池袋演芸場とき  2015年1月27日(火)18時~
ところ 池袋演芸場
演目  「猫と金魚」    柳家花いち
     「たまげぼう」   柳家かゑる
     「三方一両損」  柳家鬼〆
     「鮑のし」     柳家喬の字
     「妾馬」      柳亭市弥

 晩飯を食う店を探して池袋西口(東武側)をウロウロしているところ、演芸場の前を通りかかり、何かに惹かれるように入ってしまった。入場料(木戸銭)1000円という価格も魅力であった。
 これまでプロの噺家によるナマの落語は見たことあるし、吉本のなんばグランド花月にも足を運んだことはある。だが、落語専門館いわゆる‘寄席’に入るのは人生初めて。
 体が笑いを必要としていたのか。
 それとも・・・・。

 途中からの入場。地下2階への階段を下りるとロビーには今やっている高座の音声が漏れ聞こえている。
 そっと扉を開けて場内を見渡すと、驚いたことに場内(93席)は8割がた埋まっていた。
 平日の夜でもあるし、現在落語がそんなに人気だなんて思っていなかった。それに、本日は「二ツ目勉強会」と銘打っている通り、前座と真打ちの中間に位置する「一人前ではあるがまだトリをつとめる力量はない。『笑点』をはじめとするテレビ出演にもそう簡単にはお声がかからない」若手たちの勉強会。落語ファンはともかく一般には名前や顔の知られている演者はいないはず。
 ?????
 空いている席を探す。舞台向かって右側、いわゆる上手の後ろのほうに腰かける。
 
 現在かかっているのは3人目の柳家鬼〆という若手の落語家。
 タカ&トシの片方のようないがぐり頭の威勢のよいアンチャン。口角泡を飛ばし一所懸命つとめている。ネタ(三方一両損)の内容も知らないし、途中からなので、いまひとつノレない。
 場内を見渡す。
 中高年が多いのは予想していたが、意外にも女子高校生と見まがうような若い女性もちらほらいる。勤め帰りのサラリーマン、OL、カップルの夫婦(愛人?)、しきりにメモを取る常連らしき人々。時折笑い声が上がって、なるほどさすが寄席。映画館とも芝居小屋ともコンサートホールとも異なるリラックスしたムードである。
 仲入り(休憩)をはさんで、残り二人の出番。
 
 柳家喬の字(やなぎやきょうのじ)。
 ちょっとふてぶてしい、と言うかしたたかな顔つきの実力派。
 演目に入る前の客席との‘波長あわせ’いわゆる‘まくら’がうまい。「自分の出番中にいつも携帯電話が鳴るんです」といった日常的な話で親しみ感・一体感を作り出す。そこからおもむろに演目に入る。
 うまい。
 声の出し方、登場人物の演じ分け、抑揚、大小、緩急、間の取り方。
 表情の変化、無駄のない・観る者を疲れさせない動き、扇子の使い方。
 最初から最後まで客を飽きさせないリズムを知っている。
 日夜、相当研究を重ね、稽古を積んでいるのだろう。
 さすが二ツ目である。
 調べてみると、彼は柳家さん喬の門下で、もともとはなんと(!)福祉畑で働いていた。福祉施設で8年間勤務し、介護福祉士・ケアマネ・社会福祉士を持つ三冠王、自分(ソルティ)の先輩である。ボケ役の上手いのも頷ける。しっかり認知症老人を観察していたのだろう。レクリエーションの名人だったことだろう。
 老人ホームや自治体主催の介護予防教室等でも講演(落語や漫談)をしているらしい。次は、そういったネタを聞きたいものだ。
 
 柳亭市弥(りゅうていいちや)。
 四代目柳亭市馬(りゅうていいちば)の弟子である。
 喬の字がかなり出来が良かったので、「このあとに出るのはつらいだろうな」と思った。
 お囃子にのって現れたのは、なんとまあ、紋付はかま姿も初々しい、人の良さそうなイケメン。しっかりして頼りがいがあるというより、支えてあげたくなるような母性本能をくすぐるような、いいとこの坊ちゃんタイプあるいは与太郎タイプ。
「へえ~、彼がトリか、大丈夫かな・・・」(すでに母性本能くすぐられている)
 ‘波長あわせ’はうまい。自分の足りなさ加減をネタにして笑いをとっていく。観客を味方に引き入れる。

 喬の字が技巧と計算の努力家とすれば、市弥は素材と才能に恵まれた天才肌ではないだろうか。
 たぶん、喬の字は何をやっても常に質の高いレベルの高座が保てると思う。安定した笑いを生み出せると思う。一方、市弥は技術も客席との駆け引きもうまいことはうまい。が、それ以上に何か神がかり的なものを感じさせる。噺の最高潮の場面で、どうも登場人物が市弥に‘憑依’しているのではないかと思わせるような、役への没入が感じられる。その瞬間こそ、市弥がもっともオーラに包まれる時であり、観客が演者の姿以外まったく目に入らなくなる時である。(目がはなせない!)
 演目の「妾馬」は、殿様に見初められて輿入れし目出度く懐妊した妹に会いに行く、やくざでちょと抜けている兄貴・八五郎の話である。礼儀も作法も口の利きかたも知らない貧乏長屋の八五郎が、立派なお屋敷に出向いて殿様にお目にかかり、ご馳走になる。この対極的な世界のギャップが笑いを生み出す。
 八五郎が普段呑んだことのないような極上の酒を口にしたあたりから、‘憑依’は始まる。
 お坊ちゃま風情(世田谷生まれ、玉川大学出身、広告代理店で働いていた)で、31歳(1984年生まれ)にしてあどけなさの残る市弥が、貧乏で酒飲みで礼儀知らずで不調法な(だが母親と妹思いの)八五郎として、まったく違和感ない。八五郎がそこにいてくだを巻いているのに観客はつきあってしまう。
 なぜなら八五郎の心が演じられているからである。
 これは計算や稽古ではなかなかできないことであろう。
 喬の字が姫川亜弓とすると、市弥は北島マヤである。(だから、彼の欠点はおそらくうまく仮面がかぶれなくなった時であろう。)
柳亭市弥 噺が済んだあと、客席の中年女性が舞台上におひねりを乗っけていた。特定ファンがついている。若い女子たちもそうなのだろう。
 
 この容姿。この芸。
 おじさん(ソルティ)もすっかりファンになってしまった。
 また、会いに行くからな~。
  (from 紫の薔薇族の人) 

紫の薔薇