2016年筑摩書房刊。

 母乳専門店というのがある。
 子供を生んで間もないマザーたちの母乳を男たちに吸わせて金を取るお店である。利用客には自衛隊員や警察官、レスキュー隊員や教師などのお固い職業の者が多いと言う。マザーたちは、母乳が良く出るように納豆や豆腐などの植物性タンパクを摂取するなど、日々工夫を怠らないそうだ。
 基本、当人同士が納得し、よそ様に迷惑かけない限り、他人がどんなセックスしようがどうでもいいと思うのだが、気掛かりなのは感染症である。
 母乳を飲むことでHIVに感染するリスクがある。感染している母親の母乳の中にはHIVが多量に含まれていて、それが口の中の粘膜を通して受け手に侵入する可能性がある。いわゆる‘母子感染’ルートである。HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス)もまた母乳を介して感染し得る。この二つは妊婦検診の項目に入っているので、検診を受けて陰性(感染していないこと)が判明しているマザーの母乳であれば、まず安全と言えるかもしれない。が、経済的理由などで未受診のまま出産するマザーが少なからずいる。その層はかなりの高確率で風俗で働く層と重なるのではないだろうか。
 
 セックスワーカーでもなく風俗利用者でもない自分は、性風俗には疎いし当事者意識も低い。が、HIVのボランティアをやっていて、風俗で働いている男女や風俗で遊んで感染不安に陥った男から相談を受けることが多いので、上記の母乳専門店のような‘業界の現状’はある程度知っておきたい。
 そんな理由から本書を手に取った。

 著者の坂爪真吾は1981年新潟県生れ。東京大学文学部卒。あの有名な上野千鶴子のゼミ生だったというから、社会学に興味あるフェミニストと思われる。重度身体障害者の射精介助サービスを行う一般社団法人「ホワイトハンズ」の代表をつとめる。風俗産業の社会化を目指す風雲児である。
 本書は、学生の頃から性風俗のフィールドワークを続けてきた坂爪が、現在の性風俗の現状について以下の3つの問いに答えたルポルタージュである。同時に、3番目の問いに対しての処方を提示するアドボカシーと実践の報告書である。
    1.  今、現場で何が起こっているのか
    2.  その背後には、どのような社会問題が潜んでいるのか
    3.  それらの問題は、どうすれば解決することができるのか
 目次を見るだけでも結構刺激的であり、ソルティなどは純粋に社会学的な(性的ではない)興味をそそられる。性風俗もとい男のセクシュアリティの多様性と、その需要を狙って次から次へと立ち上がる‘特殊(マニアックな)’風俗店の商魂に感嘆する。そして、そこで働く(そこでしか働けない)女性たちの背景が気にかかる。
 紹介されているのは、①地方都市の郊外にある自宅でデリヘルを経営していた男性障害者、②本来なら女性が一番働けない時期にだけ働くことのできる妊婦・母乳専門店、③ネットカフェを女性の待機場所にする‘風俗の墓場’と言われる激安店、④「デブ・ブス・ババア」を集めた地雷専門店、⑤「女は52歳から」を歌い文句とする熟女専門店、などである。
 うひゃあ
 これらの‘濃くてキツい’お店で働く女性たちや、経営している男性たちを取材し、性風俗業界が貧困女性や障害を持つ女性のセーフティネットの役割を果たしていることを、著者は描き出している。
 たとえば、

新生児を抱えた産後1~2ヶ月の女性が、週2回、わずか2時間程度の勤務(無料の託児所付)で月に10万~30万稼げる仕事は今の社会に存在しない。こうした妊婦・母乳風俗店の存在によって救われる人や助かる生活があることは、まぎれもない事実だ。こうした店を否定したいのであれば、同じ条件の仕事を用意するか、未婚妊婦や若手シングルマザーへの現金給付や社会的支援を手厚くする必要があるが、いずれも短期的には実現不可能だろう。

管理売春は、一般的には「問答無用の絶対悪」とされているが、管理されてはじめて稼げる女性、容姿や年齢にハンディがあるため過激なサービスに頼らざるを得ない女性、福祉や行政とつながれない、もしくはつながっても生活の困難から抜け出せない女性にとっては、管理売春の場で働くことが唯一の「福音」となってしまう、というジレンマがある。

「風俗はどう考えても今の社会に必要なんですよ。空いた時間に来られる。シフトも自分で決められる。お金も現金当日払いでもらえる。そんな職場はほぼ無いですよね。仮に風俗が日本から消えたとしても、死ぬほど困る男はいない。でも生活に困窮している女性にとっては死活問題です。僕は熟女に感謝している。風俗に人生を救われたので、その恩返しとして死ぬまで熟女にかかわる仕事がしたい。」(40代で転職し熟女専門店「おかあさん」を経営する男性の言葉)

