最近知ってショックだったことに「介護保険法第四条」がある。

(国民の努力及び義務)
第四条  国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。
2  国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。

 介護職のクセして介護保険法に目を通したことがなかったのは迂闊というか怠慢であった。ヘルパー2級の資格を取るのに介護保険法の知識は必要なかったのである。
 介護福祉士ならば、国家試験があるから目を通しておかなければならないだろうけれど、ヘルパー2級は講習と実習さえ受ければ誰でも取得できるし、講習の中に介護保険法の条文を読むなどというコマもなかった。
 だが、この介護保険法に則って日本の介護保険制度は動いていて、施設や居宅で多くの老人介護が行われていて、国民から徴収した介護保険料から我々介護職員の給料は支払われているのだから、介護保険法を知らないのは介護職として恥ずかしい。日本国憲法を読んだことのない国会議員みたいなものである。(いそうだな)

 四条の何がショックだったかというと、介護保険を使う以上はリハビリすることが国民の義務とうたっていることである。年齢に関係なく、いくつになってもリハビリし続けなければならないのである。「しんどいからやりたくない」「このまま寝たきりになってもいいから早くお陀仏したい」「多少動けるようになったところで自宅に戻れるわけでなし、ホームから出られるわけでなし。何のためにリハビリするのか」「もう堪忍して」・・・・というような老人のワガママは許されないのである。介護職員はそんなワガママを許してはいけないのである。使えるところが残っているうちは使い回される紙ヤスリのように、老人は最期の最期まで頑張らなければならない。
 もちろん、排泄や食事など人の手を借りるよりは自分でできたほうが良い。そのためにもリハビリは重要である。介護保険法1条にあるように、介護を必要とする者の「尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」支援することが老人介護の基本理念である。そのことに別段文句はない。
 しかし、何か引っかかる。
 なんだろう?

神さまと神社 002 本書は、整形外科医にしてリハビリテーションの専門家である著者が、高齢者のリハビリの重要性、とりわけ著者の開拓分野である訪問リハビリテーションの重要性について、縷々として述べている。
 理屈は納得する。「親を寝たきりにさせない」という思いは当然自分にもある。
 著者は言う。

 人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むことでしょう。たとえ病気になり介護が必要となった場合でも、個人として尊重されたいという思いは変わりません。
 こうした思いに家族として応えるためには、人間としての尊厳を保ったまま生活ができる環境をつくること、そして本人の人生を自分で決め、それが尊重されることが必要だと考えます。

 まったく一分の隙もない。立派だ。文句はない。
 だが・・・。

 他人の世話になることは「人間としての尊厳」を破壊するのだろうか。寝たきりになったら、他人にシモの世話を受けるようになったら、もうそこに尊厳はないのか。
 また、「本人の人生を自分で決め、それが尊重されることが必要」と言うが、本人が「リハビリなんかしたくない。自然にまかせて死にたい」と自己決定したらどうするのだろう? 介護保険はそれを尊重してくれるのか?
 リハビリを国民の義務とすることは、人の老い方・死に方を一つの尺度におさめるような、「良い老人とは一所懸命リハビリする老人です」とでも標語にするみたいな、何か不自由な感じがある。
 「老」「死」さえも国家管理を受けるのか。

 著者に別段文句はない。
 やっている仕事は立派である。書いていることももっともである。
 本書を読んでいて感じる「違和感」はだから本質的に自分の「ひねくれた」ものの見方のせいなのだろう。

 違和感の核はどこにあるのか。
 問いかけてみたら答えが出た
 
 どうやって生きるのか、どうやって死ぬのか、それすらわからないままに、ただただ健康に、なるたけ他人に迷惑をかけずに長生きすればよい、という無責任な考え方にあるのだ。死生観のないままにダラダラと生き続けさせて、その空虚を「その人らしく」「尊厳をもって」という、うわべは立派だが中味は曖昧模糊とした言葉でごまかしている社会の詐称に不快するのだ。
 これはリハビリだけでなく終末期医療にも通じることである。

 本書の最終章のタイトルはこうである。
「尊厳をもって老いさせるために」
 やっぱり不快だ。