2008年刊行。
光市母子殺害事件の元弁護人による本。‘泣き虫弁護士’という異名を持つ。
光市母子殺害事件とは、1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳1か月の少年Aにより主婦(当時23歳)が殺害後屍姦され、その娘の乳児(生後11カ月)も殺害された上財布が盗まれた。
Aは強姦致死罪容疑・殺人罪容疑・窃盗罪容疑の罪状で裁判となり、死刑判決を言い渡されて、確定した(2012年3月)。現在再審請求中である。
(ウィキペディアより抜粋)
この本を買ったのは、残虐極まりない殺人を犯した少年A(本書ではF君と表記)がいったいどんな人間なのか、どんな背景(生育歴)を持っているのか、そして光市事件の真相はどのようなものだったのか、を知りたいと思ったからである。
当時マスコミがこぞって報じたようにF君は生まれついての「鬼畜」「悪魔」なのか。
レイプや殺人を目的とした計画的犯行だったのか。
そこにはまったく情状酌量の余地はないのか。
当時は、被告に対する集団リンチのようなマスコミの過剰偏向報道、および橋下徹(現大阪市長、当時タレント弁護士)の某番組内での発言をきっかけとして全国的に起きた弁護団への懲戒請求騒ぎに、なんだか薄ら寒いものを感じ、事件報道に近づかないようにしていた。自分(ソルティ)にとって怖いのは常に、一人の冷酷な殺人者よりも、‘感情的でファッショな大衆’である。
手元にある『別冊歴史読本 殺人百科データファイル』(新人物往来社)の記述をみても、F君は今に至るまで反省の色をまったく見せない極悪非道の卑劣な人間として描かれている。死刑になって当然であり、それを回避させる少年法の存在意義を問い質す論調となっている。
実際のところ、どうなのだろう?
F君の弁護団に一時所属し、身元引受人にまでなっている著者・今枝仁から見た被告の姿、事件のあらましはどんなものなのか。
そんな動機から手に取った本なのだが、これが実に面白かった。
‘面白い’などと言うと顰蹙を買うかもしれない。誤解ないように言うと、面白いのは今枝仁の人となりである。面白い今枝仁が書いたものだから‘面白い’のである。
今枝仁は、1970年山口県生まれ。現在45歳。広島弁護士会に所属している。98年司法試験に合格、2000年東京地方検察庁の検察官に任官するも翌年退官し、一転刑事事件の弁護士となる。光市母子殺害事件の裁判が最高裁により破棄差し戻しとなり、広島高裁で差し戻し控訴審が開かれることになった2006年に、安田好弘弁護士を筆頭とする21人の大弁護団に加入、F君と接見を重ねる。弁護団内の意見対立から翌2007年に弁護人を解任されているものの、現在もF君の身元引受人となっている。
今枝はこの本を書いた理由をこう述べる。
思えば、僕とF君との人間関係は、単なる被告人と弁護人との関係を超えた、一人間同士の信頼関係に拠るところが大きかった。僕はこの裁判が終わっても、また、判決でどういう結果がもたらされようとも、彼の命ある限り僕は彼のすべてを見続け、側に寄り添って支えていくつもりだ。F君に約束した通り、僕が見た光市母子殺害事件の真実と被告人F君の人物像、そして、なぜ彼がこのような事件を犯したのかについて、本書において、僕なりの言葉で明らかにしたいと思っている。
本書を出版する一番の目的は、光市母子殺害事件などの問題を通じ、刑事司法の中でその一翼を担うべき刑事弁護とはいったいどのようなものであり、いかに困難を伴った活動であるかを明らかにし、その趣旨や意義を正しく理解した上で評価、批判するべきだということを社会に訴えることにある。
内容は上記2つの執筆理由に十分見合ったものである。
だが、本書の総ページ数の1/3が、著者今枝仁の弁護士になるまでの詳細な生育歴と来歴、つまり自分史であり、そこが面白いのである。
それは今枝の自己顕示欲やナルシズムの発露を意味しているのではない。今枝自身の生育歴のうちに、なぜ今枝がF君をはじめとする刑事被告人すなわち世間から恐れられ嫌悪される凶悪犯罪者を弁護する仕事を選ぶようになったのか、なぜ特にF君にシンパシーを感じ身元引受人にまでなったのかを、読者に理解させるエッセンスが滾っているのである。
学歴社会信奉の父親の期待を一身に受けて育った今枝は、小学生の時から父に連れられ大手進学塾の「模試荒らし」をし、県内1位、全国3位という成績を得る。地元の名門進学校である広島学院中学校に入学、一路東大を目指す。
が、中学3年の頃から、親からも教師からも期待される「完璧な優等生」を演じ続ける無理が心身を蝕み始める。いわゆる過剰適応、またはアダルトチルドレンというやつだろうか。
