塀の中のシーザー 2012年イタリア映画。

 一分の隙もない傑作。
 さすがタヴィアーニ兄弟。老いの入舞、白鳥の歌と言ったら失礼か。


 ローマ郊外のレビッビア刑務所で行われている演劇実習。毎年様々な戯曲を囚人たちが演じ、所内の劇場で一般市民に向け披露する。
 今年の演目はシェイクスピアの悲劇『ジュリアス・シーザー』。まぎれもなくイタリア人にとって祖国の英雄である。日本で言ったら、ヤマトタケルか平将門か源義経か織田信長か。原作は知らなくても「ブルータス、お前もか」というセリフは、「あなたはどうしてロミオなの?」と並んで、もっともよく知られているシェイクスピア劇中のセリフであろう。「殿中にござる」と並んで、もっともよく日本人に知られている刃傷沙汰における名文句であろう。


 シーザー暗殺という古代ローマ随一の劇的事件を描いた作品を、末裔であるイタリア人がイタリア語で演じるというところがまず見物、というか聞き物である。
 イタリア語は何と美しくリズミカルで芝居に向いているのだろう。オペラがイタリアで誕生し花開いたことを思えば当然なのだが、感情をきわめて豊かに音楽的に相手に伝えることのできる言語なのだなあと感心する。原作の英語より良いかもしれない。
 イタリア人が演じていることも非常にプラスに感じられる。実際にシーザー暗殺に関わった人たちの風貌や挙措挙動はこんな風だったのだろうなあと思わせてくれる。日本人に日本人特有の動きや表情や姿勢や目つきがあるように、イタリア人にもそれがある。もちろん現代イタリア人と古代ローマ人とでは違っているだろう。でも、他の国の役者が古代ローマ人を演じるよりもやっぱりふさわしいように思うのである。オペラ『蝶々夫人』を見るとき、主役が日本人かそうでないかで全然舞台の雰囲気が違ってくることに似ているかもしれない。 

 血なまぐさいドラマを演じるのが正真正銘の犯罪者たちであるという点がまた面白い。
 陰謀、腹の探り合い、裏切り、仲間割れ、権力争い、二枚舌、大義名分、血で血を洗う殺戮・・・。
 こういった要素がこの劇のエッセンスであるが、これらはまさに演者である囚人たちの半生を彩ってきたものである。それだけに、劇中のセリフの一つ一つがそれぞれの演者の人生とオーバーラップしていく。稽古の最中、ある一つのセリフで過去の出来事を思い出し苦痛で芝居が続けられなくなってしまう。相手役の弄する甘言セリフを、その役者の性格とダブらせてしまい、普段押し殺していた怒りに火がついて稽古場で喧嘩が起こる。
 芝居と現実とが入り混じって、そのたびにリアリティを増していく芝居の質、本物になっていく囚人たちの演技。この演目を選んだ人間の鋭さに感心するが、それよりも何よりもやっぱりシェイクスピアの凄さである。本物の犯罪者に「これとまったく同じセリフを死んだ仲間は言っていた」などと言わせて心のひだに入り込んでしまうシェイクスピアの人間理解、洞察力。よく言われるシェイクスピア複数説も、そのあたりの「何回人生、生きてんだ~?」と思わせる幅広い世間知から導き出されるのであろう。 

 シェイクスピアの凄さに負けず劣らず、囚人たちの役への没入ぶり、芝居への熱中ぶりも凄い。
 獄中の退屈さをつかの間忘れられるという点はあろう。
 が、おそらくそれだけではない。
 元来、才能ある役者と犯罪者には共通したものがあると思う。それは洗脳のされやすさ、自分でない何かに簡単に仮託してしまう「自我」のもろさである。より適確な言葉で言えば「憑依体質」である。この映画はそのことを実証する。稽古が進むに連れ、本番が近づくに連れ、役に同化していき表情まで変わっていく囚人たちの様子は、鏡ノ間で面と向き合いながら役が乗り移るのに身をゆだねる能役者の姿を連想させる。
 演じている間は、自分はシーザーでありブルータスでありアントニウスである。そして役者である。殺害犯でもポン引きでも強盗でもない。犯罪者、社会の落伍者、人生の失敗者、故郷からも家族からも友人からも見放された孤独な男、という現実をしばし忘れることができる。「自分ではない何か」になれる喜びと救いは、彼らにとって強烈なエクスタシーであろう。
 囚人たちのこのつかの間の夢、栄光を支えるかのように、石造りの監獄はあたかも古代ローマの城塞のように、広場のように、路地のように姿を変えていく。モノクロ撮影がそれをバックアップする。


 この映画を老タヴィアーニ兄弟は何故撮ったのだろうか?
 観る者は映画の最後にその答えを知らされる。成功裡に終わった一般市民への公演のあと、看守の手によって独房に戻された一人の役者、一人の囚人、一人の殺害者の口を通して。
 そのセリフこそ、『ジュリアス・シーザー』の中のどの名文句にも劣らないくらいの圧倒的な真実の苦さに満ちている。
 そして、人生における芸術の意味、人類の歴史におけるシェイクスピアやダ・ヴィンチやベートーヴェンの意味を教えてくれる。
 きっとタヴィアーニ兄弟は、自らの長い映画人生を総括したかったんだろう。


 ダニエル・シュミットは『トスカの接吻』(1984年)で、引退した音楽家たちが住む老人ホームを訪れた。シュミットの魔術的なカメラは、灰色の隠遁生活を送っていた老人たちを薔薇色の過去の中に甦らせ、オペラへの愛、芸術への愛、生きることの喜びを回復させてしまう。それはかつて老人たちが持っていたものである。
 『塀の中のジュリアス・シーザー』は、灰色の監獄生活を送っていた囚人たちに、つかの間の喜びをもたらす。
 一方、彼らは芸術を通してはじめて気づくのである。自分たちが人生で手にできなかったものの大きさに。

 彼らが更正しますように。


評価:A-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」       

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
           
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!