初秋のうららかな休日、富士吉田まで足を伸ばして、富士山を仰ぎながら鹿留山~杓子山と縦走し、下山したところにある秘湯「不動の湯」に泊まる予定であった。
 しかし・・・・・。

●日程  9月30日(火)
●天気  晴れときどき曇り
●行程
10:20 富士急行線「富士山」駅・内野行きバス乗車(富士急山梨バス)
杓子その1 00110:40 内野バス停着
      歩行開始
11:40 山の中の送電鉄塔
      道に迷う
12:50 引き返すことにする
14:00 内野バス停
14:40 忍野八海
      昼食
15:40 神鶴橋バス停
      歩行終了
      
●所要時間 5時間(歩行時間4時間+休憩時間60分)


杓子その1 003 鹿留山・杓子山は富士山にもっとも近い山で、山頂からの絶景は多くのハイカーを引き寄せている。当然、道も道標もよく整備されている。複雑なルートではない。「迷うわけがない」と思っていたのである。
 正面に、杓子・鹿留のなだらかな山容を見ながら、歩を進める。
 舗装路が切れ、山道に続く森に入るところで、宅地開発しているのか、森が切り開かれて、道の両側はむき出しの土が山盛りになっている。
 現場の警備をしている白髪頭のおじいさんに注意を受けた。
「先週、熊が出たそうだから気をつけて。鳴り物もっているかい?」
 さっそく、リュックから鈴を取りだして音が出るように結わえ付けた。
「じゃあ、気をつけて。いってらっしゃい」
 気持ちよく送られて歩きだした。

 しばらく、殺風景な造成地を進む。
 なるほど、目の前に熊の絵が描かれた看板が立っている。警備員さんの言うとおりだ。
 「立ノ塚峠」と書かれた小さな道標を道の脇に見ながら、二股に分かれた道を右折して森に入った。
 そこから道らしい道を辿って森の中を進む。最初の分岐点で道標がないのが気になるが、結構幅のあるちゃんとした道なので、上っていく道を選べば間違いないだろう。
 ほら、あそこに人工の階段がある。あれを上りきったら一休みしよう。
 上りきったところに高い送電鉄塔があった。
 持参の『ブルーガイドハイカー中央沿線の山々』に、途中に「送電鉄塔があり、その横を通る」と書いてあるから間違いない。
 ここまでで汗ぐっしょり。息も苦しい。
 リュックを下ろし、鉄塔の脚のコンクリート台に腰を下ろし、一休みする。
 鉄塔の周囲は高いすすきで覆われている。日差しは強いが、空も大地もすっかり秋である。雲がそこかしこに見られるが、天気はまずまず。夜まではもつだろう。
 気持ちが落ち着いたところで、慈悲の瞑想をする。

 生きとし生けるものが幸福でありますように。

杓子その1 004


 鉄塔からは下り道になる。
「せっかくここまで登ってきたのに・・・」と思うが、山道にはよくあること。しばらく下ったらまた登りになって、第一目標の「立ノ塚峠」に着くのであろう。
 しかし、思いのほか長い下りを、途中一つも道標を見ないままに下りきったら、なんと舗装された林道にぴょこんと出てしまった。
 はて????
 右側に新興の別荘地のような建物がある。
 地図にはない。
 手元のブルーガイドは2004年発行。
 10年前である。
 10年のうちに新しい林道や別荘地ができるというのはあり得ることだ。
 林道のどこかに山道への入口があるはずだ。
 と思って、林道を進むが見当たらない。
 途中、すれ違った車の人と、道路工事のおじさんたちに、尋ねてみる。
 「立ノ塚峠ねえ。分からないなあ~。二十曲峠ならこの先だよ」
 と、林道の先を指差す。
  二十曲峠は、杓子山とはまったく逆の方角である。
  どうやら、山道の途中で看板を見落としたらしい。
  引き返して、再び別荘地の横から山の中に入る。
  気をつけて左右を見ながら進むが、道標がない。
 「おかしいなあ??? そうだ。鉄塔のところに別の道があったのに見落としたのかもしれない。」
 さきほど下った道を息を切らし上って、鉄塔まで戻る。
 鉄塔の周囲をめぐるが、それらしき看板も道もない。ススキに隠れているのかと掻き分けて草むらに入ってみる。鉄塔の背後の小高い山に登ってみる。
 それらしき道も踏み跡もない。振り返ると、木々に隠れて鉄塔が見えない。
 これ以上進むと、本当に迷って遭難しそうだ。山道を外れると、それこそ熊と出会うかもしれない。

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 鉄塔に戻って、気持ちを落ち着ける。
 鉄塔違い、なんてことがあるだろうか?
 そうかもしれない。
 山から山へと渡る送電線には、当然いくつもの鉄塔がある。
 ここまで来るどこかで道を間違えて、別の鉄塔にたどりついてしまったのかもしれない。
 正しいのは--と遠くの山腹を見る--あちらの山に見えるあの鉄塔かもしれない。

 時間はどんどん過ぎてゆく。
 もうすでに1時間近くロスしている。
 たとえ、正しい道が判明したとしても、杓子山頂に着くのは午後4時を回るだろう。
 下山した頃には日が落ちている。


 ・・・・・・・。  
 
 引き返そう!
 
