
収録日 2001年1月27日
劇場 ジュゼッペ・ヴェルディ劇場(ブッセート、イタリア)
キャスト
指揮 マッシミリアーノ・ステファネッリ
演出 フランコ・ゼフィレッリ
演奏 アルトゥーロ・トスカニーニ財団管弦楽団&合唱団
歌手 アイーダ : アディーナ・アーロン(ソプラノ)
アムネリス : ケイト・オールドリッチ(メゾソプラノ)
ラダメス : スコット・パイパー(テノール)
アモナズロ : ジュゼッペ・ガッラ(バス)
ヴェルディ没後100周年の命日に上演されたライブ記録である。
演出家のゼッフィレッリと無名の若手歌手たちのワークショップとして企画され、その終了公演として上演された、と解説にある。
だから、出演歌手陣は、本場イタリアの伝統あるヴェルディの名を冠する劇場で、ヴェルディを記念する催しで、目の肥えた本場の観客たちの前で歌うには、考えられないくらい若い。
普通のオペラゴアーの感覚では、アイーダもアムネリスもラダメスも、いいとこ30~40代の脂の乗り切ったベテラン歌手が歌うものという印象がある。顎にたるみのあるいい年したおばさん二人が、下腹の出た脂ぎった中年男を取り合って、恋のバトルを繰り広げる。それも止む無し、というのが普通なのである。これらの役柄を歌って大向こうをうならせるだけの力量を獲得するには、やはりそれなりの歳月と経験が必要であるし、名の知れた劇場ほど失敗は許されないから、安全パイを選択したがる。無名の若い新人に主役級を任せるなんて冒険はそうそうできない。無名では観客も呼び込めない。
そういうわけで、年功序列システムはオペラ業界にも健在なのである。(桁外れの才能と実力のある若者はのぞいて)
そんなわけで、若い『アイーダ』を観たことがなかった。
なんとも新鮮である。
そう、『アイーダ』の主たる登場人物は、若いのである。
アイーダもアムネリスもラダメスも、おそらくは20代の若者である。
これは青春の物語なのだ。青春の夢と野心と恋とプライドと挫折と死の物語なのである。このライブを見て、何より目を開かれるのはそこである。
このDVDには、付録としてゼフィレッリがオーディションで選ばれた歌手たちに演技をつける様子が収録されている。
ゼフィレッリはアムネリス役の歌手に演技をつけながら言う。
「アムネリスは処女だ。彼女にとってこれは人生はじめての恋で、ファラオの王女として欲しいものは何でも手に入れてきた彼女の人生はじめての挫折なのだ。」
これまで『アイーダ』を観てきて、アムネリスが処女かどうかなんて考えたこともなかった。
無理もない。ジュリエッタ・シミオナートやフィオレンツァ・コソットやドローラ・ザジックが処女かどうかなんて、誰が考えようか。
だが、『アイーダ』の主役たちは若者なのである。
エジプト将軍としての栄誉、ファラオの王座よりも、エチオピアの奴隷との破滅的な恋を選ぶラダメス。
エジプト女王としての地位や権力や豪奢な生活も、ラダメスへの叶わぬ恋の前には「なんの意味も持たない」と悟ったアムネリス。
祖国を喪い、家族や同胞を虐殺され、エジプトの人質に捕られて王女としてのプライドもずたずたにされ、それでもラダメスとの愛に希望を見出すアイーダ。
これは青春の無鉄砲、青春の情熱と純粋さの物語なのである。
このライブの素晴らしさは、出演歌手の予想以上の歌唱と演技の質の高さもさることながら、この作品の持つ本質(=青春群像)を再認識させてくれたところにある。