1985年筑摩書房刊行。

 その昔、思川は、泪橋という橋の下を流れていた。いまは、地底に消えている。ただ、泪橋という名だけを残し、東京都台東区と荒川区を二分する地点となっている。
 この泪橋の由来は、現在の小塚原回向院のあたりが小塚原刑場であったところから、刑場にひかれていき処刑を受ける囚人たちが、この橋を渡りながら、この世との別れに涙し、また身内たちも哀しんで涙を流したところから、泪橋といったという。

 南千住駅から歩いて5分、奥州街道と明治通りが交差する地点が泪橋で、山谷地域の北の入口となっている。
 山谷と言ってたいていの人がイメージするのは「日雇い労働で糊口をしのぐその日暮しのドヤ生活者」「一般社会から転落した男たちの吹き溜まり」「あしたのジョーの舞台」といったところではないだろうか。貧困、アルコール中毒、ヤク中毒、ギャンブル中毒、犯罪、前科、借金、夜逃げ、失踪、病気、ケガ、身体障害、知的障害、精神障害、性的逸脱、家庭崩壊、人間関係破綻・・・・・。このような負のキーワードが、山谷に暮らす男たちに多かれ少なかれ当てはまるのは否定できないだろう。
 昨今は、高齢化が進んでドヤ(簡易宿泊所)や路上にいた男たちが生活保護を受けて介護施設に収容されるようになり、開発が進んで若い夫婦や家族が居住する立派なマンションが立ち並び、ドヤを改装したエコノミーホテルには海外からのバックパッカーが宿泊し、それらの客を当て込んでイオン系列のスーパーが点在し、街は格段にきれいになった。路上や公園で寝泊りする人々は少なくなった。現在、手配師の代わりに街を行き来するのは、自転車に乗った介護ヘルパーや訪問ナースらである。ガイドブック片手に浅草七福神めぐりをする中高年グループが、知らずに迷い込んだとしても、そこが日本三大ドヤ街の一つにして、あぶれ者の終の棲家たる悪名高い‘山谷’であるとは、おそらく気づくこともあるまい。
 この本が書かれた80年代は、おそらく山谷が‘山谷’だった最後の時代であろう。寄せ場としての山谷を活気づけていた土建業およびニコヨン(日雇い仕事)はバブル崩壊とともに激減し、傑作ドキュメンタリー『山谷―やられたらやりかえせ』で描き出された山谷の男たちの荒ぶるエネルギーも、日本社会全体の地盤沈下と高齢化の潮に押されて勢いを失っていった。現在若いホームレスが起居しているのは都内あちこちにあるネットカフェである。
 
 1974年(昭和49年)の夏、30代半ばの主婦であった宮下忠子は、在籍していた福祉系学校の実習ではじめて山谷を訪れたのがきっかけとなり、翌年から山谷の中心にある東京都城北福祉センター(現「公益財団法人城北労働・福祉センター」)の医療相談員として働くことになる。1995年に退職するまでの20年間、まさに‘山谷らしい山谷’にどっぷり浸かった日々を送ったのである。
 本書は、山谷で働き始めて10年を経た宮下が、山谷で出会いサポートしてきたたくさんの女性の中から5人を選んで、悲惨にして壮絶なる生き様・死に様を描き出した記録である。不遇な女たちに同じ一人の女性として親身に関わった著者の愛情と共感と哀しみと静かな憤りとに満ちた文章は、ドキュメンタリーというよりもエッセイというにふさわしい。タイトルそのままに、泪橋の上に立って見えない流れを見るかのように、著者の心の中を流れる様々な女たちの姿や思いが淡々と描き出されている。表面は淡々であるが、川底は深く激しい。

 山谷の女たち――。
 山谷の女たちは、山谷の男たちが持つ負のキーワードにいまひとつ別のものを加えて生きることになる。
 売春――である。
 本書で紹介される40代から60代の5人の女たちのいずれもが、山谷での売春経験を持つ。というより、女が山谷で生きるとは、汗と垢にまみれた貧しい日雇い労働者たち相手に体を売って日銭を稼ぐということなのである。女の貧困は売春に直結する。坂爪真吾の本に見るように、それは今でも変わりない。
 若いころは隣接する吉原や他の地域のバーなどでそれなりの条件で体を売っていた彼女たちも、寄る年波には勝てない。店で雇われなくなれば、立ちんぼして客を引くしかない。商品価値の低い自分が売れるところを求めれば最後には山谷にたどりつく。「山谷は売春の終着駅」と言われるゆえんだ。