そして、より今枝少年の心を蝕んだのは、ほかでもない父親からの虐待であった。
父は、僕の勉強以外にも、機嫌が悪くなると家の中の物を引っくり返したり、家族に当り散らしたりしていた。家族に何の非がなくても、父の機嫌が悪いときに訪れる天災のようなものであり、僕たちはその災いが訪れないように祈るしかなかった。家族は、父の機嫌を窺いながらビクビク生活し、突如として現れる暴力に怯えていた。父の僕に対する暴力は、「体罰」を超えて「虐待」と呼ぶに十分なものであった。タバコの火による「根性焼き」の痕は今でも残っているし、顔が真っ青に腫れ上がるまでの「ビンタ100発」などは、先生や友人たちに理由を聞かれても説明に困るほどだった。中学3年生の途中から引きこもりになり、精神安定剤や睡眠薬に頼るようになる。幻覚、金縛りに苦しみ、やり場のない焦燥感から家族に暴力を振るうようになる。
「自分が望んだ訳でもないのに、無理やり勉強させられて新学校に入れられ、人生を狂わされた」、「どうしてくれるんや」、そう叫んでは親を責め、殴り、足蹴にした。小さい頃から親に暴力を受けて育った僕にとって、親に暴力を加えることへの抵抗感はそれほどなかった。エスカレート進学した高校にも通うことなく、ついには自殺を企図し睡眠薬をガブ飲みする。ここにいたって両親もやっと「目が覚め」、福岡にある思春期心療内科病棟に息子を託す。
17歳から22歳までの約5年間を、今枝は同じような心の病に苦しむ同世代の友人たちと過ごすことになる。
僕は初めて、多様な価値観や人それぞれの生き様というものを実感した。
・・・・・・
それまでの僕には、「エリートコースに乗り、優秀な成績を修めて一流の大学を卒業し、恵まれた人生を送る」のが人生の成功であり、そうでない人生は失敗であり不幸だった。しかし、僕が心療内科病棟で見たいろいろな人たちの人生や生き様は、それまでの僕の価値観を根底から否定するようなものだった。難病を抱え、一見、不幸に見えるような状況でも、何気ないささやかな笑顔から窺うことのできる幸福や、当時の僕自身のように心に光が差さず暗闇の中でむやみやたらに手探りで道を探し回って徘徊し続けるような不幸、いろいろな人生やいろいろな幸不幸を垣間見、肌に感じた。
そして僕はそこで長い時間をかけ、自分なりに「生きることと死ぬこと」の意味を学び、自分なりの考えを抱き始め、再出発の準備を進めていった。
高校を3回留年したあげく中退し、大検を取得。医師を目指して勉強するが方針転換して上智大学法学部に入学。学習塾やホストクラブや裁判所で働きながら司法試験の勉強に専念し、その間に学生時代に知り合った女性と結婚、3回目の挑戦で見事合格する。
このような生育歴が今枝仁という男を、そして弁護士を作ったのであった。
僕は、客観的に見ればかなり「突っ張った」弁護士だろう。自分が正しいと思ったら、周囲との摩擦や対立も恐れないし、対立当事者や社会から反発を受けることもまったく辞さない。
犯罪を犯した人、あるいは犯したとされている人たちを、「自分とは違う人種」とばかりに、他人事のように突き放して見ることが僕にはできない。どんな事件のどんな被疑者被告人にも、彼らが人間である以上、やはり顔を見て対話すれば共感できる部分は多少なりともあるし、共感すれば入り込んでしまう。・・・・・・僕が独特で奇異な自分の生育歴を明らかにしたのも、僕の半生や考えてきたこととF君を取り巻く事情に類似した点があることを示し、僕がなぜF君に共感する部分があり「F君を助けたい」と心から願ったのか、少しでも伝えたかったからだ。
と言って今枝は死刑廃止論者ではない。
僕の場合、弁護士になる前に裁判所にいたし、その後は検察官もしていたので、法曹としてはまず被害者や遺族の目線に立ちましたが、誤判の問題は深刻であり死刑の適用については謙抑的になるべきだとは思います。
ただ一方で、やはり、どうしても死刑にせざるを得ない被告人も実在すると思う、死刑廃止論に与することはできないし、現実的にも日本で死刑が廃止できるとは思えません。
そう語りながらあえて弁護人を引き受けたわけだから、今枝はF君の犯罪は死刑に相当しないと考えるわけである。
むろん「永山基準」というものはある。
1968年に起きた連続ピストル射殺事件の犯人・永山則男に対し、最高裁が死刑判決を下す際に、①犯罪の性質、②動機、③殺害方法の残虐性、④被害者の数、⑤遺族の被害感情、⑥社会的影響、⑦犯人の年齢、⑧前科、⑨犯行後の情状――の「9項目」について考察し、やむをえない場合に限り極刑に処すこともある、とした前例(判例)である。④の被害者の数については、3人以上だと死刑という見方が一般的であると考えられている(永山は4人殺害した)。この基準に従うと、母親と幼児の2名を殺害した当時18歳で前科のないF君は死刑にあたらない。
