‘喜び’にもいろいろある。
美味しいものを食べる喜び。
希望の学校に合格した喜び。
三日間出なかったウ○コが出た喜び。
気の合った仲間とわいわい酒を飲む喜び。
好きな人と結ばれた喜び。
初めて子供を授かった喜び。
山登りで山頂に到達した喜び。
宝くじに当たった喜び。
宝くじに当たった喜び。
e.t.c.
シラーの頌歌『歓喜に寄せて』における‘歓喜’とはいったい何を言うのだろうか?
ヒントとなるいくつかの節がある。
まず、ベートーヴェンが採用した次の2節。(曽我大介著『《第九》虎の巻 歌う人・弾く人・聴く人のためのガイドブック』音楽之友社発行より引用)
歓喜よ!神々の麗しき霊感でありエリューシオンの乙女(である歓喜)よ、(歓喜の)女神よ、我らは燃える胸を躍らせながら君の聖域に踏み入る君(歓喜)の柔らかな翼の下時流が強く切り離したものを君の不思議な力は再び結び合わせ、すべての人々は兄弟となる
エリューシオンとは、ギリシア神話に登場する死後の楽園のことである。
つまり、「我らは君の聖域に入る」とは、ぶっちゃけ「死んで天国に行く」という意になる。であればこそ、「時流が強く切り離したものを、君の不思議な力は再び結び合わせ」る。この世で別れ別れになった魂が天国で再会するという、古今東西、人々が希求する願いである。
‘歓喜’とは「死の喜び」である。
次にシラーの原詩より引用。
永久の自然の中で歓喜は強いぜんまいと名付けられる。歓喜よ、歓喜こそが巨大な宇宙の時計の歯車を回す。(歓喜は)つぼみから花を誘い出し、天空から恒星を導き、観察者の望遠鏡が捉えきれない空間へと天空を回転させる。
ここでは、‘歓喜’とはこの世のすべての現象を引き起こす動力(モーター)のようなものだと言っている。適切な言葉が思いつかないが、あえて言うなら「生命力」か。
‘歓喜’とは「生の喜び」である。
他の部分でも‘歓喜’について、いろいろな譬え(シチュエーション)を上げながら讃えているのだが、大きく分けるならば、上の二つの‘歓喜’を歌っているように思われる。(冒頭に上げた世俗的な‘喜び’はむろん生の喜びに含まれる。)
死の喜びと生の喜び――。
相反するベクトルである。
なので、この詩は一読混乱しているような印象を受ける。死ぬことを称賛しているのか、生きることを称賛しているのか、よくわからないからである。
が、‘喜び’という感情を通して両者は融合している。
‘死=喜び’という考え方は、宗教心を失った現代日本人にはなかなか理解し難いことかもしれない。
しかし、「死は終わりではなく、天国での新しい・いっそう喜びに満ちた生のはじまり」という世界観を持っているキリスト教徒にとっては、そこに矛盾はないであろう。「生」と「死」を統括する偉大な存在(=神)を信じ、身をゆだねているのであれば・・・。
‘喜び’とは、つまるところ、「神の御業を現前とし、その偉大な力に降参する喜び」なのであろう。
そう考えると、ベートーヴェンが第4楽章の冒頭で、第1楽章・第2楽章(生の喜びを歌っている)を否定し、第3楽章(死の喜びを歌っている)を否定し、両者が包含された「喜びの歌」のメロディの登場を待って、はじめて「YES!高須クリニック」と言ったのも頷ける。(言ってないか)


コンサートの数日前、友人が亡くなった。
20年近く付き合いのある年上の同性Hさんである。60歳は超えていたので若すぎる死とは言えないが、別段どこか具合が悪いという話も聞いていなかったし、おっとりした飄々とした性格で誰よりも長生きしそうなタイプと思っていたので、突然の死に不意をつかれた。
老人介護の世界でPPKという言葉がある。「ピンピンコロリ」の略で、「ずっと元気で健やかにピンピン過ごして、ある日突然コロリと逝けたら最高!」という意味である。脳梗塞から蘇るのはいいが、その後の生を麻痺のある障害者として、認知のあるボケ老人として、介護保険や周囲の助けを借りながら生きるよりは、いっそ蘇生せずにあの世に行ってしまったほうがいい・・・。
この考えには賛否両論あるのだが、介護の仕事をしている自分でさえ(否、介護の仕事をしているからなおのことか)、「自分もPPKだといいなあ~」と正直思うのである。
HさんはまさにPPKで亡くなったのである。
亡き骸を前にしたとき、「ああ、これで《第九》は無くなった」と思った。
「喜びの歌なんて暢気に歌っている場合じゃない」と。
「喜びの歌なんて暢気に歌っている場合じゃない」と。
Hさんに別れを告げて、帰りの列車に揺られながら、自然と歌が口をついて出た。その頃はもう、移動途中は常に歌の稽古をしているようになっていたのだ。
で、歌詞について考えをめぐらした。
‘喜び’とは何だろう?――と。
《第九》の‘喜び’が、生の喜びだけでなく、死の喜びも称賛しているとあらためて認識した時、「この歌こそ、天国への旅立ちを祈る門出での歌としてふさわしいではないか」と思った。なぜなら、心やさしいいつも笑顔の人であったHさんが天国に行くのは、一瞬たりとも疑い得ないことだから。
そしてまた、今回のコンサートの趣旨が難民支援であることを思い出した。
Hさんとは脱原発デモに一緒に何度も参加して共に声を上げて歩いた間柄だった。平和運動、ホームレス支援、HIV問題、高齢者支援・・・・いろいろな社会問題に興味を持ち、困っている人や苦しんでいる人に進んで手を差し伸べる人だった。HIVに感染した在日外国人を一緒にサポートしたこともあった。
Hさんの死のためにいま自分が難民支援のコンサートへの参加を取りやめることを、Hさんはけっして喜ぶまいという確信があった。
「よし。Hさんのために歌おう」
そう決意した。
喜びは口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を我々に与えた
広い会場のどこかから、Hさんが、いつもの茶目っ気ある笑顔で見てくれているような気がした。

《おわり》