1963年文藝春秋より刊行。
1978年集英社文庫として発刊。
 
弁護側の証人

 「日本ミステリー史に燦然と輝く、伝説の名作」とカバーの謳い文句にある。
 が、どうも読んだ覚えがない。
 確かに自分は昔から海外ミステリー専門なので、本邦のものには疎いし、なかなか食指が動かないのであるが、これだけ自信たっぷりの謳い文句を掲げるミステリーを無視していたのは奇妙である。
 
 読んだのに、お・ぼ・え・て・い・な・い・・・。

 いや、おそらく謳い文句はいささか大袈裟すぎるのだろう。いくらなんでも「伝説の名作」を覚えていないはずがない。期待はずれだったからこそ、忘れてしまったのだろう。
 
 ・・・と思いつつ、読んでみたら、見事にいっぱい喰わされた。(なんのこっちゃ!)
 気楽な文体で書かれた気楽な物語の4/5までを気楽な気持ちで読んで、第11章にかかったときに、はじめて「おや?」と手が止まった。
「どういう意味だ、これは?」
「途中が抜けているのでは?」
「あとから説明が来るのかな?」
 読み進めて、しばらくして、
「えっ!まさか?」
「もしかして、もしかすると・・・」
と、最初のページに戻って、再度ざっと読み直す。
「ゲゲッ! そうだったのか!」
「・・・やられた!」
 
 このトリック、本書が世に出た1963年にはもちろん通じた。
 絶版の後、復刊された1978年にもまだ通じた。
 そして、2015年現在、まだまだ通じている。
 人間の既成概念は強固なものだ。
 同性婚を受け入れられない人間が多いのも無理もない。
 既成概念を巧みに利用し、筆致も入念に、気楽にストーリーを運ぶ作者の手腕に脱帽。 
 そう。気楽さもトリックのうちだったのだ。 

 覚えていないのは、見事だまされたことを忘れたかったからかもしれない。
(本書のカバーデザインもひとつのヒントになっているのだな、明智君)