●天気 くもり
●タイムスケジュール
1日目
14:45 JR中央本線韮崎駅発「増富温泉」行きバス乗車(山梨峡北交通)
15:43 増富温泉峡着
歩行+車
17:00 みずがき山荘着
2日目
07:10 みずがき山荘
歩行開始
08:00 富士見平小屋
08:30 天鳥沢
10:00 瑞牆山頂上
休憩
10:45 下山開始
11:40 天鳥沢
12:20 富士見平小屋
12:45 みずがき山荘
歩行終了
12:55 韮崎駅行バス乗車
13:17 増富の湯
● 所要時間 5時間35分(歩行4時間+休憩1時間35分)
● 歩数 15,700歩
広辞苑によると瑞牆(みずがき)とは「神霊の宿る山・森などの周囲に木をめぐらした垣」のこと。水垣、瑞籬とも書く。玉垣とも言う。
瑞垣と聞くと、万葉集を思い出す。
瑞垣の 久しき時ゆ 恋すれば 吾が帯緩ふ 朝宵ごとに
ソルティ訳
神社の瑞垣が久しい昔からあるように、貴男を恋するようになって随分月日がたってしまったので、ズボンが緩くなってしまったよ。思い煩い日ごと痩せてしまったので。
それこそ久しき昔から伝わる美しい日本語なのである。
瑞牆山は山頂に花崗岩の巨岩が乱立している奇態な景観をした山である。神々しいいでたちの露岩を取り囲むように、九合目あたりまで瑞々しい白樺やミズナラや針葉樹に覆われている。まさに瑞牆という名にふさわしい。日本百名山の一つであり、フリークライミング発祥の地とも言われている。
前日に登山口にある瑞牆山荘に泊まって、翌朝早めに登山開始という計画を立てた。日帰りでも行けないことはないが、久しぶりに山中の暗く静かな夜を味わいたい。
一日目
韮崎に向かう列車の中、なぜか眠くて仕方ない。前日はたしかに遅番仕事で寝たのは夜12時過ぎだったが、6時間は寝ている。疲れがたまっているのか。鈍行列車ののんびりしたペース、心地よい揺れに心身はまどろむ。
大月、山梨、石和温泉を夢見ごこちのうちに過ぎて、ふと気がつくと「しんぷう~、しんぷう~」とアナウンスが流れている。
しんぷう~?
新婦? 神父? 新風?
はっと目が覚めて車内の路線図に歩み寄ると、新府は韮崎の一つ先であった。
しまった! 乗り過ごした。
すばやく手荷物まとめてホームに下りると、民家と畑に囲まれた無人駅。
向かいのホームに回って、上り列車を待つ。
さほど待たずに列車は来たけれど、韮崎駅で降りたときには乗る予定だった山荘行きバスはすでに発車後。
次のバスは・・・・
嫌な予感は的中し、最終となる次のバスは平日はみずがき山荘まで行かず、途中の増富温泉どまりである。
さて、どうしよう。
増富温泉に泊まるか。温泉からタクシーを使うか。
とりあえず山荘に電話する。
事情を説明すると、宿の主人は言った。
「いっそ温泉から歩いてきたらどうですか」
「どのくらいかかりますか」
「2時間くらいです」
「道はわかりやすいですか」
「車道をずっと来れば着きます」
2時間の歩きは長いけれど、温泉からは景観の良い渓谷沿い。夕飯までには宿に着く。
「じゃあ、そうします」
これが災難のはじまりだった。
増富温泉でバスを降りると雲行きが怪しくなってきた。一雨くるかもしれない。
ノースフェイスのレインウェア上下を着て、リュックをビニール袋で覆う。
渓谷の美を撮るためにレインウェアのポケットにデジカメを入れる。
歩き出して10分たった頃に本降りになってきた。
水溜りができる。
瞬く間に、靴の中がぐっちょり。
(防水じゃなかったのかよ~)
15分たった頃、雷が閃き、どしゃぶりになった。
ウェアの中まで水が浸み込んできた。
(防水じゃなかったのかよ~)
20分たつと、道路一面が冠水し、上り道ゆえ前方から自分のほうに濁流が押し寄せてきた。ゲリラ豪雨だ。
もう道が見えない。
目の前もよく見えない。
雨宿りするようなところもどこにもない。
止みそうな気配もない。
このまま行軍を続けたらどうなるかわかったもんじゃない。
温泉まで引き返すか。
しかし、撤退は勇気が要るものだ。せっかくここまで来たのだから、と思ってしまうのだ。まだ半分も来ていないのに・・・。
当然、前にも後ろにも人も車も見えない。
参った。
これはどういう業の報いなのだろう?
それでも重い足を進めて30分たつと、左側に建物が見えてきた。
助かった!
