2007年エスコアール出版部刊行。
2010年『続・自閉症の僕が飛び跳ねる理由』刊行。

自閉症の僕が飛び跳ね理由
 
 著者は1992年生まれ、千葉県在住の青年。
 重度の自閉症である。
 他人と会話をすることのできない著者が、パソコンを使って自らの内面を語った稀有の記録である。
 ほぼ全編が、著者(自閉症患者)に対する問いと、それについて著者自身の考える答えという形式で構成されているので、読みやすく、自閉症とはどんなものかを理解する恰好のテキストにもなっている。

 自分も昔誤解していた。
 自閉症とは、強度の内気さや引きこもりや鬱の固定化・長期化した症状、あるいは統合失調症のような精神障害の一つと思っていた。ある意味、「幼児期のトラウマ?」的な発想をしがちであった。
 が、自閉症の原因は先天性の脳機能障害、つまり‘生まれつき’ということである。
 だからといって、欝や統合失調症より上等なわけでも、より‘可哀想な’わけでも、より‘社会的支援が当然’というわけではないが・・・。
 どんな病気だろうが、当事者や家族らに接するにあたっては、あるいは公的な場で(ネットも含む)発言するにあたっては、その病気に対する正しい知識が不可欠だというに限る。
 
 この本を読み、自閉症の人の内面の豊かさ、考えの深さ、周囲への気遣いなどに驚くとともに、これまで知らないでいたことを恥ずかしく思った。
 以下、「いいこと言うなあ~、面白いなあ~」と思った問答より引用。

●自閉症の人は普通の人になりたいですか?
 ずっと「僕も普通の人になりたい」そう願っていました。障害者として生きるのが辛くて悲しくて、みんなのように生きて行けたらどんなにすばらしいだろう、と思っていたからです。
 でも、今ならもし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかも知れません。
 どうしてこんな風に思えるようになったのでしょう。
 ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることが分かったからです。
 僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。
 自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。

●自閉症の人の楽しみをひとつ教えてくれますか?
 僕らは、みんなに分からない楽しみを持っています。それは自然と遊ぶことです。
 人とかかわることが苦手なのは、相手が自分のことをどう思っているのだろうとか、何を答えたらいいのだろうとか考え過ぎてしまうからです。
 自然は、いつでも僕たちを優しく包んでくれます。

●居心地が良いのはどのような場所ですか?
 僕が望むのは、自分が居ても良い場所があることです。それは自分の好きな物に囲まれた場所だとか、環境が整えられた場所だと思われているのかも知れませんが、僕が望む場所とは、特別なスペースのことではありません。
 一番大切なのは、その場所にどんな人がいるかだと僕は考えています。僕のことをどう思っているか。どのように接してくれるかが重要です。その人が、大切な家族を思うように接して下されば、きっとそこが僕にとって最高に居心地のいい場所になると思います。

 本当の僕は、何の制約を受けることなく、時間という枠を超え、ただひたすら声の限りに叫び、大地を駆けていたいのです。あるいは、音も言葉もない静寂な水の中で、じっと息を殺し、永遠に続く宇宙の鼓動を感じ続けていたいのです。
 なぜ、僕が原始人のような性質を持ったまま生まれたのかはわかりませんが、原始人の見ていた世界を僕は体感していると思います。
 僕は、原始人が現代人より劣っているとは思っていません。現代人がなくしてしまった原始人の素質を僕が受け継いでいると考えれば、少し楽しい気分になります。

 人類の歴史において、あるいは個体としての生育過程において、人は誰もがかつて一時は自閉症であり、成人した今も誰もがどこかに自閉症気質を持っているんじゃないだろうか。
 そんなことを思った雨の日だった。

アジサイと雨