日時 11月15日(日)14時~
場所 練馬文化センター大ホール
演目 チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」(合唱付)
ベートーヴェン:交響曲「ウェリントンの勝利」作品91
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55
指揮 曽我大介
演奏 練馬交響楽団
合唱 一音入魂合唱団
最近知り合った人から、このコンサートのチケットを譲り受けた。
自分から選んで行ったわけではなかったので、「英雄」以外のプログラムについては会場に到着するまで知らなかった。3曲とも生で聞くのははじめてであった。
3つの曲に共通する人物は誰か?
3つの曲に共通する人物は誰か?
――ナポレオン・ボナパルトである。
チャイコフスキー「1812年」は、ナポレオン率いる無敵のフランス軍を、ロシア軍が「冬将軍」の助けを借りて打ち破った歴史的な戦い(の年)を祝う曲。70年後の1882年に作られた。
ベートーヴェン「ウェリントンの勝利」は、やはり1812-13年にイギリスの軍人アーサー・ウェルズリー(ウェリントン公爵)が、ポルトガルやスペインにおいてナポレオン軍を次々と撃破した勲功を讃え、1813年12月にベートーヴェンが発表した作品である。
ベートーヴェン(1770-1827)とナポレオンは同時代の人間だったのだ!
有名な交響曲第3番「英雄」(1804年作曲)のモデルはナポレオンと言われるように、ベートーヴェンはもともと、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」を体現する象徴的人物として、ナポレオンを崇拝していた。が、ナポレオンが皇帝(独裁者)になったという知らせを聞いて、激怒し、幻滅し、反ナポレオン派になったようである。
3曲に共通するのはナポレオンであり、フランスの栄光と敗退の軌跡である。
プログラムの構成として面白いが、何より感じ入ったのは、今この時期、フランスの受難を表現する楽曲が演奏され、それを聴く機会を持ってしまった因縁である。
むろん、プログラムを決める時点では、ISによるフランスでの同時多発テロなど想像もしなかったであろう。ほんの数日前まで、「今回のプログラムはナポレオンで統一」というのは、単なる練馬交響楽団あるいは曽我大介の趣向に過ぎなかったに違いない。
それが、突然、ビビッドに、リアルになってしまったのである。
今日、このプログラムに接する聴衆は、フランスのテロ事件と離れて演奏を聴くことはできなくなってしまった。
しかも、チャイコフスキー「1812年」の主要旋律は、全体主義国家を崩壊させようと目論むテロリストの活躍を描いた映画『Vフォー・ヴェンデッタ』(ジェームズ・マクティーグ監督、2005年)のテーマ曲である。映画の中で主人公の謎の男“V”が常時被っていたガイ・フォークスの仮面こそは、国際ハッカー集団‘アノニマス’が好んで身に着ける、反逆の象徴である。
つまり、映画『Vフォー・ヴェンデッタ』を観たことのある者ならば、チャイコフスキーの「1812年」を聴いて「テロリズム」を想起せずにいられるわけがない。(もちろん、自分は観ている)
クラシック音楽は「古典音楽」と訳され、ともすると箱書きの付いた桐の箱に入っている骨董品のように扱われがちである。
クラシック音楽は「古典音楽」と訳され、ともすると箱書きの付いた桐の箱に入っている骨董品のように扱われがちである。
が、作曲された当時、演奏されたリアルタイムにおいては、時代の証言であり、その時代を生きる人間の思想表現かつ感情表現だったのである。19世紀初頭の西欧人の多くは、ベートーヴェン同様、ナポレオンの出現を寿ぎ、その活躍に喝采を上げ、「自由と平等と友愛」を希求しつつ、「英雄」を聴いた。ナポレオンがヨーロッパにとって危険な存在であると判明した後は、ベートーヴェン同様に、ロシア軍やイギリス軍の戦勝を心から喜び、「ウェリントンの勝利」を聴いた。(この曲はベートーヴェンの生涯における最大のヒット曲だったそうである。)
音楽はまさに生きて、民衆と共にあったのである。
「1812年」においても、「ウェリントンの勝利」においても、作曲家の指示として、曲中に実際の大砲の音が使われている。当時の聴衆に、どれだけビビッドに響いたことだろう!
このようなプログラム構成を持った今回のコンサートが、仏のテロ直後の日本において、しかもパリに次いでISテロの標的になりうる可能性の高い“安部政権下の”東京において、ほかならぬ曽我大介――年末に国連難民援助活動支援チャリティコンサート「第九」を振る――の指揮で演奏されたという、驚くべきシンクロニシティ(共時性)を、なんと思うべきであろうか。そこにたまたま知人からチケットを貰った自分が居合わせたという偶然(=必然)をどう解釈したものか。
なるほど、演奏自体は目覚しいものではなかった。
全体に歯切れが悪かった。
全体に歯切れが悪かった。
けれど、クラシックがこれほど‘リアルタイムに’響いた経験はかつてない。