12/28、いよいよ本番。
 
 久しぶりの式服はいいが、白いワイシャツと蝶ネクタイがない。介護の仕事じゃ、ワイシャツなんか着ないものなあ・・・。ましてや蝶ネクタイなんて、レクの時間に手品の余興でもしない限り、とんと縁がない。
 ワイシャツを購入し、蝶ネクタイは100円ショップで仕入れた。どうせ一回こっきりだから使い捨てで十分。

 今回の公演はオール・ベートーヴェン・プログラムで、午後3時スタートし、終演は午後9時。延々6時間に及ぶ長丁場である。
 曲目と演者は以下の通り(演奏順)。

1.ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番ヘ長調 Op.50
ヴァイオリン:中村太地、指揮:曽我大介
2.ピアノ協奏曲第1番
ピアノ:石井楓子、指揮:曽我大介
3.ピアノ協奏曲第2番
ピアノ:仁田原祐、指揮:碇山隆一郎
4.ピアノ協奏曲第3番
ピアノ:冨永愛子、指揮:和田一樹
5.ピアノ協奏曲第4番
ピアノ:今川裕代、指揮:中島章博
6.ピアノ協奏曲第5番
ピアノ:高橋望、指揮:西谷亮
7.ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番ト長調Op.40
ヴァイオリン:中村太地、指揮:西谷亮
8.交響曲第9番「合唱付き」
指揮:曽我大介、合唱:平和を祈る《第九》特別合唱団

 管弦楽はすべてブロッサムフィルハーモニーオーケストラである。オケの人たちは6時間出ずっぱり。たいへんな労力である。
 ヴァイオリニストやピアニストについてはよく知らないが、上記の指揮者はプロフィールを見ると、すべて曽我大介門下生である。その一人西谷亮(合唱指導をしてくれた)は、ブロッサムフィルハーモニーの音楽監督兼常任指揮者をつとめている。合唱団は公募で集まった有志だが、その中核となるのは、やはり曽我大介が指導するアマチュア合唱団「一音入魂」のメンバーたちである。
 つまり、今回のコンサートは、曽我大介一座総出演による慈善活動という意味合いがあるわけだ。「親分の号令で一族郎党大集結!」って感じか・・・?
 ともあれ、6時間にわたってベートーヴェンの有名な曲ばかり聴けるのだから、ベートーヴェンマニアにはたまらない企画である。出演していなかったら、客席でじっくり聴きたかった。

 ステージリハーサルは午前10時40分に始まった。
 最初が《第九》の第四楽章。4名のソリストと共に歌う。
 ソプラノの辰巳真理恵は、俳優の辰巳琢郎の娘である。今回が《第九》デビューとのこと。ウィキによると1987年生まれの28歳。父親の体格(180cm)からすると、思ったより小柄で可憐な感じであった。が、一声聴いてビックリ。芯のしっかりしたよく通るきれいな声である。今後、あちこちの《第九》に引っ張りだこになるのは間違いあるまい。(本番には父親が応援しに来ていた。)

 《第九》リハーサル終了から本番まで8時間以上ある。
 昼食まで、他の曲のリハーサル風景を客席で見て聴いて過ごした。こういう経験もめったにできないので新鮮である。
 印象に残ったのは、まずヴァイオリニストの中村太地。これまた20代のイケメンである。女性ファンが多いことだろう。リハーサル中の指揮者とのやりとりなど見るに、「曲に対する自分なりの解釈をしっかり持っていて、妥協せずにしっかり共演者と意見を戦わせる人」という感じがした。
 指揮者の和田一樹。小柄で剽軽な雰囲気の持ち主であるが、ひとたび指揮台に立ち演奏が始まるや、「う~ん」と唸った。深いクレパス(谷間)を瞬時に形作る手腕は並みの才能ではない。オケの人たちもどうやら彼の才能には一目置いているようで、安心して心地よく演奏している様子であった。この先、注目したい指揮者である。
 それにしても、生演奏で聴くベートーヴェンの音楽は格別の美しさがある。本番前の緊張も解けて、陶然と聞き惚れていた。

