2015年新潮社刊行。

 一回り年下の友人(♂)に薦められ借りたのだが・・・。
 怖い本である。
 ここ最近読んだ本(フィクション、ノンフィクション問わず)、観た映画、耳にしたニュース、ネットで拾った怪談や闇トークの中でも、トップクラスの怖さである。
 読みながら背筋がゾクゾクし、喉がカラカラになった。
 事実は小説よりも怖い。

 著者の押川剛は1968年生まれ。92年より警備会社を経営していたが、従業員が統合失調症になったことがきっかけとなり、96年より精神障害者移送サービスを開始する。つまり、今すぐ精神科病院への入院が必要な状態であるにもかかわらず、当人に病識がなく入院を拒否する対象者を、強制拘束するのではなしに、家族に代わって対話・説得して家から病院に送る仕事をしている。これまでに移送した患者は1000人を超えるという。
 本書「第1章 ドキュメント」では、これまでに著者が経験した移送事例のいくつかが具体的に紹介されている。患者のバックグラウンドや症状、家族関係、患者が起こした数々の問題行動、押川が介入するきっかけ、移送が成功するまでの経緯、その後の様子などが、臨場感もって描き出されている。
 この第1章が滅茶苦茶、怖いのである。

 即刻入院が必要な精神障害者は、すでにかなり重度で危険な状況にある。自傷多傷のリスク大ということだ。発作的に家族に切りかかったり、妄想にかられ往来に飛び出して無差別殺人を犯したりする可能性もある。
 過度のエリート教育のプレッシャーに押しつぶされて統合失調症になり、金属バッドで飼い猫や家族を殴る青年。
 アルコール依存症で仕事もままならず多額の借金を親に肩代わりさせ、気に入らないことがあると包丁を振り回す青年。
 ゴミ屋敷に住み、実の母親を奴隷のようにこき使う被害妄想の40代の娘。
 有名大学を出て一部上場企業に就職したものの、研修の段階で頓挫し、以降10年以上部屋に引きこもって、「俺をこんなふうにしたのはお前たちだ。一生面倒みるよう裁判を起こしてやる!」と両親をなじる青年。
 ブラックリスト扱いで、どこの病院からも入院を断られる激しい暴力性のある青年。追い詰められた母親は呟く。「生涯入院させてくれないのなら、いっそのこと殺してくれればいいのに・・・」 
 押川が相談を受けたものの、家族の協力が得られず病院移送に至らなかったケースの中には、その後、本人が殺傷事件を起こして新聞沙汰になったものもあるという。
 実にたいへんな骨の折れる仕事である。まかり間違えば押川自身が襲われる危険も否めない。
 
 周囲の人の理解を超えるような問題行動をとってしまう対象者の根底に、いったい何があるのでしょうか。・・・・・・
 私の経験上、彼らの多くに共通しているのは、幼少期から何らかのサインがあったということです。一例を挙げると、集団生活が苦手、こだわりが強い、周囲の動向に過敏、落ち着きがなく忘れ物が多いなど注意を受けることが多かった、他の子供と仲良くできず、自分より幼い子供や動物を虐待していた、というようなことがあります。
 そして思春期には、いじめや不登校、受験の失敗などにより、大きな挫折感を味わっています。そのままひきこもってしまう例もあれば、何とか大学や専門学校まで進む例もありますが、その後、定職に就けない、リストラされた、職場でトラブルを起こした、などの理由から、家族を巻き込み健全な日常生活が送れなくなっていきます。恋人に振られた、交際が長続きしない、結婚ができないなど、異性の問題がきっかけとなることもあります。
 こうなると、学校や社会から取り残されているという焦りが、眠れない、食べられないといった身体の不満につながり、やがて神経質な言動やパニックといった症状で現れたり、アルコールや薬物への依存につながったりします。幻覚や妄想といった症状を呈し、「統合失調症」と診断を受けているケースでも、発症までにこのような経緯をたどっていることは少なくありません。
 彼らは周囲からの評価には過敏なため、「こうなったのは親のせいだ」と、家族に責任を転嫁するようにもなります。一方で、「心の病気」という理由があれば、働かないことに対する大義名分もでき、家族にも甘えることができます。こうして本人は、社会から取り残されているとう不安を抱えながらも、「心の病気」という免罪符を手放すことができません。そのジレンマがさらなる苛立ちとなって、家族、ときには第三者に向かうのです。(標題書より、以下同)

 一家に一人、こうした患者がいるだけで家庭は間違いなく地獄と化してしまう。
 だが、自分が「怖い」と思ったのは、「心の病気」を持つ彼らではない。
 彼らは、自らの遣りようのない怒りや宥めようのない不安にどうしようもなく突き動かされて、棺の中で生き返ったフランケンシュタインが新鮮な空気を求めてするように、手当たり次第にもがき、暴れ、喚いているだけと感じる。

