三峰とは、雲取山2017m、白岩山1921m、妙法ヶ岳1329mの3つを言う。
三峰神社は、古代日本最大のヒーローである日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国遠征の折に、国産みの夫婦神イザナミ、イザナギを祀ったのがいわれと伝えられている。タケルの父である景行天皇はこの地に行幸され、三つの峰の美しく連なる様を愛でられ、「三峰」の名を賜ったという。
神社の三柱鳥居を背に駐車場の方角を南に見やると、なるほど三つの高い峰が手前から遠方に、あたかも重い緞帳のドレープのごと折り重なるように肩を並べているのが望見できる。
三峰の名もうべなるかな。
三峰の名もうべなるかな。
がしかし、この三つの峰、実は手前(左手)から前白岩山、白岩山、雲取山であって、妙法ヶ岳は入っていない。妙法ヶ岳は、神社から白岩、雲取に向かう登山道の左手(東側)の秩父盆地方面に張り出した位置にあって、鳥居からはまったくその姿は見えない。どころか、神社の境内のどの地点からも上記三つの峰を同時に見ることはできない。(景行天皇が天狗のように上空から眺めたのならいざ知らず・・・)
奇妙なことである。
奇妙なことである。
介護の仕事丸3年を達成したご褒美に、関東一のパワースポットと評判の三峰神社の温泉つき宿坊「興雲閣」に一泊し、英気を養うことにした。もちろん、三峰の一つであり山頂に神社の奥院を構える妙法ヶ岳に登る。(雲取山には数年前に登った。)
●日程 4月22日(水)
●日程 4月22日(水)
●天気 晴れ
●行程
10:10 西武秩父駅・三峰神社行きバス乗車(西武観光バス)
11:25 三峰神社駐車場着
11:30 歩行開始
11:50 奥院(妙法ヶ岳)への分岐1
12:10 奥院への分岐2
休憩(10分)
12:50 地蔵峠
13:00 霧藻ヶ峰頂上
昼食休憩
14:00 下山開始
14:35 奥院への分岐2
15:20 奥院(妙法ヶ岳頂上)
休憩(30分)
16:20 奥院への分岐1
16:40 三峰神社の三柱鳥居
16:50 宿坊「興雲閣」着
歩行終了
●最高到達点 1,523m
●標高差 473m
●最高到達点 1,523m
●標高差 473m
●所要時間 5時間20分(歩行時間3時間40分+休憩時間1時間40分)
三峰神社には小学校か中学校の遠足だか林間学校だかで来たことがある。
よく覚えていない。
考えてみたら、学校行事、家族の行楽問わず、子供の頃の遠出の記憶がほとんど欠落している。どこそこに行ったという事実は覚えているものの、そこで何を見て、どんなことをして、どんなことを感じたのか、ほとんど記憶にない。
大丈夫だろうか、自分・・・。
子供の頃いじめられていた? 虐待されていた?
