2013年刊。
この本は面白い。
筒井功はほかに『漂泊の民サンカを追って』を読んだが、これも面白かった。
この作家は、民俗学の面白さを十分に感じさせてくれる。
それは何かというと、文献や古老への聞き取り、地名や人名、その土地の神社(信仰)や祭事、昔から伝わっている風習やしきたりや伝説などを手がかりとして、ある文化や事物の由来・来歴・いわれ・成り立ち・変容などを探る面白さである。
綿密な調査と取材、自然な論理展開と鋭い分析力、そして深い人間理解を伴った過去を再構成する想像力。それらが揃った民俗学には、優れた推理小説を読むのと同質の面白さがある。恰好の例として、阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を挙げたい。
筒井の本もまた推理小説のように謎解きの興味に読者を引き込む。
しかも、共同通信社の記者をやっていただけあってその文章はわかりやすい。
題材は猿回しである。
60年代首都圏生まれの自分は、テレビや観光地などでたまに見かける猿を使った芸というイメージしかなかったのであるが、昔は縁起物として正月に家々を回り、家人に芸を見せてご祝儀を得ていた。いわゆる門付け芸である。門付け芸をする猿まわしは、60年代初頭に日本から姿を消したとあるから、自分が知らないのも無理はない。
その歴史は古く、中国古代の文献『荘子』や『列子』に猿回しをする芸人として「狙公」という言葉が見られるそうである。日本の文献では13世紀成立の『吾妻鏡』『古今著聞集』までさかのぼれるとのこと。
だが、本来、猿回しの主たる仕事は芸を見せることではなかった。
これまでに紹介してきた文献類からもうかがえるように、猿まわしという職業者の仕事は、もともとは牛馬の祈祷とくに厩祓いを主としたものであった。
どうして、猿に馬を守る力がそなわっていると考えるようになったのか、これに納得できる説明を与えることは、実は今日でも非常にむつかしい。ただ、そのような習俗は古くから中国にも東南アジアにもあって、どうやらインドが発祥地らしいということは、ほぼ間違いがない。
それはともかく、猿は馬の守りになる、馬の病気をふせぎ治すという思想が存在したことは、はっきりしている。のちには大型家畜の牛にも、この考え方は適用されるようになる。その結果、猿を扱う者すなわち猿飼が牛馬の祈祷を職掌とすることになったと考えられる。
すなわち、猿まわしとは牛馬の祈祷に特化したシャーマンだといえる。これが本質であって、猿に芸をさせて喜捨を乞う芸人の姿は、時代が下ってからの転進である。
この本の表紙に使われている写真(上掲)は、新潟県上越市西本町の府中八幡宮にあった「神馬」と猿の木像であるが、まさに猿と馬との切っても切れない親密な関係を表している。
大陸から入った「厩で猿を飼う」という習俗がまずあった。著者は日本では10世紀頃から広く見られるようになったと推定している。その後、猿を連れた猿まわしが大名屋敷を訪れてお厩祓いに勤め、祓いが終わってから余興としてお偉方に猿舞を見せるようになる(江戸時代全盛)。維新後になると、正月を中心に各地に出稼ぎして、家々を回って門付け芸をしたり、路上で大道芸をするようになった。
現代の猿まわしの姿は、この変貌の最終局面(=大道芸)だったのである。
ところで、現在日本でもっとも名前の知られている猿まわしと言えば、村崎太郎であろう。80年代末に「反省する猿(次郎)」のCMで一躍有名になった。以後、文化庁芸術祭大賞を受賞したり、ニューヨーク・リンカーン・センターで公演したり、千葉県市原市に「次郎おさるランド」を開設したり、「徹子の部屋」に出演したり、その半生がドラマ化されてプロデューサーであった栗原美和子と結婚(2007年)したりと、華やかなスター街道を愛猿・次郎と共に歩いてきた。
