日時 2016年4月23日(土)18:30~
会場 杉並公会堂
指揮 久保田昌一
管弦楽 オーケストラーダ
曲目
  1. チャイコフスキー:幻想序曲「テンペスト」ヘ短調
  2. 交響曲第4番ヘ短調

 音合わせが済み蝋人形のように固まっている黒服のオケの中へ、舞台袖から現れた久保田昌一が分け入ると、相対性のマジックで不意にオケの面々が巨人のようにデカく見える。男性団員ばかりか女性団員まで。巨人のブロブディンナグに迷い込んだガリバーのよう。
 観客に一礼し、高すぎる指揮台を大きく片足上げてのぼる。華奢な後姿に細い腕。一瞬、小学生が大人のオケを指揮する体験教室であるかのような錯覚を覚える。
 だが、棒が振られ音楽が始まるや、相対性のマジックもガリバーも消えうせて、久保田昌一が、クラシックの大海原を行く大艦隊を導く頼もしき旗船(はたぶね)のように、あるいは、十字架の代わりに指揮棒を身につけあまたのキリシタン百姓や浪人を従え、音楽という大いなる魔物と闘う天童•天草四郎時貞のように思えてくる。
 
 久保田は一流の指揮者に欠かせないカリスマ性を秘めていると思う。
 その優美でたおやかな観音様のような手と鹿のような優しい瞳にうながされると、吠え立てる猛犬が大人しくなるように、‘いっこく’気質の百戦錬磨のべテラン団員も、つい‘気’を合わされてしまうのではなかろうか。柔よく剛を制す合気道のように。

2011年2月、応募者数225名40カ国の中、第1回シカゴ交響楽団ゲオルグ・ショルティ国際指揮者コンクールにて優勝。4月には同響音楽監督リッカルド・ムーティからシカゴ響指揮研修員に任命される。(久保田昌一公式ホームページより)

 オペラの殿堂ミラノスカラ座に20年近くも君臨したあの大ムーティによって才能を認められている。凄いことだ。
 久保田が音楽監督を務めるオーケストラーダは、2011年に誕生した社会人オーケストラ。名前の由来は、orchestraとstrada(道)という2つの言葉をつなげたとのこと。「自分たちのための演奏会を開くだけでなく福祉機関とも積極的に連携しコンサートにご招待するなど社会貢献にも取り組んでいます。」と楽団ホームページにあるように、会場には白杖を持つ目の不自由な人の姿がちらほら目立った。耳の鋭い彼らを満足させるレベルの演奏を課されることにもなる。やるなあ。

 幻想序曲「テンペスト」は、言わずと知れたシェイクスピア最後の戯曲が題材である。
 静かな海の描写から始まって、次第に風雨が強まり、波が荒れ狂い、稲妻が空を引き裂く。嵐の到来。それから、島の娘ミランダと漂流した王子ファーディナンドのロマンティックな愛の描写が続く。
 チャイコフスキーらしい美しく可愛らしい小品である。本家本元の戯曲が構築する言葉が織り成す偉大な世界に迫るものではないけれど、これはこれで楽しめる。宝石で飾られたオルゴール箱のような典雅な佇まいである。
 演奏は出だしでちょっと管楽器の乱れにハラハラしたが、オケの息がそろってきた後半は流麗甘美であった。

 「交響曲第4番」は、1977年ベニスで完成したという。
 チャイコフスキー自身が、後援者のメック夫人に宛てた手紙の中で、それぞれの楽章の主題を解説している。自分は「The seaside of Ierendi」というホームぺージにこの手紙の内容を見つけて事前に読んでおいた。(このサイト、今は開店休業状態のようだ。)
 はじめて聴いたのだが、非常に完成度の高い、聴き応えある作品。フルオーケストラによる長大な交響曲に人が期待する要素がすべて詰まった「神戸牛ロースステーキフルコースディナー」みたいな贅沢感がある。満腹になったが、第6番「悲愴」ほど陰鬱ではないので、胃もたれはしない。
 久保田の指揮は楽章を追うごとに集中力を増していき、オケを支配していく。力でなく、空気で。あるいは音楽に対する繊細な愛情で。
 最後にはオケが、あたかも手なずけられた一匹の野獣のように従順になって、チャイ子独特の暗い野性を奥に秘めながらも、表面はあくまで優美に華やかに、叫び、歌い、かつ呼吸していた。

 いつの日か、久保田がマーラーの交響曲第1番を振るのを聴きたいものだ。