2011年デンマーク映画。
ラース・フォン・トリアー監督は、へんてこな映画ばかり撮る。この監督は、キ印か変態かヤク中か精神病患者じゃないかと思うのだが、どういうわけかカンヌグランプリをもらったりして、傑作ヒューマンドラマを取る監督と思われているフシがある。
なんか失礼な言い方をしているようだが、この監督の作品を見るたびに、単純にヒューマンドラマとか芸術大作とくくってしまう世間的評価はズレているような気がしてならない。世界的な名声を得た『奇跡の海』(1996)然り、パルム・ドールに輝いたビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』然り。
不当な評価を得ているというのではない。映画監督としての才能はたいへんなものである。天才と言ってもよかろう。
ただ、その天才性は、多くの人を感動させるヒューマンドラマの名手(たとえばスピルバーグや黒澤明のような)というところにあるのではなく、映画芸術そのものが持つ畸形性をこの監督がそのまま体現しているところにあるような気がするのである。ゴダールのように。フェリーニのように。溝口健二のように。
映画の畸形性とはなにか。
それはショット(画面)の連鎖によって紡がれていく「目には見えない」物語(=プロット)以上に、「目に見える」ショットそのものが図らずも「何か」を観る者に伝えてしまうところにある。物語にとっては余剰であり過剰でもある「何か」こそが、映画を映画たらしめる監督の個性であると同時に花押(かきはん)である。
ラース・フォン・トリアー監督の作品にはその「何か」が豊饒にある。
『メランコリア』も単純な物語としては破綻している。
一見、心の病を負った一人の美しい女性の結婚披露宴とその崩壊をめぐる一連の出来事を追った人間ドラマである。奇天烈な家庭環境に育った主人公ジャスティンの人格障害としか言いようのない奇矯なふるまいが丹念に描かれる。それだけなら物語として破綻は生じない。
ラース・フォン・トリアはそこにどういうわけか、地球に近づいてくる惑星メランコリアの物語を重ねる。メランコリアは最後には地球に衝突し、人類は破滅する。当然、ジャスティンもジャスティンに振り回されている家族も死ぬ。
物語が破綻するのは、地球が破滅するラストが用意されているときに、ジャスティンの結婚式のいざこざとか子供のころの家庭環境に端を発する人格障害なんて瑣末なエピソードは描かれるだけの価値を持たないであろう、と観る者は思ってしまうからだ。
この不可思議なアンバランスは通常なら失敗作と烙印されてもおかしくはない。
にもかかわらず、魅力は満載である。
ピーター・グリナウェイを思わせる映像美。その美を浸透させるワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の用い方。キーファー・サザランド、シャルロット・ゲーンズブル、シャーロット・ランプリングといった魅力たっぷりの錚々たる出演陣。紋切り型をいっさい廃した台詞。
美しい畸形は、ともすれば、美しい健常よりも人を陶酔させる。
評価:B-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!