リーゼンヒュッテという公営の宿泊施設である。
フロントに回ると、男性職員がいた。
「ちょっと雨宿りさせてください。トイレも貸してください」
用を足しながら考えた。
この雨ではとても山荘まで無事には行けないだろう。遭難はまぬがれても風邪をひくかもしれない。下手すりゃ肺炎になるやもしれない。
職員に尋ねた。
「今夜泊まれますか」
「今日は団体客の研修があって満室なんです」
天は我を見放したか。
ふたたびレインウェアを来て、リュックを背負い、外に出る。
先ほどより雨足が弱まっている。空も心なしか明るくなっている。
今のうちに先を急ごう。
車道に戻ろうと歩いていると背中から名前を呼ばれた。
男性職員だ。
「山荘に電話したら、ご主人が車で迎えに出たとのことですよ」
ありがたい。
車との出会いを待って車道を歩いていると、後ろからバンがやって来た。
「あれ? どこにいました? 増富温泉まで行ったけど、途中で誰とも擦れ違わないから一体どうしたんだろう、と思いました」とご主人。
標高1500mで連日30度を越す日照り続きで、こんなどしゃぶりはこの夏はじめてだと言う。
話しているうちにも空は明るくなり、雨は小降りになってくる。
結局、一番降りのひどいときに歩いていたのであった。
宿に着いて、身の回りを点検する。
体は別に異常なし。レインウェア、靴、靴下はぐっちょり。衣類も下着まで濡れている。リュックの中まで雨が入り込んで、タオルや財布がびっちょんこ。着替え一式はビニール袋に入れておいたので難を逃れた。
濡れたものは乾かせばいい。
が、レインウェアのポケットに入れてあったデジカメが動かない。
液晶画面に水が入っている。
(防水じゃなかったのかよ~)
今回は携帯で撮影するしかない。
天候のせいか山荘は空いていて、うれしいことに個室に通された。八畳の窓側に二畳ほどの板敷きがついている。落ち着ける部屋だ。食事は味噌汁が旨かった。お風呂は温泉ではないが、広くて気持ちいい。
宿のドライヤーを借りて、必死に靴を乾かした。
二日目
夜通し雨が降っていた。それもバケツをひっくり返したような、猫も犬も大騒ぎするような(It rains cats and dog.)どしゃぶり。
朝起きると、曇ってはいるが雨は止んでいた。
「きょうは持ちそうですよ」とご主人。
寝る前に部屋の窓から夜空を見上げながら、慈悲の瞑想をして、逆雨乞いをしておいたのが効いたのだろうか。
朝食をすませて出発する。
ミズナラや白樺の気持ちいい森を通って、一登り、一汗かいたら富士見平に着く。水場で補給する。その名の通り、木々の合間から富士山が見える。してみると、ご主人が言ったように今日は晴れないまでも降らないだろう。考えてみると、30度を越す炎天よりも曇り空のほうがよいのかもしれない。
小屋の周りには黄色いマルバダケブキ(丸葉岳蕗)がたくさん咲いていた。
瑞牆へは小屋の左手から入る。
下りついたところが天鳥沢。清流がさわやかだ。
ここから一気に険しい岩登りとなる。
水平距離1キロに対して高低差が400mだから40%勾配、傾斜角度は約22度。奥穂高岳の勾配が40.7%というから、かなりのきつさだと分かる。もっとも、前者は山頂まで90分、後者は7時間以上かけて登るのだが。(ちなみに東京の高尾山は勾配約10%を90分、筑波山は約30%を2時間)
はしごやロープを頼りながらの岩から岩へのスリリングな登りが続き、一瞬たりとも気が抜けない。余計なことを考える余裕をいっさい許さない一歩一歩が、まさに「今ここ」に集中するヴィパッサナー瞑想である。山岳歩きが仏道修行となりうるのは、おそらくこのためなのだろう。
頭上にのしかかるような大ヤスリ岩はまるでマツコデラックス。巨躯と存在感に圧倒される。
樹林帯を抜けると、足元の岩に自分の影が落ちた。雲間から日が差してきた。
一登りで山頂に立つ。
花崗岩ばかりの山頂は、釈迦ガ岳や弥三郎岳に似ている。岩の周囲が断崖絶壁となって、下を覗くとお尻のあたりがムズムズとしてくるところも。
展望は言うことなし。
ちょうど登頂したときに、霧が晴れた。
金峰山、軽井沢、八ヶ岳、南アルプス、そして富士山のシルエットが、風に流れる雲の合間から見え隠れする。日も差したり翳ったり。
あたりは2000メートルを超える山だけに許された神聖な気に満ちている。
眼下に見えるのはノコギリ岩。鬱蒼とした緑の海からすくっと起立する様は巨大なモノリスか墓標のよう。または起立した男根か。
「ああ、もう下界に帰りたくない」
そばにいた中年親父グループが呟いた。
下山は来た道を戻る。
急勾配だけにスピードが出る。行きに3時間かかったのに、帰りは2時間。
バスの発車時刻10分前に山荘に帰還した。
途中下車して増富の湯に寄る。
ここはラジウム含有量世界一と言われる。
ラジウム温泉とは「ラドン元素とトロン元素を一定量以上含む温泉」と定義されている。
いろいろな温度に設定された源泉かけ流しの柿色の湯がいくつもある。ぬるま湯に長く浸かるのがいいらしい。
ラジウムは自立神経系の病いによく効くらしい。
そう言えば、昨晩静かな山荘のクーラーや冷蔵庫の音がしない部屋の中で、左耳の耳鳴りに気づいたのであった。
ストレスは仕事のためか。
それとも「瑞牆の君」ゆえか。