2013年サンガ刊行。
浄土真宗は仏教か

  この本は、聖徳太子爾来1400年以上の脈々たる伝統を持つ日本仏教界に投げ込まれた手榴弾、いや時限爆弾である。これほど革新的な書はそうそうになかろう。その影響は、単に出版直後に「日本仏教界に物議をかもした」とか「ネットで炎上」といったレベルではなく、この書がいずれ新書化され、文庫化され、電子書籍化され、英訳され、時を重ね版を重ねていくに連れて、患部に貼ったサロンパスのようにじわじわと効き目を顕わし、日本大乗仏教の滔々たる流れを変えた最初の杙の一本として、著者の類いまれなる勇気と仏教への揺ぎ無い信心に対する賛嘆の念とともに、その真価を唱えられ称えられることであろう。
 著者が懇意にし共著も出している日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老もまた『般若心経は間違い?』(2007年宝島社刊行)という極めて過激で挑発的な本を出している。こちらは手榴弾というより殴りこみに近い。控えめに言っても果たし状だ。それも日本仏教界のみならず、仏教を愛するすべての日本人への。般若心経は日本人が最も好きなお経であるから。
 だが、いかほど出家生活の長い偉そうなお坊さんであろうとも、結局のところ「外人」で「小乗仏教徒」に過ぎない。おそらく、多くの読者は「そのとおり。般若心経はおかしい。もう読経するのも写経するのも止めよう」とは思わずに、「やっぱり、小乗の人には大乗が理解できないのだろう。やっぱり、外人には般若心経を愛する日本人の心が理解できないのだろう」と思ったのではないか。あるいは、般若心経の内容の真偽を云々できるほどの智慧のある人など――つまりそれは「悟った」人ってことになろう――滅多にいないだろうから、そもそも反論のしようもないのかもしれない。
 それに比して、著者の藤本晃は、日本人であり、山口県にある誓教寺という浄土真宗のお寺の16代住職である。つまり、生粋の(?)大乗仏教徒である。その男が、「浄土真宗は仏教なのか?」と内部批判めいた問いを発し、ひいては「日本にそもそも仏教はあるのか?」と神をも恐れぬ、いや仏をも恐れぬ大胆不敵なことを言い放つのである。
 この反乱は当然無視できるレベルではなかった。

 誓教寺は浄土真宗西本願寺派に属する末寺であった。よくは知らぬが、日本のお寺の組織は典型的な上意下達のピラミッドで、本山(浄土真宗の場合、京都の西本願寺)→教区→組(そ)→一般寺院というヒエラルキーの中、上からの命令には逆らえない、人事に口出しできない、勝手をやって上の逆鱗に触れようものなら破門のうえ僧籍剥奪、家族ぐるみで寺から追放の憂き目もあるらしい。というか、藤本晃はまさにテーラワーダ仏教との親交(スマナサーラ長老を自寺に呼んで説法や瞑想会を開催していた)が原因で、組と教区の不興を買い、「小乗との縁を絶って浄土真宗の法義の興隆につとめるか、さもなくば宗門を改めて家族ともども寺から出て行くか」の二者択一の最後通牒を突きつけられたのである。
 結果、この書が刊行される2年前の2011年、藤本晃は西本願寺派を脱退し、誓教寺は浄土真宗の単立の宗教法人になった。つまり、独立したってことだ。このあたりは、あとがきにくわしい。(あとがきが面白すぎる!)

 こうした経緯があるゆえに、本書で藤本は自らの思うところを臆することも遠慮することもなしに、歯に衣着せずに語っている。もはや宗門の幹部たちの顔色を気にする必要も、他の大乗仏教系の宗派との軋轢も気にかける必要もない。大切なのは、仏教の真髄(=法)を守り生きること、そして寺始まって以来の苦境を一緒に乗り越えてくれた地元の檀家さんたちの期待に応えることである。
 というわけで、大乗仏教の僧侶にして緻密な仏教研究者である男が、巨大組織を向こうに回して一人闘い信念を貫いた清新な息吹そのままに、満を持して世に問うたのが本書なのである。

 どこがどう革新的なのか。
 藤本はこう言い切る。

 本当は、日本仏教はどうなってるの?どころではないのです。日本には、はじめから仏教がなかったのです。仏教と名の付くものは以前からありました。しかしそれは、お釈迦様の仏教とは別ものだったのです。より正確に言えば、日本仏教には、僧(サンガ)と持戒の念がはじめからなかったのです。何らかの形の仏と法とは言えるかもしれませんが、それを支えるサンガ、そしてサンガの構成員たる所以である戒がなかったのです。平たく言えば、「仏教徒」がいなかったのです。(ゴチック:ソルティ付す) 

 なんつう大胆な発言。お釈迦様も真っ青だ。
 もう一度言うが、これは浄土真宗の一住職の発言である。自らのアイデンティティの基盤をよくもまあこうはっきりと断罪したものよ!
 それだけでない。この言説は、仏教によって培われたところ多の日本文化の意味を再考せざるをえない、日本人の宗教観を別の角度から読み直さなければならない、パラダイムを刷新する一撃である。
 仏教の三宝とは、仏(お釈迦様)・法(真理)・僧(出家者の集まり)である。日本にだってサンガ(僧の集まり)はあったじゃないか、あるじゃないか。西本願寺にだって、高野山にだって、永平寺にだって、起居を共にし修行しているお坊様はたくさんいるではないか。
 その通り。
 だが、サンガとは元来、「俗世間を捨て、悟り(=解脱)を目指して戒を守りながら修行している出家者たちの集団」である。日本の僧侶に、この戒を守ることが根付かなかった。般若湯(=酒)しかり、男色しかり、妻帯しかり、財産の所有しかり・・・。いったい日本で乞食(こつじき)しているお坊様を見たことがあるだろうか?
 なぜ戒を守ることの重要性が浸透しなかったか。
 それはそもそもの戒を守る最大の理由にして目的である「悟り(=解脱)」というものの実体が、我が日本仏教には伝わらなかったからである。