三峰神社に向かう西武観光バスが九十九折の道を高度を上げてゆき、車体が右に左に揺れるのを感じながら、記憶喪失の原因が理解できた。
子供の頃、自分は極めてひどい車酔いだったのである。
バスを含め車で出かける行事は、いつも悪夢か苦行でしかなかった。
事前の友達とのお菓子買い(350円まで。バナナはお菓子に含まない)の楽しさも、好きな女の子と同じグループで行動できる喜びも、卓球や枕投げに興じる旅館の賑やかな夜も、旅先での珍しいアトラクションや美味しい食べ物も、すべて移動の際の車酔いの苦しさ一つで相殺されてしまうのであった。
察してほしい。吐き気と闘いながら、はしゃぐ友人に合わせて笑顔を作り、回ってくるマイクで歌わせられる子供心を。観光していても、次にバスに乗らなくてはならない時刻が気にかかり、ガイドの説明もうわの空であった。
なんて可哀想な子供だろう。
車酔いを卒業して30数年、三峰神社には始めて来たも同然である。
神社に詣でるのは翌日にして、今日はさっそく山登り。
目的は、神社の奥院(妙法ヶ岳)とその先にある霧藻ヶ峰である。
どでかい駐車場に降りると、予想外に車も人も少なく閑散としている。ゴールデンウイーク前の平日はこんなものか。遠足にはまだ早いしな。
周囲を山に囲まれた窪地ならではの開放感はあるものの、霊山特有の森厳な気は感じられない。普通の観光地と変わりない。
5月3日の山開き前に来たため、神様ご不在なのだろうか。
5月3日の山開き前に来たため、神様ご不在なのだろうか。
奥院入口となる第一鳥居の脇には、登山ポストが設置されている。名前と住所と目的地を記して投函する。これで一安心。
あっという間に、奥院への分岐。鳥居をくぐって左に進めば奥院に着く。
が、ここは素通りし、霧藻ヶ峰を先にする。
杉木立の道は幅広で歩きやすい。
次第に傾斜が増して行き、汗がにじみ出てきたところで、ふたたび奥院への分岐に到着。ここからも奥院へ行ける。ここでリュックを下ろして一休み。
ちょうど反対方向からやって来た60代とおぼしき男性と言葉をかわす。
ソルティ 「雲取から来たんですか?」
相手 「いや、往復です。」
ソルティ 「自分も同じです。あと、どれくらいで着きますか?」
相手 「小一時間くらいですかね」
なんだか要領を得ない会話である。
その理由は目的語(=目的地)が入っていないからである。
なぜ入っていないかというと、「霧藻ヶ峰」をどう読むべきかお互いに分かってないからである。「お互いに分かっていない」ということが、暗黙の了解としてお互いに分かっているので、会話が成り立つのである。自分の心の中では「むそうがみね」と読んでいるが、はたして正しいのか。山道に立つ道標にはルビが振られていないから正解は謎である。
その理由は目的語(=目的地)が入っていないからである。
なぜ入っていないかというと、「霧藻ヶ峰」をどう読むべきかお互いに分かってないからである。「お互いに分かっていない」ということが、暗黙の了解としてお互いに分かっているので、会話が成り立つのである。自分の心の中では「むそうがみね」と読んでいるが、はたして正しいのか。山道に立つ道標にはルビが振られていないから正解は謎である。
30分ほどのややきつい上りで地蔵峠に着く。
その名の通り、祠にまつられた可愛らしいお地蔵様がほっと和ませる。こういう道祖神には、旅人や登山客の急いた足をそこで一時休ませて、心を落ち着かせ、冷静な判断力を回復させ、事故や道迷いを防いでくれる働きがあるのだろう。
ありがたや~。
ありがたや~。
一登りで、岩壁に囲まれた霧藻ヶ峰の山頂に到着。
あっけなかった。
あっけなかった。
この岩壁には、昭和天皇のすぐ下の弟である秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう1902-1953←結核で若死にされた)と勢津子妃の御尊影(顔)のレリーフが彫られている。秩父宮は登山が趣味で、実はこの霧藻ヶ峰の命名者なのである。
もともと黒岩山、燕岩という名前があるが、秩父宮雍仁親王が1933年(昭和8年)の夏、ここへ登山に訪れた際、「霧藻ヶ峰」の名を付けた。サルオガセ(霧藻)があることから付けたのだという。(ウィキペディア「霧藻ヶ峰」より)サルオガセ(猿尾枷、猿麻)とは、「樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣」(広辞苑)。霧藻、蘿衣ともいう。ブナ林など落葉広葉樹林の霧のかかるような森林の樹上に着生する。その形は木の枝のように枝分かれし、下垂する。(ウィキペディア「サルオガセ」より)
さて、なんと読むか?
むそうが峰?
むそうが峰?
サルオガセ峰?
