141226_2021~01日時   2014年12月26日(金)
会場   NHKホール(渋谷)
指揮   フランソワ・グザヴィエ・ロト
管弦楽  NHK交響楽団
合唱   国立音楽大学
ソプラノ 安藤赴美子
アルト  山下牧子
テノール 福井敬
バリトン 甲斐栄次郎

 2年ぶりの第9。
 前回のロジャー・ノリントンはことのほか素晴らしかった。
 今回もまた外国人指揮者を選んだ。
 第9に関しては外国人指揮者のほうが‘発見’があるような気がする。(佐渡裕は別格だが・・・)
 
 唐突に話は変わる。
 最近瞑想中にチャクラがよく動く。
チャクラ チャクラとは何か。
 自分流に解釈する。
 人間の体は‘気’に包まれている。肉体の外側だけでなく、内側も含めた全体が‘気’の流れに浸っている。その‘気’がスムーズに流れ、全身に行き渡り、外界の‘気’とうまく接続し、常に循環・対流が起こっていれば、人は健やかでいられる。
 人間の持つ‘気’と外界の‘気’との接続箇所、‘気’の開口部がチャクラである。
 ここがなんらかの理由で詰まっていると、人の‘気’の流れが滞る。身体的・精神的な病気になる。
 人間の体にある主要な7つのチャクラと対応色、場所、心に与える影響は以下の通りである。
       
第1チャクラ ムーラダーラ(赤) 骨盤底      ・・・・・安定感、自信、落ち着き
第2チャクラ スワディシュターナ(オレンジ) 下腹 ・・・・活力、意欲、情熱
第3チャクラ マニプーラ(黄) 腰                ・・・・・集中力、やる気、意志
第4チャクラ アナーハタ(緑) 胸                ・・・・・調和、愛、開放
第5チャクラ ヴィシュッダ(水色) 喉              ・・・・・適切な感情表現
第6チャクラ アージュニャー(藍) 眉間           ・・・・・客観的に見守る
第7チャクラ サハスラーラ(紫)頭頂の少し上       ・・・・・自己を超えた視点
 
 瞑想の最初の頃は第1チャクラがよく動いた。座禅を組んでいると下から突き上げてくるエネルギーに、体がビクンと飛び上がるようなことがあった。
 何年も続けているうちに、第2チャクラ、第3チャクラが活性化してきた。下腹(いわゆる丹田)や腰部がうずくような、くすぐったいような、得体の知れない何かがクネクネとうごめいているような感覚が起こった。 
 連続1時間を越えて瞑想できるようになると、第6チャクラに焦点が集まるようになった。眉間の少し前の空間に黒い穴が出現し、そこに身も心もすべてが収斂されるような感覚が起こる、かと思えばパコパコと信号のように光が点滅する。
 それが過ぎると、エネルギーは今度は頭頂に集まって、綿のティアラあるいはシャンプーハットでもかぶっているような軽い圧迫を頭皮に覚え、頭頂から放出された何か(ドーパミンのような神経伝達物質か?)が顔面の裏側辺りを滴り落ちる。それが、過剰になると法悦状態が訪れる。
 自分の場合、ずっと第4チャクラと第5チャクラの動きが鈍かった。どちらも感情に関わるチャクラである。おそらく昔から感情を抑圧する傾向があり、かつ感情を適切に表現するのが苦手なためであろう。幼少の頃から周囲の視線や思惑を気にし、「好きなものが好き」と言えない(言えなかった)のが関係しているのかもしれない。
 が、ここ数ヶ月、瞑想していると妙にこの二つのチャクラがよく動く。胸のところにある固いフタが溶けて穴が開いて、中に詰まっていた過去のさまざまな感情が外に向かって放出されるような感覚。喉元にアッパーカット食らったみたいに下からぐっと突き上げる圧力を覚え声帯が開くような感覚。介護の仕事をしていて毎日大声出したり、歌を歌ったり、体を動かしたり、認知症の高齢者と理屈でなく感情に焦点を当てた会話をしているのが効いているような気もする。
 もっともチャクラを開くために、あるいはクンダリーニ覚醒するために瞑想をしているわけではない。あくまで、瞑想の目的は‘くだらない’思考を退治し智慧を開発することにある。
 だが、瞑想が体に、というよりも‘気’に影響を及ぼすのは間違いない。あるいは、‘思考’を退治することが‘気’の通りを良くするのであろうか。
 
 さて、チャクラを活性化するいま一つのものが、音楽である。
 音楽=音のバイブレーションもまた、チャクラに影響を及ぼす。
 いろんな音楽を聴いて試したわけではないから一概に言えないが、やはりクラシック音楽がもっともチャクラに効くような感じがする。クラシックのコンサートに行くと、演奏中に楽器の音やあるフレーズに瞬間的にチャクラが反応しピクンと体が動く。客席から飛び上がって、一緒に聴いていた隣席の友人を驚かしたこともある。
 で、もっともチャクラに効くクラシック音楽が、自分の場合、この第9なのである。
(やっと、本題に入った)

 指揮者のフランソワ・グザヴィエ・ロトは1971年生まれのフランス人。はじめて聞く名前、N響との共演もこれがはじめてだそうである。
 派手なところも、奇抜なところも、聴き手を唸らせるような目覚しい解釈こそないけれど、軽妙洒脱で品があって丁寧な音づくりが好感持てる。きっと、人格的にも素晴らしい人なのだろう。
 何より凄かったのが、最初から最後まで聴き手のチャクラを刺激しまくるのである。
 第一楽章の多彩な展開部は主として胸のアナーハタチャクラをうずかせ、第二楽章のスケルツォは眉間のアージュニャーチャクラを直撃し、第三楽章のアダージョは睾丸の裏あたり、いわゆるアリの門渡りをくすぐったいような恥ずかしいような快感で刺激し、それがメロディの高まりと共に頭頂へと押し上げられる。そして、合唱つきの第四楽章はすべてのチャクラを代わる代わる刺激して、最後は全身の‘気’の詰まりがすっかり取れて、流れがスムーズになって、新陳代謝したかのように気力が蘇えった。
 まるで、音による全身マッサージを受けたかのようで、NHKホールをあとにして師走の渋谷の街を駅に向かって歩くときは、来るときとは見る景色がまったく違って見えた。
 来るときは、渋谷駅に着いて代々木公園まで人ごみの中を歩いただけで、全身から‘気’が奪われ、疲れ果てていた。「きっと、今日のコンサートはずっと寝ているだろう」と思った。
 が、帰りはすべてがなんだか輝いて見えた。街も人も夜の空も。
 こうしたチャクラ活性効果が、フランソワ・ロトのおかげ(腕前)なのか、それとも聴き手の自分の体がたまたまそういう敏感な状態にあったためか。
 どうなんだろう?
 
 すくなくともベートーヴェンだからこそ、ってのだけは間違いあるまい。

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