八王子城址 001●歩いた日  5月8日(水)
●天気     快晴
●タイムスケジュール
 8:40 JR中央線高尾駅・西東京バス乗車
 8:50 「霊園前」バス停
      歩行開始
 9:10 北条氏照と家臣の墓
 9:20 ガイダンス施設にてビデオ視聴 
 9:50 八王子城跡
       大手門~古道~曳橋~御主殿跡~御主殿の滝
10:30 本丸登り口
11:00 八王子神社
11:15 本丸跡
11:55 富士見台
      昼食休憩(35分)
12:30 出発      
14:00 杉ノ丸頂上
14:20 黒ドッケ頂上
      下山開始
15:20 夕焼け小焼けふれあいの里
      歩行終了
      入浴
16:33 宮の下バス停(西東京バス)
17:00 JR中央線高尾駅
● 所要時間 6時間30分(歩行5時間30分+休憩1時間)
● 歩数   約26,000歩

 八王子城跡は心霊スポットとして名高い。
 その謂われは、豊臣秀吉の関東制圧により落城した際(1590年)の阿鼻叫喚地獄にある。
 城主北条氏照の留守を預かっていた家臣と氏照の奥方を含む婦女子らが、豊臣方の前田利家と上杉景勝軍に攻められて惨死、自刃。城は焼き払われた。御主殿(日常の住居)のそばを流れる城山川は、滝から身を投げた北条の人々の血で三日三晩赤く染まったと言う。
 霊の出没する舞台としてはまさに完璧なシチュエーションである。
 
 自分は「視えない」人間であるが、わざわざ陰惨な、いわくつきの場所に行く趣味も持っていないので、これまで足が向かなかった。
 しかし、八王子城跡を起点とする北高尾山稜には行きたかった。静かな山歩きが楽しめるとガイドブックにはある。
 風薫る5月の晴天くらい霊的現象と遠いものはなかろう。
 たまには歴史探訪も悪くない。

 高尾駅北口から陣馬高原方面のバス(1番)に乗り、霊園前で下りる。石屋と寺が並ぶきれいに整備された道をしばらく行くと、右手に北条氏照の墓へと続く小道が現れる。

 この北条氏は、初代小田原城主の北条早雲にはじまる戦国時代の武家である。鎌倉時代に執権をふるった北条氏(北条政子ら)とは何の血縁もゆかりもなく、その権威ある名前だけ拝借したらしい。旧姓は伊勢と言う。紛らわしいことをする。
 北条氏照は三代目氏康の次男であり、跡目を継いだ兄・氏政と力を合わせ、関東一帯を支配していた。八王子城はこの氏照が築いた山城なのである。
 八王子城の落城により北条氏は滅亡する。小田原城に立て籠もっていた氏政と氏照は切腹する。秀吉の天下統一が成った瞬間である。

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 氏照の墓は竹林の中のすがすがしい場所にあった。怨念や悲嘆や業苦の気配などまったく感じられない。家臣や親族の墓に囲まれて路傍の石と化しているかのよう。墓石の脇から顔をのぞかせるタケノコも愛らしい。
 氏照、辞世の句。

 天地(あまつち)の清き中より生まれきて もとのすみかに帰るべらなり


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 八王子城跡もまた明るく開放的で、緑あふれる気持ちよい空間であった。
 当時のままに残っている石垣がある。この石垣の合間にどうやらマムシが棲んでいるらしい。ところどころに「マムシに注意」の張り紙があった。霊よりマムシの方がよっぽど恐い。
 氏照の館があった御主殿跡は青々とした芝の上に建物の礎石が残るばかり。御主殿隣りには賓客をもてなしたであろう会所を床板部分だけ再現したものがある。ここから月に照らされた枯山水の庭を肴に酒宴を開いたのであろうか。 
 自然と芭蕉の句が浮かんでくる。

 夏草や つわものどもが 夢のあと


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 婦女子や武将が次々と身を投げたという滝は、水量が少なくて迫力がない。おどろおどろしい雰囲気はなく、ひっそりともの悲しい風情である。
 祀られていた観音様が麗しい。


