2008年発行。
この書は、平成の世になって世間を騒がせた3人の凶悪殺人者にして死刑囚についてのドキュメントである。著者は獄中の3人の死刑囚と長期間交流し、裁判を傍聴し、自ら編集長をつとめる月刊誌「創」を通じて、彼らの「肉声」を世に発信してきた。
3人とは誰か。
宮崎勤(みやざきつとむ)
1988~89年に埼玉県で起こった連続幼女誘拐殺害事件の犯人。
1989年7月 逮捕
2006年2月 死刑確定
2008年6月27日 死刑執行
小林薫(こばやしかおる)
2004年11月に奈良県で起こった幼女誘拐殺害事件の犯人。
2004年12月 逮捕
2006年10月 死刑確定
2013年2月 死刑執行(本書発行後)
宅間守(たくままもる)
2001年6月8日に大阪・池田小学校で起こった児童無差別殺害事件の犯人。
同日、逮捕
2003年9月 死刑確定
2003年12月 獄中結婚
2004年9月 死刑執行
事件から10~20年以上の歳月が過ぎた現在でも、この3人の起こした事件の比類ない残酷さと社会に与えた衝撃は、生々しく思い起こすことができる。3人の風貌(逮捕時の映像)も、それぞれの審判の過程を通して明らかになった特異な生育環境や性格、精神鑑定が必要とされた言動の奇矯ぶりとともに、いまだに澱のように記憶の底に残り続けている。
著者は、3人の死刑囚の共通点を次のように述べる。
力の弱い子どもを犯行の対象にし、精神鑑定で「反社会性人格障害」と診断されたことはもちろん共通だが、それ以外に、例えば3人とも親、特に父親を激しく憎悪していた点である。
3人とも社会から疎外され、社会とコミュニケーションを保てなかった人物だが、彼らにとって家庭とは、家族とはいったい何だったのだろうか。彼らと接触しながら、私は何度もそのことに思いをはせるようになった。
こういった記述から明らかなように、著者は3人が冷酷無比にして凶悪な犯行に至った背景に、環境要因とりわけ家族関係を措定している。
むろん、3人と同じような悲惨な家庭、抑圧的な親、被虐待体験を持ったからといって、すべての子どもが長じて人格障害なり犯罪者なりになるわけではない。むしろ、そうはならない人間のほうが圧倒的に多いだろう。そこには、環境要因に加えて遺伝的要因(気質)が大きく影響するであろう。
また、当人が家庭とは別のところ(地域社会や学校など)で、どのような人と出会い、どのような経験を積んでいくかという、ある意味「運」の良し悪しというものも作用するであろう。
そういった複数の「負」の要因が複雑に重なり合った結果として、3人のような犯罪者が生まれると考えられる。
だが、幼い頃の家庭環境がもっとも大きな要因であることは間違いあるまい。他の要因がすべて「正(+)」であっても、その一つの「負(-)」だけで、すべての「正」を引っくり返すだけの強さを持つであろう。他のすべての要因が「負」ばかりであったとしても、つまり長じて運悪く不幸続きであったとしても、幼い頃の家庭環境が「正」であれば、おそらく人はそれほど破壊的にも破滅的にもならずに、生きていけるであろう。(遺伝子的に反社会的行動しかとれないケースや、殺人を犯してしまうような「カルマ=潜在煩悩」を背負っている場合は別として)。
むろん、だからと言って、3人が犯した罪が免責されるわけでも、許されるわけでもない。
著者もまた、3人との交流によって、また事件の背景や3人の生育歴をくわしく知るに及んで、3人にある種の「情」を覚えているように見える。が、ぎりぎりのところで踏みとどまって、3人を擁護し罪の軽減を主張することはしていない。客観的な姿勢は保たれている。
3人のいまひとつの共通点は、死刑が宣告されたこと、そして、3人とも積極的に死刑になることを希望したところにある。
もともと社会から疎外され、現実社会に自分の居場所がないと思っていた彼(ソルティ注:小林薫)は、自宅に連れ込んでいたずらをしようと考えた幼女が死に至った現実に直面し、これで自分は死刑になるのだと、遺体を陵辱し、母親に「娘はもらった」というメールを送るなど、むしろ残虐な行為に突き進む。(略)・・・法廷ではいっさい争わずに、むしろ「死刑にしてほしい」と一貫して証言した。
宅間守死刑囚の場合は、もっと自覚的に、自分を疎外するこの社会に復讐するために凶悪犯罪を犯した。死刑を宣告されてからも、早く執行してほしいと言い続けて、確定から約1年間という異例の早さで死刑を執行された。
