体の贈り物 002 1994年発行。2001年日本語版発行。

 「重い病に侵され、日常生活のささやかなことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。」


 文庫の裏表紙の紹介に惹かれて購入した。連作小説の形をとっていて、一編一編は非常に短い(20ページ程度)ので読みやすそうであったし、タイトルも表紙カバーのデザインもいかしている。
 「ホームケア・ワーカー」とは日本で言えば「在宅介護ヘルパー」だろう。介護の仕事に就く者として何か感じるところ、学ぶところがあるかもと思ったのである。


 読み始めて驚いたことに「重い病」とはエイズのことだった。
 そこで94年という発行年が意味を持ってくる。
 94年はまだエイズは「重い病、治らない病、死に至る病」だったのである。
 日本語版が発行された2001年にはもうエイズは死ぬ病ではなく、糖尿病のような慢性病になりつつあった。分水嶺は97年のカクテル療法の登場にある。ここまで何とか生き延びて来られた感染者だけがその後の人生を得られたのである。血友病治療に使った輸入血液製剤で感染した国会議員の川田龍平はその一人である。
 その意味で、この本を読んでいると何だか(語弊はあるが)「懐かしい」という気がするくらい当時の悲惨な状況を思い起こすのである。
 そう、94年は自分がエイズボランティアを始めた年だった。 


 この小説は著者自身の体験がベースになっているらしい。語り手は、UCS(都市共同体サービス)という名のNPOのボランティアとして、末期のエイズ患者の家を訪ね、掃除・洗濯・買い物・入浴介助・話し相手・料理・食事介助などを行っている。そこで出会うエイズ患者ら数人との交流が淡々と語られる。患者にはゲイが多いが、中には息子や娘や孫を持つ一人暮らしの老女もいる。
 あとがきで訳者も書いている通り、変にドラマチックにお涙頂戴になっていないところが好感持てる。スティグマの強い自罰傾向を生みやすい病を背負い、ADL(日常生活動作)と共に外見も見る間に悪化していき、どんなに懸命に甲斐甲斐しくサポートしたところでゴールは悲惨な死でしかない、という患者達に日々接する語り手が抱く感情は並々ならぬものがあるだろう。それを前面に押し出さずに抑制をきかせている。
 その抑制を作っているのは、語り手の介護人としてのプロ意識であり、介護技術であり、その描写である。もっとも心が揺れ動きそうな、萎えそうな、怯みそうな、くじけそうな、崩れそうな瞬間に、語り手は自ら患者達に行う一つ一つの介護について具体的かつ客観的に描写する。と同時に、自らの心に湧き起こった感情を冷静に観察しコントロールする。
 

 まず両手、両腕から塗りはじめた。それが終わると彼は、「胴をやってもらえますか?」と言った。
 すごく普通の、落ち着いた言い方で、ごく当たり前の仕事を頼んでいる感じだった。私もまさにそういう仕事として考えようとした。ダイニングルームの床を掃くとか郵便をチェックするとかと同じなんだ、病気のせいでこの人の体にできているものなんかじゃないんだ、と。
 そんなふうに考える自分が、彼の病の恐ろしい姿から何とか考えをそらそうとしている自分が恥ずかしかった。 


 彼(キース)はカポジ肉腫らしい。これはエイズの末期症状の一つである。
 語り手は週一回キースのところに通い、軟膏を塗り、食事を用意し、食事介助し、掃除し、話し相手をする。
 何回目の訪問の時、急に容態の悪化したキースを見る。

 結局スプーン六杯分、ジュースを飲ませた。でも六杯目で、喉がゴロゴロと音を立てて、ジュースが一部飛び出してしまった。彼は口を大きく、怯えたようにO字形に開け、クーンと甲高い声を上げた。息が詰まってしまうのでは、と私は慌てた。そんなことをしても飲み込みがスムーズになるはずもないのに、片手を彼の胸に当てた。コップ半分も飲んでないのに。
「大丈夫」と私は言った。「大丈夫、すぐ元に戻ります。とにかく息をしてみてください」


 この数分後にキースは語り手の腕の中で息を引き取るのである。母親の到着を待ちながら・・・。

 肉体的にも精神的にも環境的にも悲惨な状態にいる相手に対して、かける言葉が見つからない時が往々にしてある。「頑張って」も「希望を持って」も「なんとかなるよ」も「大丈夫」も、署名のない約束手形のように、口にした先から相手も自分も裏切っていくように思える。
 そんなときでも具体的な助けはできる。部屋の掃除をしたり、花瓶の水を取り替えたり、マッサージをしてあげたり、シーツを交換したり、欲しい物を買いに行ってあげたり・・・。
 どんなふうにそれを行うかで、何も言わなくとも介護する者の思いを相手に伝えることができる。いや、介護する者の思いが伝わってしまう。
 介護というのは相手に贈る言葉の一種なのだ。

 そんなことを教えてくれる本である。