無知の壁 2014年刊行。

 2003年ベストセラー第一位『バカの壁』を書いた解剖学者と、テーラワーダ仏教(原始仏教)の長老との対談である。
 聞き手の釈徹宗は浄土真宗本願寺派の僧侶で、当ブログで紹介した『いきなりはじめる仏教生活』の著者である。

 最先端科学と原始仏教との相性の良さ(=符合する部分の多さ)をここでもまた確認することになる。
 聴衆を前にした対談(2011年5月に開催された講演会がもとになっている)で、お互いを尊重している二人の演者の話がきちんと噛み合っていることもあり、また釈徹宗が上手に聞き手&進行役をつとめていることもあり、とても読みやすく、わかりやすく、対談にありがちな話題の拡散も見られず、面白くて有意義な本になっている。

 以下、スマナ長老の発言。


●過去でこの身体に触れた情報は、今生きているこの身体には関係ないのです。今の身体と過去の身体は違うものです。「かつて楽しかった」「かつて苦しかった」「かつて強かった」「かつていじめられた」「かつて幸せだった」などは、今生きている身体にはなんの関係もない、どうでもいいことです。七十歳になる人が「かつて若かった」と言っても、「だからなんですか」という話でしょう。しかし、過去の認識データを、すべて自我という錯覚概念で一つの体系にまとめて一本化するのです。それが知識という働きです。過去はすでに消えたのです。再現されません。ですから、まったく不要なものだと思っても差しつかえないのです。


●無知の状態とは、どんな生命も本能的に持っている生存欲(存在欲)の状態です。理性とは着々と学んでいくもので、自分のこと、周りのことを理解するということです。一般人は知識レベルで止まります。知識もまた本能に管理されています。ですから知識はより楽に生きることと、より効率よく敵を殺すことを専門的にやっているのです。理性とは物事を自分中心に考えるのではなく、客観的な事実として調べることです。自分という主観が割り込むと、理性が働かなくなります。理性の代わりに感情が支配権をとります。智慧とは理性という踏み台を使って、人格を向上することです。・・・・・・・
 順番でいえば、本能・感情の衝動で生きることは無知で、物事を学んで生きる能力を上げることが知識で、人格的によりよい人間になることは理性で、人格を向上して本能に打ち勝って、心の汚れをなくすことが智慧ということになります。