日本三大聖天の一つ、熊谷市妻沼(めぬま)にある妻沼聖天山に行ってきた。
熊谷は関東で最も暑い街として有名であるが、さすがに10月、正午間近の熊谷駅に降り立つと、寒くもなければ暑くもなく、散策にちょうどよい爽やかな光に包まれていた。
妻沼聖天院行きのバスに乗って25分。市街地からだいぶ離れた素朴な町中にある。


妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承三年(1179)にお祀りしたのにはじまる。
実盛公は平家物語、保元物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に優れ、義理人情に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤藤六が出家して阿請房良応となり、建久八年(1197)に本坊の歓喜院を開創した。(現地でもらったパンフレットより)






ご本尊は国指定重要文化財であるが、当然、秘仏である。まず、二体の象が抱擁しているものと推測される。
ここの見物はなんといっても本殿である。
妻沼の工匠林兵庫正清の設計によって施行され、25年の歳月をかけ、宝暦10年(1760)に完成したとある。その後、平成15年より平成23年の8年間を要して保存修理工事が施工され、外壁の彫刻は創建当時の華麗な色彩が復元された。
入場料700円を払って本殿の彫刻を、地元のボランティアガイド「阿吽の会」の男性の説明付きで拝観する。(ガイドつきでの拝観をお勧めする)






たしかに見事でユーモラスな彫刻、絢爛たる極彩色の美に驚嘆する。
江戸時代の名匠で日光東照宮の「ねむり猫」で有名な左甚五郎作というが、時代的に合わない。四代目か五代目の左甚五郎ではないかという解釈もある。
この本殿は、平成24年に国宝指定を受けている。日光東照宮の流れにさらに進んだ優れた技術と庶民の浄財により作られたことが、高く評価されたそうである。



浅草の聖天様は、二股大根と巾着の意匠がそこら中に施されていた。祭壇には本物の大根が山と積まれていた。
妻沼の聖天様には、どこにも大根も巾着も見かけなかった。ガイドさんに聞いたところ、二股大根を奉納することはやっているが、国宝の多彩な彫刻群の中にも、境内のどこにも大根や巾着のデザインはないとのこと。聖天様=大根・巾着、とは限らないのだろうか。







本殿から少し離れたところに、良応僧都が開創した聖天堂の別当坊寺院がある。御本尊として十一面観世音が祀られている。
聖天様は、もともとヒンドゥー教のガネーシャ(象の姿の神)で障碍を司る神であったものが、十一面観世音菩薩によって仏教に改宗し、以後、仏教を守護し財運と福運をもたらす天部の神になった、といういわれがある。



さて、なぜ熊谷駅からバスで30分も離れた、他に特に見るべきものもないこんな不便なところに聖天様を建立したのだろう?
――というもっともな疑問の答えは、聖天様から歩いて15分のところにあった。

坂東太郎、こと利根川である。
向こうの土手は栃木県太田市。
つまり、聖天様が創建された鎌倉から江戸時代まで交通の要は水運だったのである。
江戸の頃は、荒川、利根川を上って、たくさんの商人や遊女が聖天様詣でをしていたとガイドさんは言っていた。
そういえば、浅草の聖天様の近くにも遊郭(吉原)があった。
聖天様と遊女――なんとなくいわくありげな組み合わせである。
