社会福祉士養成課程(通信教育)の修了証が届いた。
1年10ヶ月(正味1年7ヶ月)の学習が正式に終わって、晴れて国家試験の受験資格が得られた。長かったような、短かったような・・・(しみじみ)。
○ 完読したテキスト20冊
○ 提出したレポート33本(各1000~1200字)
○ 参加したスクーリング4回(計10日)
○ 現場実習180時間(約1ヶ月)
○ 払った学費 約30万円(テキスト代含む)
振り返ってみると・・・・結構面白かった。
自分(ソルティ)は過去20年くらい市民活動やNGO活動に関わってきた。その中でカウンセリングや福祉手続き支援などの相談援助も行ってきた。その時その時で、自分で調べたり上司や仲間に教えてもらったり研修を受けたりして、実際のやり方や留意点を学んできた。それらの経験は自分の中に蓄積されて肥やしとなっているのは間違いないだろう。が、それぞれの知見や経験は脳の別々の場所に個別に保管されていて、また学術的・制度的な裏づけも弱いままであった。
それが今回体系的に学んだことで、バラバラだったジグゾーパズルのピースが然るべき位置にあてはまって全体の絵柄が判明してくるように、自分がやってきたことの全体像が立ち現れた。個々の経験が社会福祉の全体像のどこに位置しているのかが見えてきた。それぞれの支援方法についても、「なるほど、あの時の援助はこの法律のこの制度に基づいていたんだな」とか「あの時、上司が言っていたことは、日本の社会福祉の歴史の中のこういう経緯に基づいての発言だったんだなあ」とか「自分のやってきた(学んできた)カウンセリングや対人援助技術の要は、バイスティックの七原則にあったんだな」とか、いろいろ後付けされ、活動の根拠が明確になり、今さらながら合点がいった。
もちろん、新しいことを学ぶ面白さもあった。
とくに、2000年以降の社会福祉基礎構造改革の流れについて学べたのはとても為になった。高齢者支援も、障害者支援も、児童・家庭支援も、低所得者やホームレス支援も、刑務所から出てきた人の更生保護も、生活保護も、あらゆる福祉領域がいま基礎構造改革の影響を受け、180度と言っていいくらいに中味(理念)も制度も支援スタンスも以前とは変わっている。
それゆえに、『社会福祉法』『介護保険法』『障害者総合支援法』『難病法』『子ども・子育て支援新制度』等々の成立を経て、基礎構造改革が一定の成果を上げて落ち着いてきたこの時期に、社会福祉について広く深く体系的に勉強できたのはベストタイミングだったなあと思っている。もっと早く勉強して、もっと早く社会福祉士の資格を取ることもできたのだろうが、それだと基礎構造改革以前の古い理念や支援スタンスを引きずったままのテキストや授業内容であった可能性があるし、学んだそばから法律やら制度やらが変わっていくことになったろうから、混乱しそうである。
今で良かった。
スクーリングも面白かった。
いろいろな福祉現場で働く受講生との情報交換や苦労話(愚痴)も面白かったし、グループワークでの事例検討も参加者それぞれの人となりや背景が、その人の発言や振る舞いからうかがえて、人間観察とコミュニケーションスキルを磨く良い機会になった。受講生は、いろいろな年代の社会人ばかりだったので、それぞれに背負ってきたもの(仕事面でも家庭面でも)がある。若い学生ばかりのグループとはまったく違った‘ディープさ’が話の端々に感じられた。やっぱり、成功よりも失敗や挫折において、人は学ぶし成長するものだと改めて実感した。
内気な自分。誰とも連絡先交換はしなかった。
が、狭い世界。そのうちどこかで会えるだろう。
が、狭い世界。そのうちどこかで会えるだろう。
最初から一番の重荷は約1ヶ月の現場実習だった。
すべてのレポートやスクーリングを合わせた以上に、現場実習が気がかりであり、不安であり、ときに気重ですらあった。
「変な施設だったらどうしよう?」
「意地の悪い担当者だったらどうしよう?」
「施設の職員や利用者とうまくコミュニケーションとれるだろうか?」
「一ヶ月、体力・気力続くかな?」
・・・といった心配があった。50歳過ぎても、こういう‘はじめてのこと不安’はついて回るものである。元来、悲観的なタチなんだな、自分。
「変な施設だったらどうしよう?」
「意地の悪い担当者だったらどうしよう?」
「施設の職員や利用者とうまくコミュニケーションとれるだろうか?」
「一ヶ月、体力・気力続くかな?」