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 八王子神社の第一鳥居をくぐり、山登りのスタート。
 急峻な山道、アップダウンの多い複雑な地形、要所要所に地形を利用して造られた曲輪(くるわ)、関東平野を見渡せる絶好のポジション。なるほど、氏照がここに築城した理由が知られる。
 が、六年かけて築きあげた城の寿命はわずかに3年であった。落城はたった一日のことであった。
 ・・・・・むなしい。

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 山頂には本丸のほかに、この城の守護神とした八王子権現が祀ってある。平安時代の行者華厳菩薩妙行が、この山で修行中に牛頭天王とその眷属である八人の王子に出会ったことが縁起である。「八王子」の名の由来はここから来ている。
 賽銭をあげて拝礼したが、霊験の疑わしいことは歴史が証明している。

 山頂にはテーブルやベンチが置かれ、高尾山や関東平野を眺めながら昼食をとっている男達の姿があった。歴史オタクだろうか。
 城跡を離れ、富士見台まで歩き、昼食とする。

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 新緑の間からのぞく富士山が美しい。名に恥じないスポットと言える。
 ここから見える富士山は、向かって右手近くから順に、陣馬山、秋山二十六夜山、朝日山、杓子・鹿留山を、左手近くから順に、景信山、石老山、御正体山を、露払いとしている。左手奥には蛭ガ丘を頂点とする丹沢の山々が望める。
 世界遺産登録が決まったせいか、今日の富士山は格段誇らしげである。

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 このコースは、どこを終点とするかが問題である。
 行こうと思えば、景信山からの道に合流し明王峠を経て陣馬山まで縦走し中央線藤野駅に下りることもできる。明王峠から相模湖駅に下りることもできる。そこまで行かずに堂所山から陣馬高原下バス停に下りることもできる。
 結局、杉ノ丸(612m)を最高到達点とし、すぐ次のピークである黒ドッケから下山開始し、夕焼け小焼けふれあいの里に下りる、最も短いコースを取った。
 城跡からずっといくつもの谷と山をひたすらアップダウンしてきたので、思いのほか体力を消耗したからである。低山だからと軽く見るのは間違いである。山の高度と疲労度は必ずしも比例しない。
 それでも、新緑と爽やかな風に吹かれ、ウグイスの鳴き声を耳にしながらの山歩きは、健康への感謝を呼び起こさずにはおかない。

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 唱歌『夕焼け小焼け』が生まれたのは八王子上恩方である。作詞者の中村雨紅がこの里のお寺の子供であった。
 この唄にちなんで「夕やけ小やけふれあいの里」と名づけた、農林業などレクリエーション活動が体験できる施設がある。宿泊もキャンプも日帰り入浴もできる。山と清流に囲まれたのどかな環境は素晴らしいが、お世辞にも賑わっているという印象は受けない。
 日帰り入浴(500円)を利用したところ、しばらくは自分一人きりであった。
 温泉ではないが、窓から見える新緑の山に心くつろぐ。

 日が長くなった。夕焼け小焼けを待たずして帰途についた。

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追記:
 八王子城跡のガイド施設でもらった北条氏家系図によると、三代目当主北条氏康には、氏政、氏照をはじめ八人の息子(八王子)がいた。娘は六人で、それぞれ今川氏、武田氏、吉良氏、千葉氏など名だたる戦国武将のもとに嫁いでいる。これは、半場人質という格好の政略結婚であろう。娘を同盟や牽制のための駒として利用するのは珍しい話ではない。
 その中で一人、兄弟の末っ子景虎が上杉謙信の養子として差し出されているのが目立つ。
 調べてみると、上杉謙信は妻帯せず(生涯不犯)四人の息子はすべて武家からの養子であった。
 いろいろな説はあるが、やはり謙信は男色家だったのだろう。
「謙信公のご機嫌を取るのなら、娘を差し出す代わりに、イケメンの息子を差し出せ」というのが、当時の武将達の間での公然の秘密だったのかもしれない。
 景虎は北条一門の破滅を見ることなく、26歳の若さで亡くなっている。
 稚児らしい最期だな。
 って決めつけるな。