男色と破戒の仏教史2008年発行。

 仏教では在家信者が守るべきとして五戒がある。

 1. 生き物を殺さない。
 2. 与えられていないものを取らない。
 3. 淫らな行為をしない。
 4. 偽りを語らない。
 5. 酒や麻薬をやらない。


 出家者にはずっと厳しく、250もの戒がある。タイやスリランカやミャンマーなどの上座部仏教の出家者(僧侶)たちは今もこの250の戒を守って生活を送っている。もちろん、妻帯はご法度である。
 日本の僧侶たちの多くが五戒すら守っていないのは、いまさら指摘するまでもない。
 明治5年(1872年)に発布された「太政官布告」により、僧侶の「肉食・妻帯・蓄髪」が容認されて以降、僧侶が結婚するのも当たり前になってしまった。
 日本では出家と在家を隔てるものがない。せいぜい頭を丸めているか否かくらいか。上座部仏教の国に見られるような僧侶に対する敬愛の念など、伺うべくもない。
 では、江戸時代以前の僧侶たちは、しっかりと戒を守っていたのかと言うと、これまた違うのである。
 本書は、いつのまにか日本仏教界にはびこっていた男色文化を中心に、僧侶たちの破戒の様相と、それを正そうと一部の僧侶が起こした戒律運動の展開について、紹介したものである。

 五戒のうち、1と2と4は守るに難しいものではない。在家信者でも、仏教徒でなくとも、それほど困難なく守ることができるだろう。
 難しいのは3と5である。3は性欲という本能に関わることだからであり、5は依存性に関わることだからである。(3もまた依存性になる。)
 本書で紹介される鎌倉時代の高僧・宗性(そうしょう、1202-1278)もまた、この性と酒におぼれ、破戒と反省と再決心と破戒と反省と・・・・の繰り返しに一生を費やした人であった。
 宗性は鎌倉時代の東大寺を代表する学僧で、いわば功なり名を遂げたエリート僧侶である。
 彼が36歳のときに書いたという五箇条のご誓文がある。
 これが面白い。

 五箇条起請のこと
 一.41歳以後は、つねに笠置寺に籠るべきこと。
 二.現在までで95人である。男を犯すこと100人以上は、淫欲を行なうべきでないこと。
 三.亀王丸以外に、愛童をつくらないこと。
 四.自房中に上童を置くべきでないこと。
 五.上童・中童のなかに、念者をつくらないこと。
 右、以上の五箇条は、一生を限り、禁断すること以上のとおりである。


 「現在までで95人である」ってのに驚くが、それをまた1から数えていたことにも驚く。41歳を超えたら笠置寺に籠って、戒をしっかり守った清い修行生活を送ると決心した宗性であったが、結局守られなかった。資料によると、74歳(!)頃に力命丸という愛童がいたとのこと。精力絶倫だったようだ。

 また、1243年(41歳)のときには次のような誓文を書いている。

 敬白す 一生涯ないし尽未来際断酒すること
 右 酒は、これ放逸の源であり、多くの罪の基である。しかるに、生年12歳の夏より、41歳の冬に至るまで、愛して多飲し、酔うては狂乱した。つらつら、その犯すところの過ちを思うに、さだめて、それ悪道の業である。先非を顧みるごとに、深く後悔を致すものだ。自今以後、尽未来際、永くこれを禁断する。但し、如法真実に病気が難治の時は除く。


 12歳から飲んでいるのだから、はっきり言ってアルコール依存症であろう。なかなか止められるものではない。「病気の時は除く」なんて、最初から抜け道を作っているあたりがなんとも頼りない(笑)。男色のほうもまた稚児の頃に年かさの僧侶たちによって仕込まれたわけだから、筋金入りである。セックス依存になっていたであろう。
 寺院自体が、アルコール依存とセックス依存の患者を生み出す温床になっていたのである。とてもとても戒を守るどころではない。ましてや、他人に戒を授けるなんて・・・。

 それにしても宗性さま。人間らしいといえば人間らしいが、800年後にこんなふうに秘密を暴露されてしまうなんて。草葉の陰でヤケ酒をくらっているのでは・・・。

自戒、自戒・・・。