 水野イク――。大正9年岩手県生まれ。口減らしのための子守り奉公から始まって→借金のカタに旅籠づとめ→紙問屋で主人に強姦される→伊勢崎町の立ち飲み屋→淫売屋の近くの飲み屋ではじめての売春→川崎の遊郭で花魁→従軍慰安婦として南方に渡る→敗戦後、朝鮮人の妻となって朝鮮で生活→子供を抱えながら赤羽駅前で露天商→横浜のダンスホールでパンパン→男と一緒に飯場での飯炊き→横須賀で街娼→山谷と浅草で街娼→売春罪で栃木刑務所に服役→齢60にして甲斐性のない男に貢ぎつつ山谷で売春。

 吹山ヨシ――。大正15年東京生まれ。貧乏な家に育ち、18歳で吉原遊郭に売られる。26歳で3つ年上の男と結婚し二児をもうけるも情緒不安定から借家に放火、家庭は崩壊し離散。子供たちは養護施設に収容される。以後、山谷で売春しながらその時々つき合っていた男に貢ぐ。飲酒のせいで体を壊し数度の入院。60歳を前に断酒を決意しMAC(メリノール・アルコール・センター)に通い始めるも半年たたずにスリップ。宮下と共にラーメンをすすり「女は損だね」と口にした翌々日に隅田川に身を投げる。酔っぱらった時の彼女の口癖は「母さん、なんで私を吉原へなんぞ売ったのよ!」

 花村直――。昭和19年東京生まれ。通称「あばずれ直」。都内に家もあり堅気の夫もいるにもかかわらず、どこからともなく山谷に現れては男たちの路上の酒盛りの車座に連なる。しこたま酔っ払い、男たちに体を弄ばれ、殴打され、路上に捨て置かれ、しまいには救急車で運ばれるはめになる。殴られようと蹴られようとなされるがまま、悲鳴すら上げず、逃げもしない。見るに見かねて病院に連れて行った宮下に言う。「もういいのよ・・・。堕ちるところまで堕ちたの。あとは死ぬだけ。」

 こんなふうに、著者が描き出す女たちの生涯をダイジェストしてしまうのは、女たちに対しても、宮下に対しても、失礼きわまることは承知している。女たちの生涯は一冊の本では到底語りつくせぬほどの様々な体験と感情とに彩られていて、戦後生まれで高度経済成長期に育ち、バブルに青春を謳歌し、本当に飢えたことも本当の貧しさも知らない、加えて‘男である’ソルティには到底想像の及ばないものである。自身が戦争や貧困を経験し、同じ時代の匂いを知る、同じ性の宮下だからこそ、彼女たちに対してある程度の理解と共感ができたのだろう。そして彼女たちもまた相手が宮下だからこそ、長いこと固く閉ざした口を開き、素顔を垣間見せたのであろう。
 が、それでさえも一人の人間が一人の人間を理解するということがいかに難しいかということを、このエッセイは教えてくれる。

 Aはべろべろに酔って路の脇に座り込んでいた。まだ肉が盛りあがっていない右足。包帯も血に濡れて切断面がのぞいている。私はAの姿をみるや目眩を覚えた。Aの酔った両岸は引きつり、病院のベッドから抜け出てきたばかりを思わせる姿で喚き続けている。傷口が治癒し、歩行できるまでの時間がそんなに待てないのだろうか。だれが見ても目を背けたくなるような身を晒している。自分の生命を守ることがなぜできないのだろう

 赤い夕日が隅田川の濁流に反射し、銀河となり、ゆるやかに流れていく。生きていくためにはある程度の条件をみたすものが必要であろう。しかし、吹山ヨシにはそれがなかった。(下線ソルティ) 

 どんなに周囲の善意あふれる人間が粘り強くサポートしようとも、どんなに医療・福祉制度が充実していようとも、どんなに医師や看護師やソーシャルワーカーやカウンセラーなどの専門家がチームを組んで誠実に丁寧に支えようとも、最終的に当人に助かる意志がなければ助けることは叶わない。馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。自分を救うことができるのは自分だけである。
 天使も大の男も踏み込むを躊躇するところに進んで入り込んで、行政職員としての枠や限界にとらわれずに‘ひと対ひと’として相手と関わっていく宮下の肝の据わった女傑ぶりに瞠目し、脱帽し、敬服するとともに、人を理解し支援することの意味をあらためて深く考えさせる。
 
 これは絶望の告白の書では決してない、彼女たちの生きた証の記録である。

 彼女たちの生きた証に触れ、流された幾多の涙が川となって地の底深く沈んでいく音を耳にしたあとでは、‘売春’を「フウゾク」とか「セックスワーク」とか言い換えて‘カジュアル化’してしまう昨今の風潮に対し、「ちょっと待った!」と異議を投げかけざるをえない。



Water lilies