宮崎勤死刑囚の場合も、最期まで死刑判決の意味や、自分の置かれた状況をきちんと理解していたかどうか疑わしい。殺害したとされる4人の幼女や遺族への言葉はいっさいなかったし、むしろ自分は良いことをしたのだという趣旨の言葉さえ口にしていた。
死刑に犯罪抑止効果がないのは科学的に証明されている。
そのうえ、「死刑にされたい」がために人殺しをしたり、より残虐な罪を上乗せしたりする人間がいるのだから、死刑にはむしろ犯罪推進効果がある、というべきだろう。
本書で、著者は死刑制度に対して疑義を呈している。
犯罪を犯した人が「罪を償う」とはどういうことなのか。彼らをどう処遇することが本当の問題解決につながるのか。これだけ動機不明と言われる事件が頻発する現実を見るにつけ、死刑こそが有効で重い処罰なのだという思い込みで現実に対処するのは、ほとんど思考停止というべきではないのか。
「死刑になりたい」から凶悪犯罪を起こした人間を死刑に処するのは、犯人の「思うツボ」だから、死刑ではなく終身刑にして「‘蛇の生殺し’のような生き地獄を味あわせては」という論者もいる。
それに対して獄中の宅間守の行なった反論は冴えている。
そこで考えてみよう。もし国が、私の執行を「本人の思うツボ」だと、いつまでたってもしなかったとしよう。そうしたら、社会にいる無差別殺人をしよう、あるいは、恨みによる複数人の殺人をしようと考えている者は、生け捕りにされたら、何年も何年も不快な思いをさせられると思う。そしたらどうするか。無差別殺人ならその場で自爆する事、自刃する事を考えるであろう。
無差別殺人は、生け捕りにされる無差別殺人より、自らもその場で死ぬ無差別殺人の方が、大量に殺せるのです。
イスラム自爆テロを考えれば、宅間の言うことは事実であると頷ける。
ヒューマニズム(人権尊重)の見地から死刑廃止を訴える者が、何らかの答えを用意しなければならないテーマがここにはある。
すなわち、本人が強く死刑を希求しているときに、「死刑反対」運動をするのは、当人の希望や自己決定に逆らうことになる。獄中の死刑囚を生かそうとする外の人間たちの善意あふれる行動は、本人にとって迷惑千万であり、善意の押しつけになってしまう。死刑より残酷な「生(サバイバル)」を強要するのは、人権の観点からどうなのか。
なかなか死刑を執行してくれないことに業を煮やした死刑囚が、独房で自殺を図ったとしたら、元も子もない。
死刑廃止を訴えるならば、それと共に「では、宅間守や小林薫や宮崎勤のような死刑を希求する人間を、社会はどう処遇していくのか」という代替案が必要であろう。
(ある意味、これは「尊厳死(安楽死)」をどう考えるかというテーマと通底するところがある。)
さて、自分(ソルティ)は死刑制度には反対である。
その理由は別記事でまとめた通りなのであるが、いま一つそこに書かなかった理由を自分の中に発見した。
それは、戦争犯罪との関連である。
上記の3人が行なった犯行は確かに極悪非道である。鬼畜の所業と言ってよい。
しかし、日本人はアジア太平洋戦争中にそれと同じような、いや、それをはるかに上回る残虐な虐待・殺人行為を大量に行なっているのである。
わかりやすい例が731部隊の行なった捕虜(マルタ)の人体実験の数々である。それは実験という名の拷問であった。
731部隊に関わった人々は、戦後、実験結果を戦勝国であるアメリカに引き渡すことを条件に、戦犯たることを免れた。誰一人も処罰を受けなかった。それどころか部隊の幹部連中は、実験で得られた技術を活用し、戦後、医療系企業を設立し金儲けをはかり、また医学会の重鎮となっていく。
戦時中のことで、「お国のために」やったことで、アメリカの利益を図ったがゆえに放免されて、あれだけの残虐行為の罪が帳消しにされる一方で、なぜ一市民が平和時に起こした殺人のために「お国によって」死刑の宣告を受けなければならないのか。
この不条理に自分はまったく納得がいかない。
宮崎勤や宅間守を死刑にするのであれば731部隊の首謀者も(もうほとんどが没しているだろうが)死刑に処すべきであるし、731部隊の殺人者を無罪放免するのならば国は他の誰をも「人殺し」によって裁く権利は持っていまい。
もちろん、このような不条理は日本国に限って言えることではない。
一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄。殺人は数によって神聖化する。
One murder makes a villain. Millions a hero. Numbers sanctify.
byチャーリー・チャップリン