《第九》リハーサル


 午後は人と会う約束があった。いったんホールを出て、用事を済ませ、午後7時前に会場に戻った。

ティアラこうとう

 式服に着替えて会議室に集合。
 最後の発声練習をして、舞台上での細かな段取り(楽譜はどこで開くか、最後にお辞儀はするかe.t.c.)を確認する。曽我流を知悉している一音入魂のメンバーがてきぱきと仕切ってくれる。
 トイレを済ませ、喉を潤し、いざ出陣。
 列を成して、長い通路を舞台袖まで移動する。
 音楽が耳に入った。
 すでに第2楽章の終わりまで来ている。
 のぞき窓から舞台とホールの様子を伺う。
 指揮台の曽我大介氏。
 かっこいい。
 デカい体、長い腕、豊かな表情、まさにからだ全体を使って、自分の意図するところをオケに表現する。見ていて飽きないパフォーマンスである。
 客席は・・・・。
 空席が目立つ。
 チケット代高かったからなあ~。
 それにしても、難民支援に対する日本人の関心の低さが歴然と表れているような気がして残念でならない。寄付先の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の歴代もっとも有能な弁務官は、日本人の緒方貞子なのになあ~。
 まあ、気を取り直して。
 ここまで来たからには、客の入りなんか気にしまい。ただ、音楽とベートーヴェンに奉仕し、仲間と共に演奏することを楽しみ、そして‘喜び(フロイデ)’を自分なりに表現するだけだ。
 
 合唱団は第4楽章で登場する指示が出ていたので、第3楽章はまるまる舞台袖に立ちながら聴いた。
 なんという甘美さ!
 なんという流麗なタッチ!
 曽我大介の《第九》を聴くのはこれが二度目であるが、前回とはまったく違っていた。
 オケが違うと、ホールが違うと、趣旨が違うと、これほど異なるものなのか。
 またしても本番前の緊張が解けてゆく。
 最後の一音が余韻を引きながら鳴り止む。
 出番だ。

 友よ、この調べではない ♪


 出来が良かったのかどうか、歌っている自分にはなんとも言えない。
 だが、歌っている間、ずっと驚きっぱなしであった。
 合唱団の息がピッタリ合っていた。フレーズの終わり終わりで子音を入れるところなど、ぴたっと揃っていた。練習の時に曽我氏や西谷氏が注意したいずれの箇所も、いずれの音楽記号も、みなきちんと覚えていて、一つ一つ見事にクリアしていた。
 そう、個人的意見かもしれないが、練習よりずっと良かった。
 なんてすごい人たちだろう!(自画自賛)
 演奏終了後に湧き起こった拍手は、来場した客の数に比すれば盛大な、心からの、熱いものであった。


 《第九》の最後は、管弦楽の荒れ狂うような‘Prestissimo(できるだけ速く)’の歓喜の雄たけびで終わる。
 最後の最後は、4分音符の5連打である。
 
 タ・タ・タ・タ・タン

 ここのところが全楽器きれいに歯切れよく揃って5連打し、最後にスパッと断ち切れると効果抜群、圧倒的な感銘を聴く人に与えること間違いなし。
 それを成し遂げるために曽我大介が編み出したのが、なんと

 ウ・チ・の・ご・はん

という森高千里のキッコーマンのCMのフレーズだった。
「そこのところは、《ウ・チ・の・ご・はん》で合わせて」なんていう指示が実際に指揮台から発せられるのを見るとは、よもや思わなかった。
「いまの《ウ・チ・の・ご・はん》はよく出来ていた」なんて、まるで漫才のようではないか。
 しかし、実際にこのフレーズを意識してオケが演奏すると、実に鮮やかにケツが揃うのである。
 使えるものはなんでも使うんだなあ。

 ただ一つ困ったことがある。
 「ウ・チ・の・ご・はん」の衝撃が自分の頭にこびりついてしまったため、今後どの指揮者の《第九》をどこで聴こうが、きっと最後はオケの5連打と一緒に「ウ・チ・の・ご・はん」と頭の中で歌ってしまうだろうという、ほぼ100%確実な未来が生まれてしまったことである。
 《第九》と「ウチのごはん」。
 まあ、どちらも他では味わえない格別な‘喜び’には違いないのだが・・・。
 
 
 《つづく》