2006年東宝。

 映画を観ながら‘噎び泣く’という経験は滅多にあるものじゃない。
 ほろりとする、涙が自然と頬を伝わる、洟をすすりながら泣く快感に身をゆだねる――などはたまにある。ご多聞に漏れず、歳をとるにつれ涙腺が緩くなってきたので、「お涙頂戴」ドラマとはじめから分かっていても、意外と簡単に刺激されてしまう。
 だが、‘噎び泣く’はそんなにない。
 ‘噎び泣く’には何か魂の根幹に触れるような、映画の主人公やテーマが観る者に特別なシンパシー(共感)が生じさせるような、そんな代替不可能な関係がなくてはならない。

 『嫌われ松子の一生』を観て、自分は噎び泣いた。
 この映画を観た2014年8月3日は自分の人生にとって貴重な一日となった。
 そしてまた、この映画が公開された年から、やっとDVDをツタヤで借りて観ることになった2014年までの8年間というブランクこそが、自分の人生における‘真実’に対する遅滞を表しているような気がするのである。あるいは、表現の先端に対する鈍感ぶりを現しているような気がするのである。
 と、大げさなことをつい思ってしまうほど、この映画を観なかった歳月がもったいない。
 評判は聞いていたのに、どうして観ようとしなかったのであろう????
 いや、そうではなくて、2014年8月3日に観ることに意味があったのかもしれない。それより前に観たならば、これほど感動することはなかったのかもしれない。

 この映画は『西鶴一代女』(溝口健二)、『道』(フェデリコ・フェリーニ)、そして『オズの魔法使い』(ヴィクター・フレミング)を足して3で割ったような印象を受ける。これだけで、凄いキッチュで豊饒だ。
 一人の女性の転落人生を容赦なく描いた点では『西鶴一代女』のパロディーのようである。主人公の川尻松子(=中谷美紀、絶賛!)は、中学校の音楽教師→売れない破滅型作家に貢ぐ女→平凡なサラリーマンの愛人→トルコ嬢→ヒモのチンピラを刺した殺人者→受刑者→ヤクザの情婦→ゴミ屋敷の怪物→河原の死体、と転落の一途を辿る。転落の傾斜角と底の深さでは「西鶴一代女」を上回る(下回る)かもしれない。
 だが、世間的には転落人生でありながらも、本人が常に幸せを求め、絶望的な境遇の中にも希望を求め、愛や友情を信じて立ち直っていくあたりは、『道』に出てくるジェルソミーナ(=ジュリエッタ・マシーナ)を彷彿させる。ここが感動を呼ぶ部分である。
 そして、CGを駆使したメルヘンタッチの映像、安っぽいけれど煌くように心躍る音楽たちをコラージュしたミュージカル仕立てのストーリーテーリングは、『オズの魔法使い』。そこでは松子はドロシーで、松子に暴力を振るう恋人たちは‘ハートのない案山子さん’、‘頭の空っぽなブリキの人形さん’、‘臆病なライオンさん’である。死んだ松子の帰還先は、まさにドロシーの帰還先同様である。
 There is no place like home.
  我が家にまさるところなし

 とりわけ、CGの使い方が素晴らしい。
 ここではCGは、ロケでできない撮影を代替するための手段でもなく、映像美というアーティストの自己満足を達成する手段でもなく、コメディ(お笑い)のための技巧でもなく、中島監督が松子の波乱万丈の人生(=物語)をどう捉え、どう観る者に伝えようとしているかを規定する枠組みとして使われている。すなわち、文体(スタイル)として選び取られている。
 それが可能となるだけの、CGを自家薬籠中のものとして駆使できる能力を中島監督は持っている。
 これは凄いことだ。
 世界を見渡しても、これほどCG技術と物語(テーマ)とを有機的に結び付けられる監督はそれほど多くないのではなかろうか。(って言っても自分には8年のブランクがあるからまったく保証できないが・・・)
 松子の悲惨このうえない転落人生を、溝口のように高踏的にリアリスティックに描くのではなく、フェリーニのように庶民的にユーモアとペーソス込めて描くのでもなく、あえてV.フレミングのようにメルヘンチックに寓話風に描く。
 そのアプローチによってはじめて松子は、「貧乏でデブで臭くて頭がおかしくて周囲から嫌われるだけのグロテスクな年増の怪物」から、「ひたすら愛を求め続け自らに正直に生きたお伽噺上のヒロイン」に成り変るのである。俗から聖へ転身を遂げるのである。
 世間的価値観から外れたゴミのような人間をフィルムで掬い上げ、美しい蝶に変えてしまう中島監督の魔術的な手さばき、すなわち中島監督の松子への愛にこそ、観る者は噎び泣くのである。
 ちなみに自分が一番噎び泣いたのは、天地真理の『水色の恋』が流れたシーンである。


評価:A-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」  

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」  

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!