江戸の非人頭 1997年刊行。

 車善七というのは人の名前ではない。
 二重の意味で――。
 まずこれは江戸の非人頭を指す固有名詞である。「人でない(非人)」として身分社会の底辺に置かれ、仕事や居住地を限定され、パンピーより厳しい差別を受けた一群の人々をとりまとめる役が「車善七」であった。いわば役職である。
 そして、歌舞伎の市川団十郎や中村歌右衛門、落語の桂文治や林家正蔵のように、その家に代々受け継がれる名跡でもあった。車善七が亡くなると、長男が家督を相続し襲名したのである。
 同様に、江戸の穢多頭である弾左衛門もまた代々受け継がれる名跡であった。
 車善七を頂点とする非人たちはすべからく、弾左衛門を頂点とする穢多たちの支配下に置かれた。差別される者たちの間にもまた差別があった(ある)。

 本書は車善七について色々な角度から取り上げた研究書であるが、おカタイものではない。現代の浅草周辺の地図を傍らに置いて、フィールドトリップでもするような気持ちで江戸の底辺社会を思い描き、与えられた境遇の中で必死に生きる、顔も名も無い民の声に耳を傾ければよい。吉原が出てくるから言うわけではないが、どちらかと言えば‘風俗’本に近い。
 
 非人と穢多の違いはどこにあったのか。
 これまであまり良く分からなかった。というより深く考えたことがなかったのであるが、「ああ」と納得する文章に出会った。
 昨今廃れてきたとは言え、日本には年始回りの習慣がある。組織の格下の者が上位の者の家を訪問して「今年もよろしくお願いします」とやるのだ。上位の者はそれを当然のこととして待ち受けていて、部下に酒やご馳走を振る舞ったり、帰りに土産を持たせたりと気前のいいところを見せる。
 もちろん、江戸時代にもあった。 
 

 この時代の年始周りは、儀礼的なだけではない。儀礼ではあるが、それだけではない。
 それは、年一度の、支配・被支配の定期的な確認の作業でもある。
 身分社会の再契約なのだ。
 だから、年始は、ピラミッド社会の下の者が上の者の屋敷にうかがう。一段ずつ上の階層に行く。この行為を社会全体でおこなう。(いまでも政界や企業社会にこの名残がある。)
 吉原裏の車善七の家には、重役の「組頭」や、管理職の「小屋頭」が、あいさつにくる。

  配下の者は新しい年を言祝いだあと、「非人掟」の証文にサインをする。字が書けない場合は、爪印をつけたりする。これで、組頭や小屋頭は、一年間のポストが保証されたことになる。それまであたえられていた縄張りを、ことしも維持できる。

 そして、車善七は車善七で、新町の弾左衛門役所に行って再契約をしなければならない。きらいだとか、会いたくないといった問題ではない。


 著者は、車善七と弾左衛門が年の初めに交わした掟証文の内容を紹介している。これが面白い。
 「盗賊やキリシタンは、申し上げます」とか「衣類は木綿以外は着ません」とか「非人の髪の毛を、毎月、切ります」とか全部で15項目あるのだが、そのうちの9番目がこれである。
 

非人は、物を作ったり、商売をしたりしません。


 この9項こそ、すでに述べたように、非人の本質を定義している。生産と商売に従事してはいけない。つまり、近代でいう「労働」を、禁じられた身分なのだ。


 なるほど。ひるがえって穢多をみれば、彼らには「労働」がある。斃牛馬の処理や獣皮の加工や革製品の製造販売、刑吏・捕吏・番太・山番・水番などの下級官僚的な仕事、祭礼などでの「清め」役や各種芸能、草履・雪駄作りとその販売、灯心などの製造販売、竹細工の製造販売など・・・。すべてがすべてというわけではないが、物を作って売って生計を立てることができた。
 一方、労働を禁じられた非人はどうやって糊口をしのいでいたのか。
 非人の主な生業は勧進と言われる「物乞い」だった。他に、街角の清掃、「門付(かどづけ)」などの「清め」にかかわる芸能、長吏の下役として警備や刑死者の埋葬、病気になった入牢者や少年囚人の世話など・・・。
 つまり、都市機能には欠かせないけれども誰も進んではやりたくないような仕事を押し付けられていたのである。現代風に言うならば‘5K’(きつい、きたない、くさい、きけん、きもちわるい)である。
 
 このあたりの事情を見るとき、固定化された差別制度が持つ隠された意図を想像せずにはいられない。
 社会には、「誰もやりたがらないけれども誰かがやらなくては社会がうまく回らない」という仕事がある。たとえば、ゴミ回収、糞尿回収(水洗トイレの普及で今や珍しくなったけど)、下水の清掃、事故遺体・自殺遺体の処理、原発の作業員、死刑執行人、墓場の守り、税金の徴収、感染症の病人の世話、公衆便所の清掃・・・・等々。
 こうした仕事をしてくれる人を見つけるには、現在なら破格の待遇とか福利厚生の良さとか安定性とかで釣ることができよう。今それらの多くが公務員の仕事になっている(民間委託が多いにせよ)ことが示すように、社会のインフラを支える重要な仕事なのだから、税金から賃金を支払うのがまっとうなのである。
 しかし、それでは当然コストが高くつく。
 民主主義の現在ならそれは仕方がないこととして大衆は受けいれる。
 江戸時代はどうだろう?
 幕藩体制のトップに立つ者=為政者は、そんなところに徴収した税をつぎこみたくないに決まっている。自分や取り巻きの取り分を最大限多くしようとするのが身分社会の上位者の信念である。税金を公的事業に還元などとという発想は、それによって自らの権益がより広がる(=たとえば土地開拓によって収穫高が上がる→税収UP!)という目算あってはじめて生まれるのが、殿様たるゆえんである。生産性のないところに金を投資するなんて愚か者のすることだ。
 では、どうすればよいか。
 上記の5Kをやる人間を固定して、それしかできないような(=他の仕事に就けないような)仕組みを作ればいいのである。そして、そのような不自由を強いられるのも因果の為、そのような生まれだから仕方ないのだと、民衆にも当事者にも思わせてしまえばよい。洗脳するのだ。
 洗脳が徹底した暁には、当事者でさえ「こんな卑しい非人の自分でもお上の恩情によって仕事を与えられ糊口をしのぎ家族を養うことができる。ありがたや。」と思うであろう。民衆は「あの人たちは非人だから5Kが当たり前」と思い、5Kに従事し続けることによってますます偏見は深まる。この悪循環が差別制度を強固にする。
 
 本書の最も面白い箇所は、車善七が支配者である弾左衛門に反逆するエピソードである。
 「なぜいつまでも穢多の言いなりになっていなければいけないのか」
 その怒りと反抗が嵩じて、車善七は弾左衛門への恒例の年始回りを拒絶する。面目丸つぶれの弾左衛門はむろん面白くない。
 両者の闘いは、裁きの場に持ち込まれる。
 体制の崩壊を恐れる公(奉行所)が、いかなる裁定を下したかは述べるまでもなかろう。
 車善七の反逆は夜空に輝く一瞬の花火のようなものであった。
 
 でも、花火の残像はこうして三百年後に残るのだからまったく徒労とは言えまい。
 車善七――まぎれもなく「人」である。