2008年発行。
曹洞宗永平寺の78世貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師の108歳(!)の人生を綴ったノンフィクション。著者は昭和46年生まれ(41歳)のNHKのディレクター。NHKスペシャルで制作・放映した内容を書籍化したものである。
誰もが自分の欲望を追求し満たすことにかまけている時代、それが最早当たり前になってしまい誰からも非難される畏れのない時代、そんな時代に生涯をただ「座ること=修行」に費やした人物がいたということに驚く。日本中がバブルに浮かれていたあの狂乱の80年代、猫も杓子も教師も坊主もこぞって、やれDCブランドだ、やれフランス料理だ、やれ投機だ、やれボディコンだ、この波に乗じない奴は馬鹿だ、と金ピカの欲望の泡にまみれて正体を失っていた時に、寺に籠もって淡々と質素な生活を送り坐禅と弟子の指導に心血を注いでいた人物がいたのである。
バブルの頃の日本はおかしかった。一億総「躁病」状態になって、この景気が明日も明後日もその後もずっと続くと勘違いしているかのようであった。物質的価値があれほど讃仰された時代はかつて日本にはなかったろう。いかなる時代でも日本及び日本人は精神的価値をなおざりにすることがなかった。神仏への信仰や儒教道徳は言うに及ばず、「お天道様」しかり「武士道」しかり「八紘一宇」しかり。それがすっかり消え失せたのがあの時代であった。
「いくらなんでもこれは変だ。こんなことが長続きするわけがない。」
と内心思っていたけれど、自分もまた「遊びたい盛り」で学校を出て稼ぎ始めたばかりだったので、「今日はイタメシ、明日はオペラ、今度の休暇はモルジブでダイビング」とバブルの末端にかじりついていたのであった。時代に「流された」と言わば言え。
それを恥じているわけでも後悔しているわけでもないけれど、流行や世間の目やマスコミや一般に知識人と言われている人々の言うこと為すことを気にかける必要などまったくないのだ、と今になってつくづく思う。人は自分の正しいと思っているところに随うべきだ。たとえ、どれほど周囲には変人と映ろうと、どれほど孤立しようと。
ただ、「正しいと思っているところ」が本当に「正しい」のかどうか確信が持てないから、人は迷うのである。「正しい」と信じて進んだ道が「地下鉄サリン」だったというオウム真理教信者の現実を我々は知っている。十字軍による大殺戮だったという歴史を知っている。
「坐禅をすれば善き人になる」という本書のタイトルは宮崎禅師の言葉である。「正しい」かどうかを知るためには坐禅をすれば分かるということであろう。
こう言っている。
「三界は唯心象なり」という言葉がお経にある。すべては心だという意味だ。だからいつも自分の体を正しくするというのが大事だ。心を真っ直ぐにするには、坐禅をして静かな心にならなくてはいけない。静かな心になれば心が澄んでいるというのかな、いつも心が落ち着いておる。そうすると正しいことが心になる。正しいことが心になったら、思うことが真っ直ぐになる。思うことが真っ直ぐになると、言うことが真っ直ぐになる。言うことが真っ直ぐになったら、行うことが真っ直ぐにならなくてはならない。
至言だと思うが、オウム真理教の信者達も熱心に修行(瞑想)をしていたはずである。「ただ坐るだけ」では足りないのではないだろうか。それとも、「坐る」以上の行為(麻原尊師への帰依)をしてしまったことが道を誤った原因か。
ブッダは「自灯明、法灯明の教え」を残している。
アーナンダよ、私は内外のわけ隔てなく、法を説いてきました。如来には、もろもろの法に対する師の握拳(秘密の教え)はありません。如来には、弟子たちが私に頼るべき(依存すべき)だという気持ちも、私が弟子たちの頼り(依存の対象)にならなくてはという気持ちもありません。・・・・従ってアーナンダよ、自分を灯にして、自分を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。真理を灯にして、真理を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。(アルボムッレ・スマナサーラ著『日本人が知らないブッダの話』(学研)より抜粋)
続けて、テーラワーダ仏教長老のスマナサーラ師は次のように「自灯明、法灯明」を説明している。
「自灯明」とは、自己を観察することです。身体(身)、感覚(受)、心、その他の現象(法)という四つの側面から自己観察するのです。・・・自分の主観に、自分の思考にしがみついて生きることは、自灯明にはならないのです。・・・・・
法灯明とは何でしょうか?