だが、永山基準だけではなく、F君の生育歴にやはり情状酌量すべきものがあると、今枝は思っているようだ。自分もまたこの本で初めてF君の生育環境を知って、「やっぱりなあ」という感を強く持った。
F君の父親は家庭内暴力の常習者であった。F君の実母は夫から一週間の通院が必要なほどの暴行を受けていた。給料も家に入れず賭け事に使ってしまう。1981年に生まれたF君は幼いときから父親が母親に暴力を振るうのを見て育つ。その後、暴力はF君にも向かう。ゴムボートから海に突き落とされたり、浴槽の水に頭を押さえつけられたり、左耳の鼓膜が破れるほど殴られたり、理由も分からず突然襲ってくる父親の暴力に怯え、常にビクビクしながら生活していた。
1993年、F君12歳の歳に、実母は自宅ガレージで首を吊って自殺する。
人生で一番ショックだったのは、母親の自殺だ。母親と僕とはへその緒で繋がっていた。勉強も、母のためだけに頑張った。折りたたみの机で、母が横に座り勉強した。・・・・・・・母が死ぬ前から、僕は生きることへの執着がなくなっていた。母の死により、僕には、『気持ち』そのものがなくなってしまった。母の中に、大切なものを置き忘れてきた。それで、僕には自分というものがなくなってしまった」(弁護側心理鑑定人との面接でのF君の言葉)
心的外傷体験(トラウマ)の存在によって、犯した犯罪が免責されるべきではない。罪は償うのが当然だ。
一方、多くの凶悪殺害者が幼少時に‘魂を殺されるような’被虐待体験を持っているという事実は、そしてその地獄のような環境から子供を救い出す手立てを周囲も社会もまったく講じられなかったという事実は、決して看過されてはならないことである。ある意味で、社会の福祉の欠如が後年になって社会に報復したのが、こうした犯罪の姿なのではないだろうか。カンヌグランプリを取ったドイツ映画『白いリボン』(ミヒャエル・ハネケ監督、2009年)を想起する。
このような考え方は、世間一般的ではないのかもしれない。
だから、光市事件についても誰も責任を取るつもりのない偏向・捏造報道が連日垂れ流しであったし、F君へのバッシングは中世の魔女狩りそのものであった。橋下弁護士の発言によって焚きつけられた多くの視聴者が、自分では事実関係を調べずに、懲戒請求のなんたるかも知らずに、F君弁護団に対して懲戒請求を起こした。
確かに弁護団のマスコミ対応にも稚拙で愚昧なところはあったと思う。
だが、どんな凶悪な殺人者にも裁判を受ける権利はある。弁護人を立てる権利はある。
今枝は現在、橋下徹弁護士に対し、テレビ番組を通じて弁護団への懲戒請求を扇動したとして民事訴訟を起こしている。
まともに刑事弁護活動をしたことがある弁護士なら、刑事弁護というものが、たとえ社会全般から憎まれ唾棄されているような被告であっても、その言い分に従い、誠実に弁護しなければならず、その上で社会から弁護人に対しても批判や痛罵があろうとも、最後の1人になっても被告人を擁護すべき立場にあることを当然理解しているだろうし、刑事事件のマスコミ報道がいかに偏向していて、その報道を鵜呑みにしてしまうことで刑事事件や刑事弁護の本当の姿が歪曲されたり、ときにはまったく見えなくなってしまうという現実も理解しているはずだ。弁護士を肩書きにテレビ番組に出演する以上、こういった刑事弁護の意義や困難性と、マスコミ報道を鵜呑みにすることの危険性を、社会に説明し理解を求めようとするのが、本来の姿ではないだろうか。「被害者や遺族の気持ちを考えたら、そんな凶悪犯の弁護などできないはずだ」という意見があるが、それは違う。おそらくは、そういう人たちの気持ちを推し量り、共感を持とうとする心ある弁護士こそが、弁護士稼業としては何の利益にもならない凶悪事件の弁護を引き受けていくのである。感受性が乏しく、人間味に欠けたような弁護士は、何の得にも成らない凶悪事件を避けるだろう。凶悪事件の弁護人というのは、大体において、想像力に欠けた無神経な人物ではなく、感受性が強く優しい人間が務めているものだろうと僕は信じている。
死刑判決を受けたF君(33歳)は広島拘置所に収監されている。
安部政権下において、どのような判断が下されるのか。
「うちわ辞職」の松島みどり前法務大臣は「死刑已む無し」の人だったようだが、今度の上川陽子大臣はいかに?
今枝仁弁護士の今後の活躍と織田信成に負けない号泣風景を期待しようではないか。