 電車とバスで3時間近くかけて来たけれど、数千円かけて来たけれど、今日はあきらめたほうがよさそうだ。

 来た道を戻るところで、また別の道に入ってしまった。
 山道というのは、上るときは道は一つしか見えないが、下るときは分岐が多い。その分岐に道標が立っていなければ、知らぬ間に他の道に入り込んでしまう。そして、上るときに見た景色と下るときに見る景色はまったく別物だから、辿ってきた道がどうか判断がつかない。「遭難したときに下ってはいけない、沢に下りてはいけない」というのは、鉄則である。

 と、目の前に道をふさいでいる倒木があった。
 どう考えても、来るときにこの倒木をまたいだ記憶はない。
 
 分岐まで引き返して、やり直す。
 ようやく、森が切れて、道幅が広くなった。
 最初の造成地のところまで戻った。
   
 警備員のおじいさんは2時間前と同じところに立って、戻ってきた自分を見て声をかける。
「あれ。あんた、杓子山に登ったんじゃないの?」
 事情を説明する。
「そりゃあ、残念だったねえ。でも、おかしいなあ。たくさん人がここ通ってハイキングしてるのに。」

 内野バス停までの道を戻りながら、考える。
 たしかに、おかしい。
 道標がなさすぎた。鉄搭に着くまでまったくなかった。
 人気のスポットにしては不親切すぎる。
 背後の鹿留山・杓子山を眺めながら、腰を下ろして、ブルーガイドを読みなおす。

「このあたりで舗装は途切れ未舗装になる。すこし進むと熊出没注意の看板のあるY字路につくのでへいく。」


 右と、左を、間違えた・・・。


 造成地の分岐で間違えたのだ。
 そのあと道標がないわけだ。
 それでも、たまたま鉄塔に辿り着いたから、間違ったことに気づかなかったのである。
 
 右と左の間違いは、なぜか小さい頃からよくやっていた。
 自分はもともと左利きで、矯正させられたものだから、脳の構造がちょっと変なのかもしれない。
 よもやこんなところでミスするとは。
 しかし、間違って取った右手の道にも「立ノ塚峠→」の表示看板を見た覚えがするのだが、それも脳の異変がもたらした一瞬の錯覚だったのか。

 さて、こういうときに、どう気持ちを立て直すかが重要である。
「残念だ。がっかり。来て損した。休日が台無し。・・・・」と挫折感で残りを過ごしてしまうのは、愚かであるし、もったいない。
「これには何か意味があるに違いない。正しい道を進んでいたら、熊に襲われていたのかも。足を滑らして怪我していたのかもしれない。」
と、考えたほうがトクである。
 慈悲の瞑想までして、こういう結果になったのだから、これはこれで良いとするのが、賢いことである。
 すっぱりあきらめて、悔いを残さずに、次の展開を考えるのが、仏教徒のあるべき姿であろう。 


 内野バス亭から徒歩で忍野八海(おしのはっかい)に行くことにした。
 富士山の伏流水に水源を発する湧き水が、忍野村の中心に8つの池を作っているのが忍野八海である。天然記念物であり、全国名水百選にも選定されている。
 きれいな池が集まっているというだけの、なんてことない観光地なのだが、ともかく外国人が多かった。中国人、韓国人、フィリピン人、インドネシア人あたりか。日本人よりよっぽど多い。外国人にとって、こういう湧き水の群は珍しいのだろうか。


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 入場料を払って「榛(ハン)の木林・民俗資料館」に入ると、雰囲気ははたと変わる。
 格段に人が少なくなり、茅葺き民家(資料館)と池と秋の花畑の風景が広がって、禅寺のような静かで落ち着いた気配が心を静める。
 ここは旧豪族の渡邊氏の屋敷あとである。(写真の屋敷の背景に富士山がある)

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 敷地内にある底抜け池は、泥が厚く堆積し深さ知らずとか。その袂に堂々と立っているのが榛の木だろうか。圧倒的な存在感に心奪われる。何かが棲んでいるかのよう。

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 林の中にちょうど良いベンチとテーブルがあったので、池を見ながら遅い昼食とする。本来なら杓子山頂で開いていたのだが、まあ、ここもロケーションは悪くない。
 おにぎりをほおばっているところに、ずらずらとやって来たのが作業衣を着た男衆7名ばかり。作業を中断してお茶とおやつを持って休憩にきたのである。
 聞くと、屋敷の茅を40年ぶりに葺きなおしているのだという。50代くらいのこの道のベテラン風情から20代の若いアンちゃんまで、伝統技術が受け継がれているのは良いことである。
 忍野名産という蓬団子と巨峰をご馳走になる。
 あとから座に加わった青年が、一緒に和んでいる自分(ソルティ)を「‘新人さん’と思っていた」ということがわかって、大笑い。たしかに、山登りのとき自分はいつもツナギ姿なので、作業員と間違えられてもおかしくはないのである。

 こういう出会いも道に迷ったからこそ。
 やっぱり、今日はこれで良かったのだ。
 
 秋の花々が美しい。

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