法(Dhamma)とは真理のことです。真理とは、意見、見方、感想、見解ではない、ありのままの事実です。無数の概念、主観、思考、感情という網に絡め取られている人に、真理は発見しがたい、見えないものなのです。そこで、自己観察する人に、道案内として、ガイドラインとして、すべての真理をお釈迦様が明かされたのです。
要するに、「法灯明」とは、ブッダの教えを理解することです。「嘘をつくなかれ」などの単純な教えから、超越した禅定・解脱の教えまで、すべての教えは「ひとりだち」を目指したものです。その教えに導かれることで、人は苦しみ・悩みを減らして、安らぎ・幸福に達することができるのです。
道元禅師の「只管打坐」がどういうものなのか、浅学にして自分は知らない。自己観察や法の理解を含むものなのかどうか。この本でも、禅や道元(=曹洞宗)の具体的な教えについて書かれてはいない。あとがきで著者が書いているように「禅は文字にして語ることが困難(不立文字)」と言われればそれまでだが・・・。
曹洞宗の気鋭の(とよく形容される)禅僧である南直哉(じきさい)と、スマナサーラ長老の対談本『出家の覚悟』(サンガ)の中で、次のような箇所がある。
スマナサーラ 曹洞宗では、非思量というか、只管打坐ですね。
南 そう言いますね。
スマナサーラ あれは、すごく初期仏教にも合っている単語ですけれどもね。
南 私も「不思量を超えた非思量」とか、「不思量底を(如何が)思量する」と、その問いに対する答えである「非思量」という言い方、そして「非ず」という言い方は、ものすごくよくできていると思いましたね。しかし、道元禅師の解釈も、とてもよくできています。
スマナサーラ けれども私には、ちょっと言いたいことがあるのです。
南 ほう、そうなのですか。
スマナサーラ では、どうすれば非思量に達するのかと。
南 痛いところだ。まことにもってそうです。そのへんの方法論が、極めて非具体的で、不親切ですね。
禅はおそらく、日本の大乗仏教の中でもっともブッダ本来の教えに近いものであると思う。信仰や偶像崇拝を廃し、修行の積み重ねによる実証主義(悟りを目指す)であるところが特にそうである。
そのうち『正法眼蔵』にチャレンジしてみるか。
永平寺にも行ってみよう。
仏道修行というのは、この世に生を受けて、今ここに存在できるということに感謝するところから始まるとも言えるが、さらに言えば、やはりすべてものを大事にせにゃいかん。今の者は、目で見えるものだけしか信じない。だけど、感謝ということは大事や。すべてのものが自分を支えてくれておるという大きな恩を受けて、我々は今ここにおるんやからね。
ある時、禅師様が、『浜までは海女も蓑着る時雨かな、という句があるが、どうせ死ぬと分かっていても、それまでは、とにかく一生懸命に生きるのが人生というものだ』と言われたことがあった。
海女さんは、漁のために浜まで行くのに、雨が降っていると蓑を着て行く。どうせ海に入れば濡れるのだから、蓑など着ないでもいいじゃないか、というのではなく、濡れると分かっていても、浜までは蓑を着て行く。そういうことが大事なんだと。
おそらく禅師さまは、そうした海女さんと同じ思いで、自分の体を大事になされているんやと思う。(宮崎禅師の側近であった中村典篤老師の言葉)
そのようにして宮崎奕保(えきほ)禅師は明治・大正・昭和・平成の世を生き通した、もとい坐り通したのである。