・・・といった心配があった。50歳過ぎても、こういう‘はじめてのこと不安’はついて回るものである。元来、悲観的なタチなんだな、自分。
ありがたいことに、しっかりした運営基盤を持つ、地域で評判の高い施設であり、スタッフも担当者も親切で(担当者は剽軽なイケメンで)、利用者と楽しく交流することができ、体調を崩すことなく最後まで元気に通うことができた。実習生をたくさん受け入れている施設で、自分と重なる時期に社会福祉士志望の実習生が3名いて、同じ立場で励ましあうことができた。これがずいぶん助かった。
以下、学校に提出した実習報告書より抜粋。
障害者の生活介護の現場を見るのは初めてであった。まず、様々な障害を持つ利用者と出会い、障害の多様性に気づかされた。「障害者」とひとくくりにして支援できるものではなく、障害の種別に応じ、またそれぞれの方の性格や年齢や家族背景やADL(日常生活動作)や生活歴に応じ、個別の丁寧な支援が必要であることを、利用者やその家族を知る中で、またスタッフの支援方法を間近に見ることで、実感した。とても重い病気および障害を持ち常時の医療支援が必要な利用者がいた。通所中は2名の看護師がそばについて生活支援員と連携を取りながら適宜療養の世話を行い、本人が仲間と一緒に日常活動に参加できるようサポートしていた。障害者福祉の主要理念であるノーマライゼーションを実感した。また、自閉症の方々に接し、障害の特質を知り、これまで自分が持っていた偏見・誤解を是正することができた。普段の自分の職場である高齢者介護施設現場との違いをまざまざと知り、その理由を考察する機会になった。人手不足と業務過多のため「自立支援」という言葉がなかば形骸化している今の高齢者介護のあり方について改めて疑問を感じ、また‘スピード優先’で、利用者のできることでも奪ってしまいがちな自分の介護のあり方を反省すること度々であった。
一般に、障害者福祉の方が、職員配置含めケアが手厚く、本人や家族の権利意識が強く、施設運営への関わりも深いと感じた。(障害者自立運動の歴史、および面倒を見る相手が自分の親である場合と自分の子供である場合との違いに拠るのであろうか。)実習後半は、利用者の中から一人選び、その方の個別支援計画を作る作業をした。自分は20代のダウン症の女性を選んだ。朝から夕まで、彼女の近くで日常の様子を見守り交流しながら、できること・できないこと・興味あること・どのような支援が可能なのか・・・といった検討をし、個人ファイルからご家族の要望や入所以降の状況を把握し、自分なりの支援計画を作成した。
ここでもやはり、自施設の支援計画書に慣れた自分の作った計画書は、当事者の意思や要望を尊重するという点で思慮の足りないところがあった。相談援助における主役はあくまでも当事者であるという基本を改めて学ぶことができた。振り返ると、利用者の魅力とスタッフの方々の親切な指導に助けられて、乗り切った実習であった。深く感謝するものである。今後は、広い分野の社会福祉の現場に関心を持ち、動向を知り、新しい情報を取り入れるとともに、できるだけ現場で働く人や当事者の声を聞いて、生きた情報を取り入れていきたい。そして、当事者の自立や自己決定を尊重し、人としての尊厳を保つことのできるような相談支援や介助のあり方を学び、身につけていきたい。
社会福祉士を取って「どうする」というのは、現段階では実はあまり考えていない。
ただ、今やっている介護の仕事は体が資本なので、いずれ限界が来るのは間違いない。すでに、ここ最近、膝と腰が悲鳴を上げはじめている。右目もよく見えなくなった。重大事故につながる前に、身を引いたほうが無難だろう。少なくとも、体力や筋力や敏捷性を必要とするようなヘビーな現場からは・・・。
その後、どうするかな?
ただ、たとえ社会福祉士の資格を取れなくても、そういった仕事にこの先就くことがないとしても、この2年弱の勉強は無駄にはならないと思う。やって良かったと思う。変わってゆく社会情勢を知って頭の中をアップデートすることができ、これまで知らなかった世界(障害者施設)でディープな体験ができ、学生時代にはあまり味わえなかった‘知ること’の面白さを味わうことができ、毎日を張りを持って過ごせたのだから。
今夜は一人で祝杯だ。
甲野氏ではないですが、別の古武術による介助法のビデオを見たことがあります。
その中の技法の幾つかは、現在使っています。