1988年アメリカ映画。

 ダスティン・ホフマンの‘いかにも上手な’演技があまり好きでなくて、この有名なオスカー作品を観ていなかった。
 社会福祉士養成過程の実習で障害者施設に行くことになり、そこで自閉症の利用者と接することになって俄然興味を持ち、遅ればせながらDVDを借りた。
 むろん、この映画は自閉症患者を描いた作品としてもっとも有名だからである。

 自閉症は、通常生後30ヶ月までに発症する先天的な脳の機能障がいです。 視線が合わなかったり、1人遊びが多く、関わろうとするとパニックになったり、 特定の物に強いこだわりが見られたり、コミュニケーションを目的とした言葉が出ないなどといった行動特徴から明らかになります。 その障がい名から、「心の病気」という誤った印象をもたれがちですが、自閉症は心の病気ではありません。
 自閉症とは、先天的な脳の中枢神経の機能障がいで、自分を取り巻く様々な物事や状況が、定型発達者と呼ばれる私たちと同じようには脳に伝わらないために、 結果として対人関係の問題やコミュニケーションの困難さ、特定の物事への執拗なこだわりを呈するという障がいです。(特定非営利活動法人ADDS-Advanced Developmental Disorders Support-ホームページより抜粋)

 一口に自閉症と言ってもいろいろである。知的障害を伴う人もいれば、通常あるいは通常以上の知的能力をもち社会生活を送っている人もいる。この映画の主人公レイモンド(=ダスティン・ホフマン)のように特定の分野で驚異的な才能を発揮する人もいる。
 最近ではこうしたグラデュエーションのような多様性を表すために、「自閉症スペクトラム障害(Autistic Spectrum Disorder)」と称するのが一般になってきているらしい。
 多様性はあるものの、そこに何がしかの共通した特性が見られるからこそ、「自閉症」という名のもとに統合される。
 共通した特性、すなわち自閉症スペクトラムの診断基準はなにか。
 以下の三つが上げられる。
1.対人関係の形成が難しい「社会性の障害」
2.ことばの発達に遅れがある「言語コミュニケーションの障害」
3.想像力や柔軟性が乏しく、変化を嫌う「想像力の障害」

 レイモンドはまさにこの3つの特徴を兼ね備えている。
 実習先の自閉症患者たちもまったく同様である。「定型発達者」と呼ばれる自分から見れば、一番の特徴と思えるものは、「何を考えているのかわからない」ということに尽きる。彼らの表情や行動から、「いま喜んでいるんだな(手を叩きながら笑顔でそこらじゅう飛び跳ねる)」とか、「いま悲しいんだな(手の甲を噛んで涙を流している)」とか、「いま怒っているんだな(血走った目で壁やいすを何度も蹴る)」とか、「いまパニックに陥っているんだな(自分の両頬を手加減なく血が出るまで叩く)」といった人間の基本的な喜怒哀楽の感情こそ分かるものの、「じゃあ、なんで喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、パニックに陥っているのか」が分からない。彼ら自身、それを他者に説明することもできない。
 いや、そもそも彼らにとって「他者」は存在しているのか。

 自閉症患者は、我々「定型発達者」が共有する「物語」を内面化していない、それをもとに生きていない、というふうに見える。
 この映画で象徴的にそれが表れているのは、最後のシーンである。
 アメリカ縦断の車の旅を通して‘心が通じ合った’かに見える兄レイモンドと弟チャーリー(=トム・クルーズ)は、停車場で別れることになる。チャーリーは住まいと職場のあるロサンゼルスに、レイモンドは子供の頃から過ごしてきた施設に--。
 別れの抱擁を終えて、レイモンドは列車に乗り込む。チャーリーは名残惜しそうに、窓際の席に収まった車上のレイモンドを見やる。
 が、レイモンドはすでに無関心に前を見ているだけで、窓外のチャーリーの存在はすでに蚊帳の外だ。レイモンドに対するチャーリーの思いは一方通行。というより、チャーリーが持っている(我々通常の社会人が持っていることが期待される)‘兄弟愛’という物語を、レイモンドはそもそも共有できないのである。
 上記3つの特徴がその通りだとすれば、それは自閉症患者が、「物語」を形成する能力に欠いているということになるのではなかろうか。
 あるいは、こうも言える。
 自閉症患者は、我々「定型発達者」を苦しめている「物語」の呪縛から解放されている。
 本当かどうかは知らん。
 少し前に話題になった当事者の東田直樹の書いたものを読むと、「物語」を理解する能力はすこぶる高い。というか彼はプロの童話作家なのだ。「物語」を理解するどころか、創作できるのだ。
 彼が特別なのか。それとも、自閉症患者は「物語」を十分理解しているけれど、出力が困難(稚拙)だから理解していないように見えるだけなのか。それとも、これもまた多様性のグラデュエーションのどこに位置するかの問題なのか。
 いずれにせよ、「物語」の呪縛からいい加減脱出したい自分にとって、世間一般の「物語」をはぐらかすかのように見える彼らの行動は魅力的に映るのである。 
 
 自閉症患者は、視覚優位の世界に住んでいると言われる。また、通常の人とは幾分違った‘物の見方’をしているらしい。たとえば、景色や物を全体として見ずに、10円玉くらいの範囲の一点のみしか見えていない。規則正しく流れるもの・並んでいるものに惹かれる。(だから列車がすきなのかな?) キラキラしたもの・光るものが好き。
 
 物語からの解放、視覚優位、クローズアップ、列車愛好、光に対する感受性・・・・。
 こうしてみると、まさに映画的感性そのものではないか。
 自閉症患者は世界を「映画的に」見ているのではないだろうか。
 
 『レインマン』において、観る者はたびたびレイモンドの視界を共有することになる。チャーリーの運転するスポーツカーの助手席からレイモンドが見る景色(=ショット)がしばしば挿入される。
 それはまさに自閉症患者の‘物の見方’なのである。と同時に、ダスティン・ホフマンの過剰な演技でつい物語化――兄弟愛という名の―されてしまいそうなこの作品を、すんでのところで‘映画’に引き留めている鮮烈な楔なのである。
 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!