正解は、きりもが峰である。
残念ながら、この情報を調べたのは帰宅後なので、サルオガセが山頂近辺に実際に生息していたかどうか確認しなかった。
何のためにスマホを買って持ち歩いていたのやら・・・。
秩父宮のお顔立ちはなるほど懐かしき昭和天皇を髣髴とさせる。と同時に今上天皇にもよく似ている。
山頂からの景色は言うことない。
秩父のどの山頂からでも、まごうかたなきテーブル状の山塊がひときわ高く見える両神山をはるか彼方に、出発地点の三峰神社駐車場から妙法ヶ岳を迂回して登ってきた尾根が眼下に広がる。左手には和名倉山(別名白石山2036m)が戦艦のごと圧倒的な巨躯を横たえている。
何のためにスマホを買って持ち歩いていたのやら・・・。
秩父宮のお顔立ちはなるほど懐かしき昭和天皇を髣髴とさせる。と同時に今上天皇にもよく似ている。
山頂からの景色は言うことない。
秩父のどの山頂からでも、まごうかたなきテーブル状の山塊がひときわ高く見える両神山をはるか彼方に、出発地点の三峰神社駐車場から妙法ヶ岳を迂回して登ってきた尾根が眼下に広がる。左手には和名倉山(別名白石山2036m)が戦艦のごと圧倒的な巨躯を横たえている。
昼食は、おにぎり(シャケと明太子)、さんまの味噌缶、ゆで卵、野菜のピクルス、テルモのマグボトルのほうじ茶。
誰もいない山頂で、至福の時を過ごす。
誰もいない山頂で、至福の時を過ごす。
次なるは妙法ヶ岳(奥院)。
復路をさきほど休憩した分岐で右手の道に入る。道なりに進んでいくと、岩で被われた細い道になってピークに達する。
しかし奥院の影も形もない。道標もない。
しかし奥院の影も形もない。道標もない。
あれ???
ピークをいったん下りて、先に進むのだろうか?
だが、それならそれで何らかの標識なり目印があるはず。
しばらく、その近辺にそれらしき印を探して歩き回るが見当たらない。
しばらく、その近辺にそれらしき印を探して歩き回るが見当たらない。
どういうこと?
道を間違えた?
神様に呼ばれていない?
仕方なく、来た道をすごすごと戻る。
と、岩道に入る前のところに分岐を発見。そこから山腹の右手を下ってゆく細い道がついていた。道の片側の木々には、一定の距離を置いて赤い紐で目印がついている。
これが本道だ。気づかなかった。
これが本道だ。気づかなかった。
しかし、その分岐点には道標がない。間違って取った道のほうが幅が広いでの、奥院入口の分岐から普通に道なりに進んでいくと、どうしたって自然の流れでそっちに進んでしまう。ここはちょっと不親切、というか危険である。
本道を下っていくと、東屋と鳥居が現われた。
ここからが正念場。
岩だらけの歩きにくい道を上ったり降りたりを繰り返す。到達したと思ったら、また下る。さすがに奥院というだけあって、なかなか姿を現さない。(もったいぶってぇ!)
最後には、急な鉄の階段と鎖を頼りの岩登りが待っていた。
これは高齢の参拝者には厳しいルートである。三峰神社境内に奥院遥拝殿があるのも頷ける。軽い気持ちでは参ることができない。
そのぶん、山頂の奥院から見える周囲の景色は背筋がぞっとするほどの素晴らしさであった。
向かい合った二匹の狼(ご神犬)で守られた奥宮の祠の左奥に「秩父宮御登山記念碑」が立っている。その奥の松の生うる岩壁から、北西方面に視界が開けている。
向かい合った二匹の狼(ご神犬)で守られた奥宮の祠の左奥に「秩父宮御登山記念碑」が立っている。その奥の松の生うる岩壁から、北西方面に視界が開けている。
春の午後のやわらかな光あふれる空の下、蒼く累々たる秩父の山々とそこに捕われた静寂と平和。
さすが神域である。
30分ほど瞑想して、山と一体化する。
帰りは東屋のところで右に入って、三峰神社へ戻る。
結局、道中出会ったのは単独行の男3人だけであった。
結局、道中出会ったのは単独行の男3人だけであった。