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日時 2016年7月23日(土)18:00~
会場 パルテノン多摩大ホール
指揮 金山隆夫
曲目
  1. 歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ
  2. 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
  3. 交響曲第6番「悲愴」
以上、チャイコフスキー作曲

 パルテノン多摩に行くのはもちろん、多摩センター駅で降りるのもはじめて。
 いや~、びっくりこいた。
 こんなにきれいでモダンで広々して発展している街があったのか!
 モノレールの走る光景といい、駅を出てから続く映画『オズの魔法使い』に出てくるような赤レンガ歩道といい、パルテノン(神殿)を模したシンメトリカルな建築物といい、お城のようなサンリオビューロランドといい、何だか‘おとぎの国’に入り込んだような感覚。しかも周囲には緑が多い。住むには面白いところかもしれない。

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 シンフォニア・ズブロッカは、20代後半を中心に学生から社会人まで様々なバックグラウンドを持つ演奏家が集うアマチュアオーケストラ。

ズブロッカとは、ポーランドの世界遺産「ビャウォヴィエジャの森」で採れるバイソングラスを漬け込んだウォッカ。桜餅か蓬餅に似ていると形容される柔らかな香りと、まろやかな飲み口が特徴。(ウィキペディア「ズブロッカ」より)

 アルコール40度以上。きっと飲むのが好きな団員たちが集まっているのだろう。ソルティは飲んだことがない。(おそらく今後も飲むことはないだろう。)

 今回はオール・チャイコフスキー・プログラムである。アンコールはたしか『くるみ割り人形』の中の小序曲だったように記憶するが、定かではない。
 
 団員が登場して気づいたのだが、通常なら舞台向かって右側(上手)に配置されるコントラバス数台が、左側(下手)に置かれていた。ほかの楽器の位置も異なっていたかもしれない。そのせいか、いつもよりオケの響きが不統一に思えた。
 不統一というのは言い過ぎかもしれない。メリットを見るならば、一つ一つの楽器の響きが至極独立して聴こえた。そのため曲の構造がとてもよく見えたのである。「面白いなあ~」と思った反面、曲全体がスケルトン(骸骨)風に響いて、チャイコの何よりの特徴であり醍醐味であるゴージャス感が希薄であった。ごつごつした骨の回りに脂肪たっぷりの艶やかな肉をたくわえて、その上に沢山のフリルとレースで覆われた煌びやかなドレスをまとった淑女――というのがチャイコフスキー、と思っているので、そのあたりは欲求不満であった。
 それから、一部の金管楽器がどうも足を引っ張っていたように思う。あまりにも音をはずし過ぎるしテンポもずれていた。弦楽器が巧かっただけにもったいない。(まさかズブロッてた?)

 第6番「悲愴」は、聴くと鬱が再発しそうな気になるので、あまり好んで聴かない。とくに第4楽章の暗さには気が滅入る。第3楽章が「勝利の行進曲」と言われるほど、毅然として威勢良く、自己肯定的で前向きな曲調だけに、そこから一転してマイナス思考に落ち込んでいく流れが聴く者を暗澹たる気分にする。しかも、その鬱のどん底で曲はフィニッシュしてしまう。救いがない。第3楽章で終わらせていたら、聴衆たちはいい気分で会場をあとにできるであろうに。
 苦しみとか葛藤とか不安は、チャイコフスキーの専売特許ではない。耳が聴こえなくなり絶望したべートーヴェンや、フロイトの患者だったマーラーも人後に落ちない。
 だけど、両巨匠の作った交響曲は、最終的には暗さや苦しみを突き抜けた境地に達している。本人が晩年その境地に達したのかどうかはともかく、少なくとも志向としては‘信ずべき輝かしい何か’をその目に見ている。つまり、希望を歌っている。チャイコフスキーにはそれが欠けている。
 思うに、その差は‘神への信仰’にあるのではないだろうか。
 3人ともクリスチャンなのは間違いあるまい。べートーヴェンとマーラーが紆余曲折ありながらも最終的には神を信じられた、神の救いを信じられたのにひきかえ、チャイコフスキーにはそれが難しかったのではないだろうか。
 というのも、よく知られているようにチャイコフスキーは同性愛者だったからである。
 オスカー・ワイルドを例に挙げるまでもなく、当時(19世紀)のキリスト教および西欧文化は現在と比べものにならないくらい同性愛に対するバッシングが激しかった。同性愛者=地獄行きはほぼ確定事項だった。そんな社会で生まれ育ったチャイコフスキーにとって、自分の自然な性向を肯定するのが非常に難しかったのは間違いあるまい。仏教圏に住むゲイよりも、キリスト教圏やイスラム教圏に住むゲイのほうが、自己肯定が難しいのは周知のことである。
 生まれついての自分の性向――それあらばこそ、人を深く愛することができ、あんなにも素晴らしい音楽を次々と生み出すことができた、いわば生と芸術の原動力――を否定しない限り、神にも社会にも受け入れられない、天国にも行けない。一方、神や天国や教会を否定し社会の非難をものともせずに己の道を進むほどには、この時代、マイノリティ運動は成熟していない。というか、その萌芽さえなかった。その狭間で苦悩したのがチャイコフスキーだったのではないか。
 「悲愴」第3楽章でいったん自己肯定し、「誰がなんと言おうと己の道を行く」と決然と意志表明したかに見えるチャイコが、第4楽章でもろくも潰えていくのを見るときに、時代というものが、あるいは伝統や社会や宗教や世間のしきたりというものが個人に対して持つ執拗な圧力というものを痛切に思わざるを得ない。
 それがソルティの『悲愴』感である。

 終演後、サンリオビューロランドの正面は、レインボウのネオンで輝いていた。
 考えてみたら、パルテノン(古代ギリシア)もレインボウも同性愛肯定の象徴である。チャイコに見せたい光景だった。


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