日時    10月17日(金)18:30~
会場    練馬文化センター大ホール(東京都練馬区)
aidaキャスト
 指揮     フランチェスコ・ローザ
 アイーダ  クリスティナ・コラル(ソプラノ)
 ラダメス   ミロ・ソルマン(テノール)
 アムネリス  イレナ・ペトコヴァ(メゾソプラノ)
 アモナズロ ダヴィド・マルコンデス(バス)
 ランフィス   ヴァレンティン・ピヴォヴァロフ(バス)
 エジプト王 アルフォンス・コオリッチ(バス)
 管弦楽&合唱 マリボール国立歌劇場管弦楽団&合唱団
 舞踏     マリボール国立歌劇場バレエ団


 マリボール国立歌劇場はスロヴェニアにある。
 スロヴェニアは、イタリアの右、ハンガリーの左、オーストリアの下に位置し、アドリア海に面した人口約200万人の小国である。国土の58%が森林という自然豊かな美しい国である。
 今秋、芸術レベルの高さで知られるマリボール国立歌劇場が来日し、日本各地で18回の『アイーダ』公演を行う。
 今日は、その初日であった。

 今回の公演の目玉は、世界的なドラマティックソプラノの双璧と言えるマリア・グレギーナとフィオレンツァ・チェドリンスが特別出演(ダブルキャスト)で主役のアイーダを歌うところにある。もっとも、全公演を通してではなく、東京近辺の名の知れた劇場のみで、あとはマリボール歌劇場のプログラムで主役を務めた若手のソプラノによるダブルキャストとなっている。
 もっとも、こうした情報はあとからネットで調べて知ったことで、たまたまどこかのホールで手にした練馬文化センターの『アイーダ』のチラシを観て、久しぶりに生オペラを聴きに行きたいと思い、チケットを取ったのであった。アイーダ役は若手ソプラノである。
 チェドリンスが出ると知っていたなら、それを聴きたかった気もするけれど、おそらく高額なチケットはすでに完売であろう。

141017_1659~01 練馬文化センターははじめてである。
 早く着きすぎたので、近くにある白山神社を詣でてパワースポットとして有名な大ケヤキを見物する。
 樹齢推定900年。1083年、源義家が「後三年の役」で奥州へ向かう際、戦勝を祈願して苗を奉納したと伝えられている。都内最大のケヤキで、高さ19メートル、幹周り8メートル、国の天然記念物に指定されている。枝の先のほうから色づき始めていた。完全に紅葉したら見物であろう。
 神社のご祭神はイザナミノミコト。
 両手を合わせ、慈悲の瞑想をする。
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 『アイーダ』は好きなオペラである。
 まず、舞台が古代エジプト王宮なので、ゴージャスで神秘的でエキゾチックな舞台美術を楽しむことができる。
 第二幕「凱旋の場」においてクレッシェンドしていく管弦楽と合唱のクライマックスは、いつも興奮させられる。第三幕ナイルのほとりでアイーダによって切々と歌われる「おお、わが故郷」のリリシズムも陶酔させられる。
 人質として捕らえられたエチオピアの王女アイーダとファラオの王女アムネリスの、将軍ラダメスをめぐる女同士の火花を散らす争い(ののしりあい)も面白い。
 アムネリス「私からラダメスを奪えるものなら奪ってみるがいい。この女奴隷め!」
 アイーダ 「受けて立ちますとも! 私だって世が世なら・・・・ああ!」
 まるで、一昔前の大映テレビドラマ(『スチュワーデス物語』ほか)のようなエグ味とコクのあるベタな展開に心はやるのは、自分の中のオネエ気質のせい?
 歌唱、管弦楽、バレエ、芝居、服飾、美術、演出、舞台セット・・・・総合芸術たるオペラの真髄をこってり味あわせてくれるのが『アイーダ』である。


 座席は2階席の舞台正面。舞台全体が非常によく見える好位置。料金はA席1万円だった。渋谷のオーチャードホールならきっとS席(2万4千円)扱いになるであろう。1階席はほぼ埋まっていたようだが、2階席には空席が目立った。もったいない。