自分は栗原美和子の書いた『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎2008年刊)を読み、はじめて村崎太郎が被差別部落の出身であること、それに、猿まわしという職業が皮革産業や食肉産業のように伝統的に部落特有の仕事とされてきたことを知った。もっとも、山城新吾の『現代・河原乞食考 ―― 役者の世界って何やねん?』(解放出版社)を出すまでもなく、日本の伝統芸のルーツは「河原者」という知識はあった。猿まわしがこれほど古い歴史を持つ伝統芸であるとは知らなかったのである。
ちなみに、『太郎が恋をする頃までには・・・』は近頃珍しいほど真摯でピュアな恋愛小説である。平成の『破戒』と評されたらしいが、自分はむしろ『ロミオとジュリエット』を、あるいはニコール・キッドマン主演の『白いカラス』(ロバート・ベントン監督、2003年)を連想した。まったくのところ涙なしには読めない。こういう小説こそドラマ化して、近頃のつまらないテレビに活を入れるべきである。
村崎太郎は妻の本と前後してテレビで出自をカミングアウトした。現在は、本業に加え、部落問題に関する講演や啓発活動なども行っている。
さて、筒井は猿まわしという職業が「なぜ差別されたか」を最後に検証している。
遅くとも中世に始まり、そして今日なお日本人を呪縛しつづけている社会的差別の根源は、いったい何に由来するのか。これは被差別部落や中、近世史の研究者のみならず、およそ自らが暮らす社会に多少なりとも関心をもつ者なら、だれしもが意識のどこかに抱いている疑問のように思われる。
この問いに答えるのは簡単ではない。現在、最も有力とされているのは穢れと清めの両語をキーワードとする説であろう。わたしは、それに対してずっと、しっくりしないものを感じていた。それでは、どうしても説明しきれない事実があるとの思いが消えなかったからである。
その例として猿まわし差別や、渡し守差別を挙げることができる。
と、書いているので分かるように、本書での筒井の一番の目的は「猿まわしが差別されるようになった理由」の追求にある。
筒井の出した結論(=仮説)は興味深い。
その差別は詰まるところ、呪的能力者の零落であるというのが私見である。ほかの差別にはほとんど言及していないが、ほぼ同様の視点で理解しうると、わたしは考えている。
猿まわしはもともと共同体のシャーマン(古い日本語で「イチ」という)として、恐れられ祀り上げられていた。
それが時代を経て、人知が進み、人々の間で神の地位が軽くなっていくとともに零落していった。
神の零落は、もっとはっきりした形でイチの身に及ぶことになる。畏敬は、それが消えたとき軽侮に転化しやすい。卑近な例を挙げれば、落選した政治家、成績が落ちたスポーツ選手、人気がなくなったタレント・・・・などのたどる道に通じている。
畏敬と軽侮が入りまじった感情の重心が後者へ移っていくにしたがい、それはやがて差別へつながることになる。
この部分が著者の鋭い人間観察と深い人間理解の表れだと思う。
人は、それまで尊敬し恭順の意を表していた人間が何か失望させるような行為を働いたのを知ったとき、必要以上に容赦なくその人間をバッシングするものである。失望して、単に「普通の人」レベルに相手の地位を修正すればいいと思うのだが、以前に自分が捧げていた恭順の意の裏返しとして持たされていた劣等意識や嫉妬が、反転し、一挙にむき出しになり、相手に向かうのである。
被差別民を指す代表的な呼称の一つに「エタ」という言葉がある。「穢多」と書くので、「穢れにふれることが多い人びと」という意味で生まれた言葉と勘違いされやすいが、実はそうではない。「エタ」という音が先にあって、あとから「穢多」という漢字をあてたのである。
では、語源は何か。
筒井はこう推理する。
エタの本質は呪的能力者にあったと思われる。そうだとすると、エタの語源はイチだということになる。猿や、鹿児島県で蛇の意があるエテも同様であろう。
イチが転じてエタになった。
この見解、当たっているのか、外しているのか。
いずれにせよ、当の猿たちにしてみれば「どうでもいいこと」である。
きっと、くだらない差別に「回されている」人間たちを見て、手を打って笑っていることだろう。