1947年松竹。

 明治初期から日本国憲法制定までの約80年間続いた華族制度の終焉を描いた作品。
 楽しみどころはいろいろある。
 たとえば、同様のテーマを扱ったチェーホフの『桜の園』やヴィスコンティの『山猫』(1963年)と比較する愉しみ。西欧を真似た豪奢な屋敷や調度やファッションや上流ならではの流儀などを眩しく見る、あるいは猿真似と気恥ずかしく思う愉しみ。時代の波に翻弄され落ちぶれゆく者の悲哀を見る愉しみ。身分違いを乗り越えて結ばれる恋模様を見る愉しみ。絵に描いたような森雅之のデカダンスぶりに酔う愉しみ。
 だが、一番の愉しみはまぎれもない。令嬢敦子を演じるうら若き(当時27歳)原節子を見る愉しみ、歓びである。
 
原節子 ほんとうに、原節子だけは特別である。
 美しい女優、演技の達者な女優、品のある女優、スタイルのいい女優、笑顔の素敵な女優、セクシーな女優、頭のいい女優、本邦には素晴らしい女優がたくさんいた。が、原節子のような女優はあとにもさきにも存在しない。
 彼女を評した「永遠の処女」という言い方は、今となってみれば、えげつなくて、無礼で、はしたない。しかも差別的である。「永遠の処女・浅田真央」なんてフレーズが、フィギアスケートの試合中継で電波に乗ろうものなら、その解説者は袋叩きをまぬがれまい。時代は変わった。
 しかし、この映画の原節子を見ていると、なんのいやらしさも嘲笑もためらいもなく、「永遠の処女」という言葉が浮かんでくる。
 原節子の美しさは、たとえば顔の造詣とか、意外になまめかしい声の魅力とか、言葉遣いや所作の気品とか、喜怒哀楽一つ一つの表情のアルカイックな深みとか、圧倒的な清潔感、といったところに存するわけであるが、それ以上でもある。その秘密を一言で言うならば「両性的」。
 
 原節子の演じる「女」は、普通の女が持つ「女性性」、他の女優が体現する「女らしさ」、――いわゆる「おんな」を、どういうわけか感じさせない。希薄である。と言って「男っぽい」わけでもない。性別やジェンダーを超えたところにあって、輝いている。だから、彼女を評する「処女」という言葉は「性体験のない女」を意味するのではなく、「性を超越した存在」という意味合いなのである。
 彼女と比較すべき人物を探すなら、やっぱりグレタ・ガルボ。あるいは、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に描かれた美女や美少年。
 この映画でも、ストーリーとはあまり関係ないところで、彼女がボーっと外の風景を眺めてたたずんでいるシーンがある。観る者は、ダ・ヴィンチの絵を彷彿とさせる一瞬の神秘的な美にドキッとさせられる。
 その不思議な色気にゲイであるはずの自分も惑溺するのである。

 
評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」      

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」 

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!