 離婚し子供を抱えた母親、知的障害や精神障害があって就労困難な女性、仕事を見つけるのが難しい中高年女性、過去に風俗で働いたため履歴書に空白ができてしまう女性、‘フツウ’の風俗店だと面接で切られてしまう容姿に難がある女性、生活が困窮していても家族を含め誰も頼る人のいない女性・・・・・。こうした女性たちが現実にたくさん存在して、現行の法律や制度では支えることができず、また家族や友人・知人、ご近所や地域の力も必要十分なほど得られないのなら、彼女たちが生きる手段として性風俗で働くほかに何が残っているだろう? 警察のご厄介になって塀の中に収容されるくらいしかあるまい。
 一方で、坂爪が指摘しているとおり、だからと言って風俗の社会的意義を表社会に認めさせることは不可能に近い。それに、働く女性に否応無く降りかかる性暴力、妊娠・堕胎、性感染症をはじめとする健康被害、ストーカー、盗撮、プライバシー蹂躙、精神的荒廃などのリスクも軽視することはできまい。

 こうした超えられない限界や消せないリスクに対処するためには、どうすればいいのだろうか。
 答えはただ一つしかない。福祉との連携だ。多面体の風俗の世界で起こっている目の眩むような複雑な現象を、メディア上でセンセーショナルに「単純化」「商品化」して消費することに終始するのではなく、福祉というフィルターを介して、個々の現象を丁寧に分析した上で「社会問題化」することができれば、そこから司法や医療といった表社会の人材や制度、スキルやノウハウを風俗の世界に招き入れることができるはずだ。

 坂爪を「えらい、素晴らしい」と思うのは、10年以上のフィールドワークで到達したこの結論を、評論家のように処方箋として提起してそこで話を終えるのではなく、それを具体的な実践として目に見える形にしているところである。戦略的な活動家の顔も持つのだ。その点で、ゼミの恩師の上野を承継している。
 坂爪は、本書で紹介されている激安風俗店「デッドボール」の女性待機部屋に、一般社団法人「インクルージョンネットかながわ」で若年生活困窮者を支える活動をしている臨床心理士の鈴木晶子および坂爪の知り合いの弁護士らを招いて、無料の生活・法律相談会を開催した。風俗とソーシャルワークの連携モデルケースを作ったのである。本書では、実際の相談会の模様やそれを通して見えた働く女性たちの「意外な事実」も報告されている。
 なるほど、相談事務所を構えてセックスワーカーが来るのをいすに座って待っていても時間の無駄である。客観的に支援が必要なことは明らかだけれど、「自分が支援を必要としていることすら認識できない」and/or「どんな支援があるのかわからない」and/or「どうやって動いたらいいのか分らない」and/or 「自分ひとりでは手続きができない」女性たちのいるところに直接出向いて、仕事の合間に当人の顔を見ながら話を聴くに如くはない。

 風俗の世界には、私たちの社会が抱えている問題が最も先鋭化された形でリアルタイムに反映される。妊産婦やシングルマザー、障害者や中高年女性など、社会的には弱い立場にある女性たちが集まる業種になればなるほど、そうした問題がもたらす不幸や悲劇は、彼女たちの無防備な裸体と人生に荒々しく焼き付けられる。
 風俗の世界の課題を解決するためには、夜の世界に生きる当事者たちの言葉やニーズを昼の世界の非当事者たちに伝わる形に翻訳して発信するスキルだけでなく、昼の世界の社会福祉制度、支援のスキルやノウハウを、夜の世界の当事者たちに伝わる形に加工して届けるスキルを併せ持った、「夜のソーシャルワーカー」が必要となる。

 現在ホワイトハンズは、この「夜のソーシャルワーカー」の育成を目指して、風俗と福祉をつなぐことをテーマにした「風俗福祉基礎研修」を定期的に開催している。
 頭が良くて、大胆で、行動力があって、偏見や因習を超越した柔軟性があって、加えて楽天家。 
 坂爪真吾---この男、‘買い’である。 

 本書のあとがきで、坂爪からクイズが読者に提出される。
「本書には、これまでの風俗関連書籍の中で100%と言っていいほど使われてきた‘ある言葉’が使われていないが、それは何か?」
 
 さて、何だろう・・・・・?
 ソルティは『倫理』ではないかと思うのだが。