上演日 2002年4月
会場 パリ・オペラ座
キャスト
アルマヴィーヴァ伯爵:ロベルト・サッカ(テノール)
バルトロ:カルロス・ショーソン(バス)
ロジーナ:ジョイス・ディドナート(ソプラノ)
フィガロ:ダリボール・イェニス(バリトン)
バジーリオ:クリスティン・ジグムンドソン(バス)
ベルタ:ジャンネット・フィッシャー(ソプラノ)
指揮:ブルーノ・カンパネッラ
演出:コリーヌ・セロー
パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団
指揮:ブルーノ・カンパネッラ
演出:コリーヌ・セロー
パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団
ジョキアーノ・ロッシーニ(1792-1868)のオペラほど、‘音楽’という名にふさわしいものはないと思う。
文字通りそれは、‘音’の‘楽しさ’を徹底的に追及したもので、クライマックスに向けて加速するスピード、旋回するメロディ、次第に厚みを増していく声、狂躁的に騒ぎ立てる管弦楽を聞いていると、脊髄の基底から湧き上がってくるような生理的快感と愉悦に身体は躍動する。近いイメージを挙げるなら‘バーゲンセール’だ。
文字通りそれは、‘音’の‘楽しさ’を徹底的に追及したもので、クライマックスに向けて加速するスピード、旋回するメロディ、次第に厚みを増していく声、狂躁的に騒ぎ立てる管弦楽を聞いていると、脊髄の基底から湧き上がってくるような生理的快感と愉悦に身体は躍動する。近いイメージを挙げるなら‘バーゲンセール’だ。
この愉悦と享楽と滑稽を支えるのは、音楽と一体化したイタリア語の魅力である。登場人物たちによって早口言葉か語呂合わせのようにまくしたてられるセリフの響きの面白さを抜きに、ロッシーニを語ることはできまい。ドイツオペラやフランスオペラでは到底期待できないイタリアオペラならではの「味」である。
そんなロッシーニの魅力が最大限発揮されているのが、『セヴィリアの理髪師』である。
このオペラの主役は、タイトルからすれば理髪師であるフィガロということになる。
が、初演時の最大のスターだったのはアルマヴィーヴァ伯爵を演じたマヌエル・ガルシアだった。ロッシーニは彼のために、彼のテクニックを最大限生かすべくアルマヴィーヴァのパートを創った。
女主人公であるロジーナも、全曲中もっとも有名なアリアでコンサートなどでよく歌われる「今の歌声は」を与えられている。役柄もまた従順で貞淑な乙女を装いながら、中味は狙った獲物を逃さない情熱的な強さを持つという、演じ甲斐あるキャラクターである。
演じ甲斐あると言えば、ロジーナを幽閉している敵役バルトロである。憎まれ役であるが、出番も多く、歌のテクニックの見せ場も多い。演じようによっては、堂々の主役になりうる役者魂をそそるキャラクターである。
以上の4人がどれも主役になり得るような同等の見せ場と歌を与えられている。
だから、4人ともに実力があり、歌も演技も釣り合ったとき、このオペラは最初から最後まで圧倒的な輝きを放ち、観客を一瞬たりともよそ見させないだろう。
だから、4人ともに実力があり、歌も演技も釣り合ったとき、このオペラは最初から最後まで圧倒的な輝きを放ち、観客を一瞬たりともよそ見させないだろう。
このライブがまさにそうであるように。
ロベルト・サッカ(アルマヴィーヴァ伯爵)、カルロス・ショーソン(バルトロ)、ジョイス・ディドナート(ロジーナ)、ダリボール・イェニス(フィガロ)の4人は甲乙つけ難く素晴らしい。
とりわけ、ロジーナを演じるジョイス・ディドナートが魅力的である。美貌と芳醇な声と麗しい瞳に宿る意志の強さが、ロジーナぴったり。「今の歌声は」など、自宅でアンコール(リピート)したほどである。
脇役では、バルトロの小間使いベルタを演じたジャンネット・フィッシャーが、出番も歌も多くないのに、溌剌とした演技で上記4人に匹敵するほどの強い印象を残す。音楽教師バジーリオを演じたクリスティン・ジグムンドソンは、とにかく他の登場人物を圧倒する巨躯(2メートルは超えているだろう)で、存在感ピカイチ。
演出は、『赤ちゃんに乾杯!』(1985)で有名映画監督のコリーヌ・セロー女史。
一見オーソドックスな舞台装置と演出である。が、ロッシーニの音楽のツボや素晴らしい歌手陣の歌唱を引き立てるように計算された舞台上の仕掛けと、音楽に合わせて振りつけられた役者の同調された動きが特徴的で、さすが映画監督といった感じの巧みさである。
『セヴィリアの理髪師』のライブ記録として、最高の部類に入るディスクであろう。