日時 2016年4月10日(日)14:00~
会場 杉並公会堂・大ホール
指揮 新田ユリ
演奏 アイノラ交響楽団
曲目
  1.  春の歌 作品16(1984年/初演)
  2.  交響曲第5番 変ホ長調 作品82(1915年/初演)
  3.  吟遊詩人 作品64
  4.  交響曲第5番 変ホ長調 作品82(1919年/最終稿)
  5.  (アンコール)春の歌 作品16(1903年/最終稿)
  6.  (アンコール)アンダンテ・フェスティーヴォ

 アイノラ交響楽団は、フィンランドを代表する作曲家、ジャン・シベリウスの音楽をこよなく愛するアマチュア演奏家によって、2000年12月に設立されました。アイノラとは、フィンランド語で「アイノのいる場所」という意味。シベリウスは最愛の夫人「アイノ」の名にちなみ、ヘルシンキ郊外にあるヤルヴェンパーという街に構えた自邸をそう呼んでいました。彼は、妻とともに自然豊かなアイノラの地を終生愛し、そこで多くの傑作を創り上げました。・・・・・このオーケストラでは、7つの交響曲はじめ、交響詩・音詩を含む数々の管弦楽作品すべての演奏を目標としています。(アイノラ交響楽団公式ホームページより抜粋)

 特定の作曲家の作品を演奏するためのオケがあるとは知らなんだ。しかも、バッハでもモーツァルトでもベートーヴェンでもワーグナーでもなく、シベリウスとは・・・・。
 なんでも日本にはシベリウス愛好家が多く、小泉前首相もその一人であるらしい。
 ソルティは『フィンランディア』しか聴いたことがなかったので、今回が実質的なシベリウス・デビューとなった。
 
 当日券を買うために開演1時間前に杉並公会堂に行ったら、すでに長蛇の列。全席自由だったので、すでにチケットを手にしている人々が少しでも良い席を取ろうと待ち構えていたのである。高齢者が多い。最初見たときは五木ひろしコンサートでもあるのかと思った。
 開演15分前に会場入りすると、8割方埋まっていた。
 シベリウス人気は本物らしい。

 今回の聴きどころは、交響曲第5番の1915年初稿(初演時)バージョンと1919年最終稿バージョンとの両方を演奏することである。シベリウスは自己批判が強い性格で、一度書き上げた作品に満足せず頻繁に手直しをしていた。で、最終的に決定稿となったもの以外の演奏は認めていなかった。「初稿の楽譜はシベリウスの遺族が厳重に管理しており、演奏するには特別の許可が必要」と配布プログラムに書いてある。
 そういった意味で、今回は遺族の特別の許可を得て、『春の歌』と『交響曲第5番』の2つを初稿と決定稿の両方で聴ける特別なプログラムだったのである。

 むろん、ソルティは『春の歌』も『第5番』も初耳なので、新旧を較べて違いを楽しむだけのレベルにはない。ただ、決定稿のほうがやっぱり完成度が高く、風格があるなとは思った。
 それよりも何よりも感じたのは、シベリウスの音楽が実に日本人の感性に合っているということ。ドイツやイタリアの大作曲家ほど人工的でも父性的でも宗教臭くもなく、チャイコフスキーほど悲観的でもなく、ドビュッシーほど幻想的でもない。俳句や水墨画や枯山水や花火の中に‘美’を閉じ込めた日本人の「抽出写実主義」とでも言うようなものと至極似通ったものを、シベリウスの音楽に感じた。
 とくに、『春の歌』はほんの7~8分ほどの短い曲だが、春の喜び、生命力、エロス、美しさ、自然への畏敬の念があますところなく抽出され、多様に表現されている。陶然とする。
 これ一曲だけでシベファンになってしまった。(水野晴郎『シベリア超特急ファン』でもある、自分)

 女性指揮者は初めてだが、丁寧で流麗なタッチで好感持てた。
 楽団員には年長者が多いように見受けられた。
 聴衆の層といい、シベリウスは大人のための作曲家なのかもしれない。

 それにつけても、アマオケ巡りは楽しいな