登りですら禁止されている。 

 ブータン人は、森にも、川にも、湖にも、その他いたる所に精霊が宿っていると信じている。そして、その精霊の気を害すると祟りがあると信じているので、湖を汚したり、森の木を伐採したり、時としては大声を出したりすることを極力控えている。それは、自然環境保護という意識からではなく、全くの「迷信」に近いものであるが、国民はそう信じることで安らぎを得ているし、無意識的に自然保護に積極的に貢献している。
(ブータン第四代国王の言葉:今枝由郎著『ブータンに魅せられて』岩波新書より)

 昔の日本人もブータン人と同じであったろうが、「迷信」を喪失してしまって久しい。
 
生藤山&三国山 020 山登りは自分にとって、自分の中にある「迷信」を再確認、再発見する機会なのだと思う。ヤマトタケル伝説も神社の力も「フィクション」「非科学的」と分かっているが、どこか否定しきれない、馬鹿にして無視できない自分がいる。
 「迷信」を盲信することはそのまま無明である。
 一方で、そのような「迷信」によって枠を作っておかないと、環境破壊に象徴されるような無鉄砲・無軌道(それは結局自らの首を絞めるものなのだが)を平気で冒すようになってしまう。そんな人間の(自分の)愚かさ、傲慢、欲深さに対する警戒心が、自分の中の「迷信」を存続させているのかもしれない。


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