 舞台装置や演出は、非常にオーソドックスで、気を衒ったところがない。そこが好感持てる。やはりアイーダはゴージャスでなければ。
 あえて独創的な点を挙げるなら、幕開け(序曲)では時を現代とし、エジプトの遺跡を発掘していた考古学者が抱き合っている男女1対の骸骨を発見する場面から始まる。それがつまり二千年後のアイーダとラダメスなのである。
 やっぱり、大映ドラマ風のえぐさ(笑)。
 そこから、時ははるか遡って、古代エジプトに飛ぶ。


 ラダメス役のミロ・ソルマンは、顔立ちも体型も物腰も仕草も声も発声も、悲劇より喜劇向き。大軍を率いるカリスマ戦士というイメージではない。初日で緊張していたのか、声もあまりよく出ていなかった。
 アムネリスのイレナ・ペトコヴァも不調。声が管弦楽に消されてよく響かない。途中、歌詞を忘れたようなところもあった。アムネリスが強靭でないと、この作品は面白くない。最後まで持つかハラハラしたが、最終幕のアムネリスの見せ場では奮起して、愛する男を嫉妬から死に追いやった愚かな哀しい女の苦悩を熱演していた。
 ランフィス、エジプト王は及第点。
 アモナズロを演じたマルコンデスは黒人で、わざと褐色の肌を露出する衣装をまとい、いかにも囚われたエチオピア人って感じを出していた。そこはインパクト大であるが、やはり声が弱い。アモナズロに与えられた非常に魅力ある、アクの強いメロディを御し切れていない気がした。まだ若いためか。
 素晴らしいのはアイーダを歌ったクリスティナ・コラル。他の歌手の不出来を補って余りある見事な歌唱であった。ドラマティックソプラノだから、声が大きいのは当然だが、本当に良く通る、強靭な声で、低い音から高い音までホールの隅々までしっかり響いていた。ピアニシモも美しく伸ばせていた。第一幕のアリア「神よ、慈悲を(Numi, pieta)」の苦悩表現、第3幕のアリア「おお、わが故郷」の叙情表現も上手かった。ただ、ラダメスを色仕掛けで落として戦闘の極秘情報を聞き出す場面は、説得力(=フェロモン)が不足していた。これから女として経験を積んでいくであろう。
 いずれにせよ、この歌手はこのまま行けば国際的なレベルまで行けそうである。なんか、掘り出し物を見つけた気分。

 指揮と管弦楽は、優れた部分と妙にたるんだ凡庸な部分とが交互していた。優れた部分では、登場人物の心象風景が音として表現されているのを(ヴェルディがそのように作ったすごさを)発見する思いがした。
 合唱とバレエは文句なく素晴らしかった。
 全体として、良い舞台であり、良い歌唱であった。

 「あれ???」と思ったのは、観客の反応の鈍さである。
 普通なら拍手が鳴るところで拍手がなく、「ブラボー」が飛び交って然るべきところで無言。喝采の持続時間も総じて短く、「この出来なら3倍長くていいはずなのに・・・。」「いったん引っ込んだ歌手を拍手で引っ張り出してもいいくらいの出来なのに・・・。」とたびたび思った。
 自分一人、頑張って拍手して、「ブラボー」を叫んだが、やっぱり一人じゃシラける。
 「歌手も指揮者も楽団員も奇異に感じているだろうなあ~」と変に気をまわしてしまったのだが、最後の幕が下りると、それまで控えていたエネルギーが噴出したかのように、盛大な喝采が湧き起こった。
 おそらくオペラを聴きなれていない人が多かったのであろう。

 久しぶりに生の舞台に接してつくづく思ったのは、超一流の舞台を家でDVDで観るより、たとえ二流の舞台でも――マリボール歌劇場は二流ではないが――なまで観る(じかに聴く)ほうがずっと良い、ということ。ナマ音の波動を体で受け止めるに如くはない。