反社会学研究報告 2005年発行。

 前著『反社会学講座』(ちくま文庫)がメチャ面白かったので古本屋で購入。
 前著ほどではないが、やはり痛快で胸のすくような内容となっている。
 胸がすくのは、日本社会で「もっともらしい」顔してのさばっている常識や通念や思想や倫理について、その根拠の不確かさを著者の得意とする社会学的手法によって暴き出して、見る見るうちに「裸の王様」にしてしまうからである。そもそも「もっともらしさ」を作っているのもまた社会学的手法(統計や意識調査の結果)であるのが現代なので、著者のやっていることは畢竟、人の欲望や見栄や劣等感や疎外感を糊塗するために、社会学がいかに都合良く利用されているかの種明かしすることである。
 だから、社会学者による「反社会学講座」なのである。

社会問題として語られる論説の多くは、じつは個人的かつ感情的な意見にすぎません。それを客観的かつ科学的な学説に格上げするために、学者のみなさんは世論調査や意識調査の結果を裏付けとして用います。注意していただきたいのは、意識調査の結果からなんらかの結論を引き出すのではなく、なんらかの予測を裏づけたいがために、ほとんどの意識調査が実施されている点です。
 

 つまり、はじめに結論ありき、はじめに目的ありき、なのである。各種の調査は、その目的を合法的に円滑に達成すべく、世間や国民を納得させ反対の声を封じ、税金の投入を「仕方ない」と思わせてしまうための手段として(税金を使って)実施されるということである。「科学的なデータが示しています」という学者の鶴の一声に無知で素朴な民は黙ってしまうからである。
 そのような戦略のもと、官僚の天下り先である特殊法人があまた作られて、日本の借金を天文学的な数字に押し上げてしまったわけである。
 おそらく、今ある特殊法人の9割をつぶしても、本当に困るのはそこで働いている人間だけだろう。(適当に言ってみたが、案外当たっている気がする。どなたか社会学的に検証してくれまいか。)

 著者が「王様は裸だ」と指摘するやり方は、糾弾でもなく、馬鹿にして恥をかかせるでもなく、あざけるでもなく、子供のようにあっけらかんと事実を連呼するだけでもない。より高等なテクニック、すなわち「お笑い」なのである。それがこの本の何よりの魅力となっている。著者自身の言葉を借りれば、「アカデミズムとお笑いを融合した、新たなエンターテインメントの創造」となる。

  思わず爆笑した箇所を引用する。

木製の巣箱とコンクリートの巣箱でマウスを飼育する実験が行われました。木製の巣箱では母マウスは熱心に子育てをしましたが、コンクリート巣箱では子育てをしません。結果として子マウスの生存率に大きな差が開き、コンクリート巣箱では九割が死んでしまいましたーーーという実験結果を私がどこで見つけたかといいいますと、木造住宅の建築を請け負う工務店のサイトです。
 
 それにしても、動物実験や動物行動学をすべて人間に応用できると信じている素朴な人が多いのには驚かされます。牛にモーツァルトの曲を聞かせたら乳の出が良くなったという話を聞いて、社内にモーツァルトの曲を流せば社員がたくさん仕事をするようになるはずだ、と考え実行した社長さんがいるそうです。その会社のOLのみなさんは、「なんでこのごろ、乳が張って痛いんだろう?」と悩んでいるかもしれません。

 能力・学力のある人(ソルティ注:大学院卒業者)をわざわざ敬遠し、四年できっちり卒業予定の、毒にも薬にもならない学生ばかりを採用している現実を目にすると、日本企業の「これからは能力主義・実力主義・成果主義の時代だ」という言葉が口先だけであることがはっきりします。そもそも、実力主義というのは矛盾しているのです。実力主義の会社で、自分より能力のある人間を雇ってしまったら、自分が現在の地位を追われてしまいます。おのれの保身のためには、社長も人事担当者も、自分より実力のない人間を雇うしかありません。こうして実力主義の会社は、無能な人間の掃き溜めと化していくのです。
 
 年金制度が危機に瀕していると騒がれるわりには、政府の改革案はどこか及び腰です。私はかねてから、一億円以上の資産を持つ金持ち老人には年金受け取りを放棄してもらうことで、年金制度は存続可能だとする抜本改革案を提示してきました。しかしそれだと、長年払ったのにもらえないのは納得いかん、とケチな老人の反発を食らうのも必至です。そこで、社長などのお金持ちが、のどから手が出るほど欲しい勲章の出番です。
 毎年一万人に勲章・褒賞をあげると、その費用が三十億円かかります。では、仮に一万人の金持ち老人に年金を放棄してもらい、その気高き公共心を称えて勲章を贈るとしましょう。現在、厚生年金受給者は平均すると年間二百万円ほど年金をもらっています。一万人分なら総額二百億円。それが勲章なら、たったの三十億円で済むのです。

 
 本当の社会学は、人間(観察)学でなければならん、と気づかせてくれる研究報告である。
 「A」をあげよう。