 仏教の証拠といえば、悟りです。世界の果てのどの文化の宗派であっても、「仏教」を名乗るなら、お釈迦様が人類ではじめて発見した悟りがあるはずなのです。悟りを表す言葉がどのように変わっていても、その説明を聞いたら、「ああ、悟りをなんとかして説明しているのだ」と分かるはずなのです。

 お釈迦様の仏教では身近であった悟りが、日本仏教を含む大乗仏教にはほとんど引き継がれませんでした。お釈迦様が説かれた悟りは、凡夫かブッダに等しい覚者かという二者択一の雲の上のようなものではありません。煩悩とそれがもたらす苦を厭い発心した凡夫が、学び修行し、やがて完全な覚者となるまでの悟りに、まだ凡夫とほとんど差のない預流果から一来果、不還果、そして完全な悟り・阿羅漢果実までの四段階(四沙門果)があると明らかにされました。しかし、その内容はおろか四沙門果という言葉さえも、大乗経典にはほとんど見られないのです。

 むろん、お釈迦様は「悟る」ための修行方法もその階梯も詳しく説いている。(ヴィッパサナー瞑想や戒を守ることもその一つである。)
 だが、仏教の最大の価値であり精髄であり目玉である‘悟るための方法論’が日本には入らなかった。あるいは入っても根付かなかったのである。たとえてみれば、多種多様の車は輸入されたが車の製造方法は伝わらなかった、なのに車を作ろうと努力し続ける途上国のエンジニア――みたいなものか。むろん、禅宗は悟りを重視している。が、やはり方法論が弱い。「只管打座」や「隻手の音声(公案)」だけでは何とも心もとない。
 この悟りの方法論が根付かなかった理由こそ、もしかしたら、日本人の国民性を解き明かす一つの鍵なのかもしれない。聖徳太子や時の為政者が「わざと」それを握りつぶしたのか、それとも民衆がそれを望まなかったのか。(→「死生観を問い直す」参照)

 設計図や工法を記したマニュアルがなくとも、出来上がった車を分解・研究・再構成することで新しく車を作ることのできる天才がいるように、ブッダ直伝の‘悟りマニュアル’がなくとも、たまたま偶然に悟ってしまった修行者や市井の人はいただろう。日本仏教史に名を残す宗祖たち――空海、法然、親鸞、一休、日蓮、栄西、道元など――は、そんな天才だったのかもしれない。彼らは「偶然悟った」がゆえに、万人に共通して適用できる悟りの方法論を残すことができなかったのだろう。

 藤本のいまひとつ革新的なところは、上記の見解から自ずから導かれるように思われる「大乗仏教は本当の仏教ではない。その一つである浄土真宗も然り。ゆえに、日本人は大乗仏教を捨てて、いますぐテーラワーダ仏教に就くべし」という安直な結論を賢明にも回避して、伝統的な大乗仏教の根本教義のうちに――すなわち後世になって装飾・歪曲・捏造された宗門の教えではなく、浄土真宗なら宗祖・親鸞聖人(と親鸞が最も影響を受けた過去七人の高僧)の言葉のうちに――元来の仏教(小乗仏教=原始仏教)まで遡ってつながっていける教えがあるはずとして、それを緻密なテキスト講読による教学研究をもとに検証していることである。仏教研究者としての藤本の面目躍如たる部分である。
 浄土真宗(親鸞)と言えば、すぐに思いつくのは「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)」「極楽浄土」「絶対他力」「往生即成仏」「悪人正機」などのキーワードである。
 藤本は、これらの概念をテキストを頼りに一つ一つ検証しつつ、初期仏教との違いや共通点、類似点を指摘していく。初期仏教の‘悟りマニュアル’と照らし合わせながら、ほかならぬ「親鸞聖人は(預流果に)悟っていたか」なんてことまで探究する。破門されていなければなかなかできないことであろう。
 
 現代の真宗僧侶は、自分が納得した正しい教えを、自信を持って伝えているでしょうか。そもそも、自分自身が納得して心が変わっているでしょうか。親鸞聖人の求道と伝道には、生死を乗り越える真剣さがありました。何らかの真実に達した自信と安心がありました。
 浄土真宗にも、その母体となった浄土教にも、仏教の真実の断片が伝わっています。正しく受け取り、正しく伝えれば、悟りとそこに至る道筋も見えてくるのです。
 
 私たち一人一人が、狭い見方を振り捨てて、お釈迦様の正しい道に入るかどうかだけが、安心を得られるかどうかの違いなのです。自分が本当に安心して生きて死ねるのかと、自分と正直に向き合う道ですから、ごまかしはききません。他人の目はごまかせても、自分だけはごまかせないのです。自分の安心は、自分で得るしかないのです。親鸞聖人や、現代に続くたくさんの妙好人たちが示してくれたように、正直に自分の心を見据えて、仏陀の悟りと教えを目標に、自分が一歩ずつ歩むものです。それが仏道です。その道は、浄土真宗にもしっかり根付いています。

 西本願寺も早まったことをした。
 自分が教団幹部だったら、藤本を起点にして浄土真宗とテーラワーダ仏教の習合を段階的にはかる道を探ったであろう。仏仏習合――それは‘神仏習合’を超える歴史的事件となったであろう。
 それこそがこれからの日本で伝統的な大乗仏教教団が生き残るほとんど唯一の道だと思うのだが・・・。