愛される人敬遠される人1998年国書刊行会より刊行。
2012年角川文庫より発行。

 仏教的観点から説く人間関係の極意。
 通勤電車の中で気軽に読めるくらい、やさしく、わかりやすく書かれている。
 が、やはりスリランカ上座仏教長老の本である。
 一見、女性向け月雑誌かPHP研究所が取り扱いそうな成功哲学風テーマと表装を装いながら、中味ははじめから終わりまで、釈尊の言説からはずれることない骨太の仏教書。
 冷徹な人間観察から導き出された‘ありのままの’事実にみぞおちを突かれるところが随所にある。
 冷徹な人間観察とは、つまるところ、人は無明に閉ざされている
 
 以下、引用。 
 

 世界中でほんとうにつき合いにくい存在というのは人間です。人間はいちばんつき合いにくい。それをまず覚えておいてください。人間には社会性はまったくありません。・・・・・偉そうに「人間というのは社会的な動物だ」などと言う学者がいますが、「何をバカなことを言うのですか」と言いたいのです。
 
 自分のことしか考えない私たちが、なぜ人とつき合いたがるのでしょうか。それは自分のためなのです。つまり自分の利益のために他人とつき合いたがるのです。損をするために人とつき合う人はいません。
 
 人とつき合うときに大切な心構えをいくつかお話しします。まず第一に大切なことは、自分はわがままであると正直にきちんと認め、嘘をつかないことです。
・・・・・・・次に何をどうすればいいのでしょうか。次はとても大切なポイントですからよく覚えておいてください。それは「何があっても驚かない」ということです。・・・・・・私からあえて言うならば、人が人を殺すことも当たり前なのです。一人の人が十人も二十人も殺しても、また当たり前のことなのです。
 
 悟りをひらくということは一般的にも、また仏教でも非常にむずかしいこととされています。しかしそのむずかしい悟りをひらくこと以上に、「人とうまくつき合う」ということは、さらにむずかしいことなのです。
 
 悟りを開くための修行は、少しまじめにがんばれば意外と早く終了できるのです。「生命として解脱をしました」と落ちつくことができます。
 でも残念ながら、「人とつき合う」という修行だけは終わりのない一生の修行です。「もうこれでいい」という終わりはありません。卒業することのない教育なのです。
 
 仏教から言えば、正しい人間関係というのは、「私」の、「私個人」の修行であって、「私」の心を清らかにすることであって、「私」が、「私自身」が立派な人間になることなのです。
 
 心は本来は清らかな仏性だ。神からいただいた魂だなどというのは仏教とはまったく逆の立場です。仏教では、心というのは、真っ暗で、汚くて、臭くて、悪そのものだというのです。心をちょっとでも放っておいたらどれほど悪いことをするか分からないと言うのです。自分の心に対しても、どんな悪いことをするか分からないぞと常に警戒しておくことが必要なのです。