フランケンシュタイン
 
 真に怖いのは、フランケンシュタインの親たちである。 

 たとえば、私のところへ相談に来る親に、よくありがちな例を挙げてみましょう。親は、問題行動を繰り返す子供について、「人の言うことをまったく聞かないのです」「嘘ばかりつくのです」「倫理・道徳観がないのです」などと訴えます。ところが、その親自身が、私のような第三者に対して、「人の言うことをまったく聞かず」「嘘ばかりつき」「倫理・道徳観がない」振る舞いをしています。
 具体的に言うと、相談やヒアリングの席で自分たちに都合のいい話だけをして、事実を述べない。子供の目線に立って親の過ちを指摘すると、言い訳に躍起となり本質の話をさせない。こちら側の指示に対して、自分の考えを優先し聞き入れない。子供の違法行為や倫理・道徳に反する行為を、自分たちの生活に影響を与えるからという理由で隠蔽したり黙認したりする。お金や自分の都合など目先のことにとらわれ、他人を振り回す。第三者を介入させておいて、自分は何もせず責任を丸投げする。自分の非は棚上げし、被害者(弱者)として対応する。最初から他人を利用することしか考えていない。そもそも子供が何をしているのか関心をもたず、真実を知らない、などです。こういった親は、まず間違いなく子供にも同じ振る舞いをしていますから、子供が問題行動を起こすようになるのも当然と言えます。

 押川が対象者(子供)を通して関わりを持ったこのような親たち(モンスターペアレント)の言動に、いかに振り回され、エネルギーを消耗させられ、怒り、驚き、あきれかえり、絶句したかが想像できる。
 厄介なことに、ほとんどのモンスターペアレントたちは、世間的にはまっとうな生活、いやむしろよそ様から羨まれるような裕福で見栄えのいい生活を送っていることが多いのである。自分たちは世間的、社会的には何ら‘非’がないというプライドがあるから、なおさら、壊れた子供のありのままの姿を直視できないし、家庭の破綻の現実を受け入れられないし、自らの育児や教育の失敗を認められないし、他者の介入を潔しとしないわけである。
 欲と世間体ばかりを優先して、子供に必要な愛情を必要な時に与えなかった。いや、ややもすると、子供の存在さえ、欲と世間体を満たす道具に過ぎなかったのかもしれない。
 その挙句が、この恐ろしい文句につながる。
「お金は払うから子供を殺してください」
 怖さの根源は、彼ら親たちの仮面の下にある‘虚妄’である。
 その意味で、橋本治の昭和三部作(『』『巡礼』『リア家の人びと』)につながるところがある。 

 子供は、「対応困難な問題を繰り返す」という形で、親に自分の「心」を突きつけているのです。こうなるまで気がつかなかった、子供の「心」の痛みを受け止めてください。問題から目をそらしたり、子供の「心」を縛ったりするのではなく。子供を一人の人間として尊重する気持ちを持ってください。
 そして親自身も、生き方(対応)を改める心構えを持つことです。現実は、もはや第三者の介入なしには、子供とまともに話をすることすらできないのです。そうである以上、子供が本来あるべき社会生活を送れるようにするためには、自分の非を認め、真摯な気持ちで周囲に協力を仰ぐしかありません。医療にかかったあとも本人と生活を共にするのであれば、どのように接していくか、トラブル時に親としてどのような姿勢を示すか、家族が真剣に考え、ときには専門家の指導を仰ぐ必要もあるでしょう。それこそが「家族も治療者の一人である」という言葉の真意です。

 むろん、ここで注意しなければならないのは、押川が前書きで述べている通り、統合失調症や人格障害、アルコール依存や薬物依存があるからといって、すべての精神障害者が犯罪等の問題行動を起こすわけではないし、家庭や親の育て方に問題があるわけでもない。
 押川の事務所につながるのは(本書に取り上げられるようなのは)、いろいろなマイナス要因――本人の資質、周囲の環境、親のしつけや教育、人生上の挫折、発見の遅れe.t.c.――が不幸にも重なり合った結果、状態が悪化し、病院も保健所もお手上げになったようなケースである。精神障害者の多くは、一時は入院を余儀なくされるようなことはあるにしても、適切な治療と家族や福祉のサポートを得て社会生活を送っている。

 押川は、20年近い移送サービスの経験を経て、対応の難しい「精神科医療と司法(犯罪)のグレーゾーン」にいる患者(対象者)の初動対応・介入・連携に当たれる、全国防犯協会連合会のようなスペシャリスト集団を作ることを提言している。そのメンバーとして警察官OBがふさわしいと述べている。

 このスペシャリスト集団では、相談の内容に応じて、保健師とともに対象者に会いに行き、必要があれば医療機関につなげる手助けをします。緊急の場合や危険度の高い場合には、警察と連携して警察官通報による措置入院に結びつけるか、説得による精神障害者移送サービスを行います。この際、嘱託の精神科医を配置し、対象者に会う際に同行してもらうという方法もあります。本人がひきこもっているという理由から、精神科医の往診を望む家族は多いものですが、応じる医師はほとんどいません。そこにはやはり「怖い」「危険」といった思いがあるからです。実際のところ過去には、医師が患者に殺されるといった事件も、少なからず起きています。しかし、警察官OBという危機管理のプロが一緒ならば、その心配は解消されるでしょう。

 たくさんの修羅場をくぐり抜けながら現場で動いてきた人間だからこそできる具体的かつ現実的な提言である。事態はここまで来ているのだ。
 一方で、これもまた対処療法に過ぎないことは明らかである。
 モンスターペアレントを増やさないために、我々には何ができるのだろう?

 本書を貸してくれた友人は、一読何か感じるところがあったらしく、精神保健福祉士の資格を取るべく夜間学校に通うことを思案中である。