日時 2016年6月26日(日)14:00~
会場 ティアラこうとう大ホール(東京都江東区)
指揮 松岡究(はかる)
演目
  1. リスト:交響詩「前奏曲」
  2. シューベルト:交響曲第7番「未完成」
  3. カリンニコフ:交響曲第1番ト短調
  4. アンコール ラフマニノフ:ヴォカリーズ

 OBとはなんの略だろう?
  ――と思い、公式ホームページを開いてみたが、プロフィールがない。というか、ホームページというものがこの世に登場したばかりの頃のそれのような大層シンプルなデザイン。建設中のページもある。
 謎めいている。
 
 今回選曲のカリンニコフもまた謎めいている。はじめて聞く名前だ。

ヴァシリー・カリンニコフ
1866年ロシア(旧ソ連)生まれの作曲家。貧困の中、苦学して音楽を習う。24歳のとき結核に罹患。26歳のときチャイコフスキーに認められてモスクワのマールイ歌劇場の指揮者に任命される。29歳のとき代表作となる『交響曲第1番』作曲。2年後の1897年に初演され大成功をおさめる。が、本人は結核が悪化し初演に立ち会えず。まさにこれからというところ、全ての職を辞してクリミア南部のヤルタへ隠棲。1901年34歳にして逝去。

 まさに薄倖の芸術家である。
 長らくクラシック業界から忘れ去られた存在だったが、1995年NAXOSから発売された「交響曲第1番・第2番」のCD(テオドル・クチャル指揮ウクライナ交響楽団)が異例のヒットとなったのがきっかけとなって、埋もれた鉱脈の発見のごと一躍脚光を浴び、以降こうして演奏会に取り上げられるようになったらしい。

 惹かれる。
 どんな音楽なのか、ぜひ聴きたい。
 今回の目的はずばりカリンニコフにあった。

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 《第九》合唱の記憶が蘇るティアラこうとう大ホールは5~6割がた埋まっていた。
 配布されたプログラムを見ると、OB交響楽団の紹介があった。

昭和12年(1937年)大学オーケストラ各校の有志OBによって結成された、在京で最も古いアマチュアオーケストラです。戦争により第10回の演奏会をもって一旦演奏活動を中断せざるを得ない状況もありましたが、戦後の混乱期を経て、昭和23年、再び演奏会にこぎつけます。それ以来、年に2回、第50回以降は年3回のペースで演奏活動を続けて今日に至っており、来年は80周年を迎えます。

 OBって、まんまOB(=Old Boy)だったのか・・・。
 歴史と風雪を感じさせる紹介文にちょっと感動。
 ステージに登場した団員たちの姿にも風雪と風格を感じる。50~70代が中心であろうか。ホームページの謎が解けた。
 指揮の松岡究は1958年生まれだから58歳。団員の平均年齢くらいか。たしかに演奏経験も人生経験も豊富なOBたちを御するに、若造指揮者では難しいだろう。プロフィールを観ると、オペラ分野での活躍と高評価が目立つようだ。

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 リストの交響詩――。
 まず感じたのは音の厚みと粘っこさである。コンクリートの壁のような打ち抜き難い分厚さがある一方で、それゆえに生硬かと思えばそうでなく、泥のように粘っている。押せば撥ね返すような、形を変えていけるだけの自在さはある。変な喩えだが、一番ぴったりくるのは――スライム
 で、やっぱりこれは亀の甲より年の功という気がした。このスライム感、若いオケではまず出せないだろう。海千山千の人生をくぐり抜けてきた者が持つ強さと、何事も押してばかりでは駄目なんだということを身をもって知る者の持つ賢い身のこなし(処世術)との結合が自然に滲み出ている感じがした。
 若いからどうの、年とっているからどうの、アマチュアだからどうの、という先入観で聴くのは良くない、つまらないと重々分かっているけれど、このスライム感にくらべると、ワセオケワグネルはガラス板のようである。
 むろん音楽的にどっちがいいってわけではない。ただ、弾き手の属性が集団になるとオケの音に反映されることを実感し、興味深く思った。
 一曲目は決して悪くはなかった。が、ワグネルの素晴らしく‘気’の充実したリストを聞いたばかりの耳には凡庸に響いた。

 シューベルトの「未完成」――。
 これは意表をつく演奏だった。テンポが遅い。スローワルツのよう。
 何か考えあってのことだと思うのだが、このペースによって、OBオケではただでさえ出しにくいであろう‘リアルタイムの青春感(=未完成)’が、まったく楽曲から消失してしまった。25歳でこの曲を書き、31歳で夭折した青年シューベルトの影がない。青春の情熱も不羈も不安も焦燥も孤独も甘美な夢も感得されない。青春の残り香すらなくて、老人ホームでアルバムを開きながら若い頃の自分のセピア色の写真を懐かしく眺めている長い午後といったふうである。
 重ねて言うが、演奏者の属性によって固定観念を持って聴いていたのではない。そうしないように努めて、目を閉じて聴いていたのだが、この未完成は率直に言って退屈であった。

 ミカンの次はいよいよカリンニコフ――。
 素晴らしい。
 いい曲だ。
 スラブ風の哀愁漂うメロディがマーラーを連想させる。が、マーラーほど暗くも不安でもない。甘美なメロディがチャイコフスキーを連想させる。が、チャイコほど悲愴的でも女性的でもない。
 ロシアと縁の深い西本智実が振ったら、この曲の真価が十全に引き出されるのではないかという気がする。西本は以前、映画『砂の器』のテーマ曲である『宿命』(菅野光亮作曲)を振っている。ソルティが、交響曲第一番を聴きながら幾度も思い出されたのは『宿命』であった。
 OBオケの厚みと粘っこさのある音が、そして年輪ゆえの含蓄の深さが、最も素晴らしく反映され発揮されたのはこのカリンニコフであった。
  

 コンサート終了後、会場隣りの猿江恩賜公園の池の端で余韻に浸った。

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